私が思う真彩ちゃんの最大の魅力は“圧倒的な多幸感”

太陽の下で真っ当に生きる様な人がほんとに似合う。

琥珀のシャロンは陰性な美女だけど、それは彼女がそう言う仮面を被ってるからで、本質は違う、って感じだったし。

同じく影のあるマリーアンヌはただ不幸な過去からトゲをまとっているだけで、根の真っすぐさや力強さはまさに真彩ちゃんこそだと思う(新人公演バージョンと比較すると特に)。

お小夜、ジョアン、クリスティーヌもそう。
リリーなんて真骨頂とも言える陽性の美女だし。


だからこそ、しづがどんな風になるのかがちょっとだけ不安だった。
出番の量的な意味も大いに含めて。


真彩ちゃんのぱぁーーん、と外へ弾け出す様な光が、しづという役にマッチするイメージがつかなかったから。

しづは小説を読む限り美人薄命を体現するかの様に体が弱く、儚い女性に思える。
何事にも控えめで、人を責めない。

元は農民であるからこそなのか、武家の妻とはかくあるべき、というのを現代人の私から見れば「そこまで!?」と言いたくなるほど体現している。

だから夫との今生の別れを分かっていても見送らないし(原作ではね)、息子が侍として死地へ行くのも止められない。

悲しい女性だよね。
そしてこの時代にはありふれた女性だったのだろう。真彩ちゃんもプログラムで言ってたけど。


とにかく、“私が思う”真彩ちゃんが最も輝く役とは正反対だった。
強調するけど個人的な意見としてね。
人がどう思うかは知らない。


まあ、それでも真彩ちゃんならきっとなんとかしてくれるだろう。

それなりに出番さえあれば。


と思っていたので、ある意味祈る様な心地でmy初日を迎えた。


……いやさ、おんなじ演出家の人が描くおんなじ新選組の舞台として、誠の群像があるやん?
あれにおけるお小夜の存在って、いても居なくても物語に支障のない、宝塚だから恋愛要素入れておくか、みたいな、そんな感じに見えたのね。

