まず、クラリーチェについて。


とにかくメンタルが最強。健全of健全。

おかしいと思うことはきっちり言葉にするし、決して状況に身を任せるということをしない。
ので、本人にそのつもりがなくてもちょっとしたことで波風が立ちますよね、それはね。
きっと今後も波乱に満ちた生涯を送ることになるでしょう。

彼女は常に自分の意志を確認していて、自分に恥じない様に生きている。
ある意味、自己犠牲とは対極にあると思う。

意に添わぬ相手(ヴィットリオ)と結婚、あるいは床を共にする際、ビアンカは私さえ我慢すれば……、的な感じで受け入れるけど、クラリーチェは「私の気持ちはどうなるの?」と食ってかかる。

両国の平和 < 自分の意思。
だから後先考えずに初夜でヴィットリオを刺そうとする。


もちろん、他者はどうでもいいのかといえばそうではないと思う。
自分がそうすべきだと思えば何も惜しむことなく与えるだろうし、骨身を削って誰かを助けるだろう。
それが敵であったとしてもね。


薄暗いところが何一つない、王道の少女漫画ヒロイン。
人を信じ、他者を受け入れることのできる器の大きさがあるがために、幼さも相まって人にだまされやすいのが唯一の欠点かな。


ヴィットリオに「おもしろい女だ」と言わしめた彼女の気質は、間違いなくその不遇な(不幸、ではない)生い立ちからくるものだろうね。

クラリーチェは一国の王女ではあるが、母は忘れ去られた妾であり、共に寂れた城へ軟禁されて育った。
母が亡くなると会ったこともない父親に修道院へ送られ、かと思えばやはりろくに顔も知らなかった異母兄に敵国へ嫁がされる。


常に自分以外の何者かの意思によって振り回されている。
一方でそれを当然だと受け入れる教育は受けて来なかったので、反発するのは年齢的な幼さ(原作だと14歳)もあってよく分かる。

きっと幼い頃からきちんと自己主張を認められて育ったんだろうなぁ。
身分相応に、ビアンカみたいながんじがらめの教育を受けてきたら(想像だけど)ああはならなかったかも。
同じ国に生まれ育って、こうも正反対な人間が出来上がるんだからね。


そういう意味でクラリーチェに最も近しいのはファルコの妹、ロドミアだと思う。

演じるのは朝月さん。
彼女の声を張り上げるような役はひかりふる路以来?

元々の声質がどちらかというとこもるタイプかと思うので、最初はちょっと迫力不足かなと感じたけど、ロドミアという役はそこが主題ではないので全く問題ではなかった。
いやほんとに、いい女ですよあなた。


ロドミアはヴィットリオを一途に、それもかなりのはげしさで愛している。
その上でばりばり行動派で、貴族のご令嬢ながら最終的には酒場でたくましく生きていけるだけの強さがある。

クラリーチェと同じく意志を持つ女性なんだけど、じゃあどうしてヴィットリオはロドミアを選ばなかったのか?

何となくだけど、毒杯をあおったロドミアを抱きしめるヴィットリオの姿を見ると、彼もかつては彼女を愛したことがあったんじゃないかと思わせる。
その気持ちを、「支配者は人を愛してはならない」とかいう例の信念で押さえ込んだんじゃないのかと。

だとすると、ロドミアといい、クラリーチェといい、ヴィットリオの好みって割と一貫しているよね。
自分と対等に渡り合うような、自由な意志を持つ人が好き。
それでもクラリーチェを前に曲げた信念を、ロドミアには貫き通したのはなんでなのか。


私が思ったのは、作中で彼女が言う「愛するということは囚われるということ。自由を失うということ」みたいな台詞が鍵なのかなぁ、と。

ロドミアにとって、ヴィットリオを愛するということは彼に意志を奪われることでもあったのかな。
ヴィットリオの為にこうしたい、ああしたい、と思うのを、自分の選択ではなく、愛に責任をおいている。
私は本来こんな人間じゃないのに、彼を愛したせいでこうなったのだと。

その時点で彼女は本来持っていたはずの自分というものを見失ったのかも。
だからヴィットリオにすてられた。
変わってしまったロドミアにはもう興味がなくなったんだろう。


また明らかに、ロドミアのこの台詞はヴィットリオが後半にたどり着く「クラリーチェを思うだけで心は自由だ(意訳)」という答えと対になっている。

彼はここで「愛=束縛」というこれまで思い描いていた世界から抜け出した。
相手のことを思って自分自身が変わることすら自分の意思であると、だから今こんなにも自由なんだと受け入れている。

この価値観の変容が、今作では大きなテーマなんじゃないかなと勝手に思ってるんだけどね。


その点でラストのクラリーチェは、まだヴィットリオと共に暮らすこと=自由を失くすことだと考えている。
愛にすがって生きる様になってしまうと、そんなのは嫌だと言う。
ここまでは、ロドミアと一緒。

でもクラリーチェは、だからこそ彼と離れる決断を下した。
愛する人と共にいる幸せより、自分の意思を貫き通すことを取った。

ここが、二人の女性の最大の違いかな。
愛に囚われることを諦めて受け入れたロドミアと、抗ったクラリーチェ。


最終的にクラリーチェはヴィットリオの意志を聞いて、彼と同じ結論に至った。
自分の意思で、彼と共にあること、彼を信じて変わっていくことを選んだ。
霧が晴れ、朝日が昇るかのようなハッピーエンド。


一方でロドミアの方は、作中ヴィットリオの為に死んでしまう。
伯爵が注いだワインに毒が入っていることを証明する為に、自らあおった。

正直、彼女がわざわざ口にしなくても良い場面であったとは思う。
彼女がそのワインには毒があるとヴィットリオへ伝えた時点で、彼の命は助かっている。
敵に囲まれているのは変わらないけど、クラリーチェなら他のやり方を考え、ヴィットリオと共に生きてその場をくぐり抜けただろう。

ロドミアだって、それができないほど愚かな人ではないと思う。
分かっていながら、彼女はヴィットリオへ命を捧げた。
身分を失った彼女が、彼の為に命をかけられるのはそこしかなかったから。

大義名分を掲げた自殺みたいなもんだと思う。
酒場の辺りの彼女は、ある程度自分を取り戻していた様に感じたけど……。

結局、ヴィットリオを愛するという呪縛からは逃れられなかった印象。
というより、逃れないでいることが彼女の選択だったのかな?

どちらにせよ、本人は満足していたのではないかなと思うけどね……。
原作通りだから仕方がないとはいえ、生きて幸せになって欲しかったなと願うのは観客のエゴなのかなぁ。