60才からの10年間、
生活様式がそれまでと変わり、
一人暮らしになりました。
60才になってすぐの頃、
家族3人が殆ど同じ時期に家を出て、
それぞれ一人暮らしを始めました。

家族4人の暮らしが終わりました。
私は、止めませんでした。
当初は、一人の暮らしに慣れず、
ぽっかりと心に隙間が出来てしまったような日々を過ごしました。
誰も居ないのに、ただいまと言ったり、
料理を作ると、それまでと同じ様に
沢山作ってしまって、
現実を思い知ったりして、あ、そうだったと泣き笑いしたりもしました。

けれど、愛している事は何も変わりませんでした。
離れて暮らしても、常に気掛かりでしたし、助けになれることは、自分の生活を度外視してでも助けられることが
嬉しいと思っていました。

3年近く前になるかな、
家の階段を一段踏み外し
こっぴどく転倒すると言うことを、
あまり間を置かず2度ありました。
一度目は頭を強くぶつけ沢山出血し、
頭、顔が腫れ上がりお岩さん状態になり、2度目は、肋骨を強く打ったようで、
うまく深い呼吸も出来ず、痛くて身動きもソロリとしか出来ませんでした。
体の痛みで涙を流したのは、子供の頃以来かもしれません。

その頃の私は、
それまで大切に必死で守ってきた思いが無意味だったと感じて、ほぼ置物の様に、自分の内側を見続ける日々を生きていたのです。

病院には行きませんでした。
年齢的にも、必ず入院を告げられると
思ったからです。
それと、大丈夫だと心の深いところで
感じていましたから。

私思ったのです。
しっかりしなさい!と見えない守って下さる存在に叱られたなって。

少しずれたら、コンクリートの壁でしたし、ひょいと板のトイレの扉にぶつけて貰った、、、とね、
そう思ったのです。
私ね、幼い頃からそんな感覚を持つ子供でした。
振り返れば、そんなことが何度もあった人生です。



階段を2度踏み外さなかったら、
私は、どんどん体も心も老いて、
もしかしたら、今はもうこの世に居なかったかもと思います。

次男が、痛くて涙を流しながら起き上がろうとする母を、本当にあわあわしながら背中を押していました。
息子二人には弱い母を見せないように
生きてきましたから、
多分、心をヒリヒリさせてしまったなと
母は思いました。

家族にも誰にも、怪我した事はいいませんでしたが、たまたま次男が仕事の為に帰って来る日で、仕方なく、
ごめん、動けないんだとラインをしました。次男は怒って、どうして言わないの?その為に近くにいるのにと言っていました。

ありがたいな、神様ありがとうございますと感謝する、
私は少し変わった人です😄


おばあちゃんと呼ばれないかもと
思っていました。
それでも、それが自然の流れなら
それでいいと。
でも、思いもしなかった娘孫ちゃんの
ばあちゃんになれました😆

悲しみ、苦しみも、
自分の内側で沢山ありましたけれど、
それは、自分が生きた精算なんだよねと
思っています。
この世で学ばせて貰ったんだとね。

沢山苦しんだことも悲しんだことも、
学びでした。

両親よりも長くこの世で生きています。
守って貰っています。

関わってくれた方々、
家族の皆、
見えない愛しい存在に、
感謝しかありません。

ありがとうございます。