既にマリーアンヌを劇場で体感した後だったから、余計に真彩ちゃんには役不足に思えた。

あんな感じの描かれ方だったらやだなー、って懸念してたんだけど。


蓋を開けてみれば、そんなの吹っ飛ばされるくらい良かった。
泣かされた。


出番は決して多くはないと思う。
でも随所随所で出てきては、ぐっと何かを残してくれる。


印象に残るのは、腹に子を宿したしづが入水自殺しようとした後の場面。

本来、子が産まれるのはめでたいこと。

けど、現状の吉村家にとって赤子が増えるのは、食べるものが無いのに、食い扶持が増えるということと同義。
実際、姑はそれを知って自ら餓死を選んだ。

それでもまだ足りない。
腹の子を生かせば、喜一郎とみつを飢えさせる。


だからそうなる前に胎児と2人で死ぬ。命を間引く。

そんなしづの選択を、貫一郎は責めない。

彼女の見立てはきっと正しい。
死んだ人間の肉を食わねばならんほどの飢饉の最中なんだから、ほんとに現状では生き残れないんだろうな。

貫一郎にとって辛いのは、しづも決して彼を責めないところだ。
甲斐性なしでもなんでも、責めてくれた方が楽だったろうに。


しづも貫一郎も、似た者夫婦だなぁー、と思う。
徹底的に自己犠牲の精神。

真彩ちゃんと、彼女を慰める様に抱く望海さん。

観劇時は席の関係でしっかりは見れてないけど、2人とも己の不甲斐なさに嘆く様な顔をしていたと思う。


そこに追い討ちをかけたのが、嘉一朗@彩海くんと、みつ@みちるちゃん。


「僕は兄だからお腹なんてすかん!」
「私もご飯なんていらない!」


そう決意する2人のいじらしさ。

彼らは本気で己の分の食べ物を、大好きな母とまだ見ぬ弟へ渡そうとしている。
幼いなりの、本気の覚悟が見えた。

この2人の表情が、ほんっっっとに良くて。
いたいけでありながら、既に我慢を知る力強い子たちだった。

それを受けて泣く、真彩ちゃんの悲鳴がぎゅっとこちらの心臓をつかんでくる。


自身が守らねばならぬ幼子に、こんな悲しい決意をさせてしまった。

子供らの思いは本物でも、その先にあるのが祖母と同じ餓死であることを、彼らはまだ幼さ故に見通せていない。

“死”がどんなものかも分からずに、死へつながる道を選ばせてしまった。


真彩ちゃんの深い絶望が辛すぎてつらすぎて……。


真彩ちゃんのこんなお芝居、今まで見たことなかった。
今までは絶望してても奥底には希望や闘志が見えたけどさ……今回はほんとに“”。

ただただつらい。



後は、貫一郎が脱藩した後の吉村家の窮状。

身を寄せた親戚の家で、彼らは冷遇される。
貫一郎が送った金も、女性2人にむしり取られる始末。

それに対して息子の嘉一朗は、それは赤子の薬代だと怒って剣を抜く。
そんな息子を、しづは平手打ちで止め、頭を下げさせる。

自身のかんざしを嘉一朗に渡し、薬代へ代えろと言う。


なんて悲しい場面だと、観劇時に泣いた。
誰も攻めることが出来ない。

脚本家はこの女性たちをあからさまに嫌な人間として描いているが、彼女たちだって裏を返せば家族を生かすのに必死なはず。

脱藩という“ズル”をした結果、新しい筆(だっかな? 曖昧……)やら着物やらを買う余裕があるほどの金を得ているのに怒りが湧くのは人間として当たり前の心理じゃないかと思う。


……ほんとなんでああいう演出にしたんだろ。

もう少し、この人たちも命がけなんだなぁ、と分かるようにしてくれたらもっと深みが出ると思うのに。


閑話休題。


一方で、彼女らに刃を向けた嘉一朗の気持ちも痛いほどよくわかる。

父を侮辱され、赤子の薬代を取られ。
常日頃から、脱藩者の息子、罪人の息子と謗られて来たんだろう。

だからこそ、しづも場が収まるとそれ以上は嘉一郎を叱ったりしなかった。


泣くみつを包む様に抱き、堪えてくれ、と言い聞かせる声の温かみにまたもや涙。
自分の悲しみも何もかもを後ろに置いて、一心に娘を慰める姿は本当に親だった。


またみちるちゃんの泣き方がほんとに胸を打つのよ……。

吉村家に芝居上手しかいなくて、ほんっっとに良い家族でした。



総括

しづを演じる真彩ちゃんを見て、元々私は彼女のことを好きだけど、さらに好きになった。

私が思う最大の魅力である多幸感を封じられ。
技術的には一番の武器であろう歌も、ないことはないけど人を圧倒する様な大ナンバーではない。

そんな中でも、きっちり芝居で仕上げてくる。


さらに嬉しいのは、きっとまだ先があるだろうという期待も残ってること。


20世記号の時も思ったんだけど。
だいきほコンビは演者としての極みに到達しつつある望海さんが、真彩ちゃん含む他の組子さんを引っ張りあげてるイメージを持ってる。
 

望海さんはある意味初日から完成されていて、後はそれをどう彩るかっていう、横軸の移動。
エリックも日によって演じ方が違っていたけど、どれが劣ってるとか優っているとかではなく、好みの問題。

それに対して真彩ちゃんは高いレベルで打ち出したものがさらに回を重ねるごとに上がっていく、縦軸の移動。
つまり発展途上。

クリスティーヌだって、序盤の頃と比べると最後は鮮やかな変化を見せてくれた。


いつでもこちらの希望を飛び越えてくれる人だから、今回も疑いなく信じてる。
真彩ちゃんの熱演に期待しております!