私の人生
予備校、高校どこに務めてもいつの間にか「あの先生帝大出身らしいよ」という噂がたつ。私は、限りなく黙っているのに。私は、名古屋大学法学部を卒業した。でも高校を出て、初めに通った大学は埼玉大学の夜間だ。当時、英語を見ただけで吐いていたので、どこの大学を受けようが落ちていたろう。埼大の夜間は、数学と現代文だけで受験できた。おもしろいことに高校を卒業したとたん、吐くのが止まった。大学生になり、近所の塾講師になった。経済だから社会を担当したいといったら英語になっていた。それから独学で英検2級、準1級と取って、塾から予備校に場所を変えた。吐かなくなったが、英語には全く興味がなかった。ただの復讐だ。予備校講師になって、現役高校生に紛れてセンター試験を受けた。英語満点、社会90点前後、国語180点ぐらい。国語は古文がさっぱり、さらにはやる気もゼロ。私が英語を見て吐くようになったのは、中学の英語教員による毎日の拷問が原因だ。いきなり殴られる。「お前、今右を見たな」殴られるのはエスカレートして、最後は、髪の毛をつかまれて引きずりまわされて、蹴りを入れられ、そして殴られた。理由は、進路指導でそいつのいうことを聞かなかったからだ。当時5段階評価は絶対評価で、5はクラスで1人という具合になっていた。私は、北辰テストという業者テストにおいて理数は偏差値70,定期テストもクラスで1か2番以外とったことがない。でもいつも3だった。近所に住んでいた同級生の母親が学校に通う姿とともにいつも噂の中心にいた。噂では、英語の教員が金をせびってその母親にお金を積ませ、絶対評価を利用して、私の成績と入れ替えたというのがもっぱらのうわさだった。その母親は、私が名大法に進学したころに自宅で自殺したそうだ。真面目な人だったのだろう。罪の意識を背負ったまま生き続けたのだろう。当の教育は何の咎めもなく定年を迎えたらしい。30歳になって予備校も含めた教育に嫌気がさしていた私は偶然弁護士の仕事を知る機会に恵まれた。予備校を辞め、その足で法律事務所に入社した。もう一度大学に入って勉強し直そう。当時、東大法後期試験で、英語、国語、社会で受けられた。A日程が名大法、後期が東大法職場の同僚から3年次編入試験があると知らされた。東大はないが名大ならあるらしい。名大の試験は受かった。その段階で勉強を大学入試から司法試験に切り替えた。そして名大法へ進学した。司法試験最終合格は叶わなかった。問題が起きた。3年次編入合格者は、教育業界では、蔑視されることを知った。「名大を出たのですか」私自身からは、一言も言っていない。そのうち、編入であるとわかると手のひらを返したように冷たい態度を取られる。明日は、授業がある。生徒には、正直言おう。聞いてもらえるかはわからない。私のこのくだらない話を