近所のコンビニに買いものに行くだけの行為

 

ゾックとする恐怖を感じた。

 

うる星やつらの映画の場面のようだ。

 

ふと自分の人生について振り返ったからだろう。

 

大学受験の指導

 

なんて薄っぺらな人生なのだろう。

 

大学受験

 

やればやるほど価値を感じなくなる。

 

英語にしたって、本来道具のはずだ。

 

大学最高峰の東大合格者でさえ、アメリカの英語に授業どころか

 

高校生の授業にもついていけないレベルの英語力だろう。

 

私のやっていることは、日本教育の欠陥を利用して

 

生徒のサポートをしているだけ。

 

わかりやすくいうと

 

教育の世界はポンコツだらけということだ。

 

細かなスペル、文法の重箱のミスをあら捜しして身にはつかない。

 

英語なんて、最低限抑えるべき文法を理解したら、

 

あとはひたすら動画を利用して、発音を覚えた方がいいに決まっている。

 

なぜなら言葉は音から生まれたからだ。

 

歴史、先史という言葉がある。

 

歴史とは文字になって記録された情報から過去の出来事を分析する作業だ。

 

ほんの6000年ぐらい。

 

でもアフリカでホモサピエンスが観測されたのは700万年前、

 

桁が違う。

 

つまり文字がない状態で人間社会は成立していたということだ。

 

音が言語の原点ということ

 

でも日本の英語教育では、リスニングが怪しい教師?といわれている

 

ポンコツがどこにも通用しない英語?を教えている。

 

そんなことを考えながら夜の道を自転車に乗っていたら

 

意識がそこにいってしまった。

 

普段は無意識に隠した事実

 

自分のやっていることは何も意味のないことだということに

 

夜の暗闇は、それをアンプした。

 

でも、自我を何とか保ているのは、

 

法学だ。

 

法学は勉強して面白い。

 

よく考えつくされた知の結晶だ。

 

初見で見過ごした情報は実は別の情報の伏線だったというのはよくあることだ。

 

さあ、法律の勉強をしよう。

 

私は法律の勉強ができる。

 

これ以上何を望むか。

 

十分幸せだ。