年を取ったなぁ(年上の方には大変申し訳ないが35を超えたときに、やっぱりなんかそう…思わなかった?)とふと思うときに、私は妻とよく話すことがある(毎回似たような話)。何回も同じような話をするとボケているのかと自分でも思うことがあるけれど、きっとそれは確認のようなもので、まぁたぶんボケじゃない笑。そうだなぁ…いうなれば自分の足跡を見返すような。後ろを振り返ったらやっぱりそうでしたよね?とか…要はそんなようなものだ。不思議なもので私は何度話しても飽きていない。私はだがニヤニヤ




キーワードは

「勘違い」と「勢い」


若いときというのはこの二つで構成されていると言っても別に過言というほどでもないと思う笑。それくらい、この二つは私たちにとって(勝手にそう断定しよう)重要なものだったし、すでにもう失ってしまったいまとなってはちょっとした「喪失感」みたいなものが…私には妻と共通のものとなったことで、たまの深夜に始まるアレのことだ、今日もよろしくと言わんばかりに私たちを盛り上がらせているのだと思う。もっとも、私の場合「前者」は一生持ち合わせている自信があるわけなのだが。




考えても見て欲しい。人生、どう見積もっても長すぎると思わないか?中年みたいなものにさしかかりつつあって、ようやくこれだ。ええと、まぁ最後の方から見たら絶対に「短かったなぁ」と言う自信があるのだが、これがまた… 先がまだある状態からしたら…普通に考えてとんでもなく長いわけだ。



と、いうわけで


端から見たら多少バカなことでもしていないと、やっていられない、とまぁそんなところだと思う。バカの一つ覚えとはよくいったもので…ああ、いっそタイトルそれに変えたろうかな…なんて思うほどだ。真顔


そんなもんだから私は

「真面目に生きなさい」とか、もう絶対子どもには言えないんだよね…。っていうか真面目って何だよ、もうそんな話だけでも妻とは何時間も話せると思うよ。ただうちにかえって意図してこうやって話しだすと、絶対に脱線してクソつまんない話になるのが関の山だから普段は "ゼッタイに"しないのだけど笑、




おう。絶対にしない、何故かこういうシンパシー発生するときはちょっとセンチなときに限って起こる現象であって、ズバッと一言でいうと「運命」的なものだと…まぁいえると思うんだよニヤニヤ



つまり、狙ってトリガーを引けないのだ…。感動という体験をお互いが共有するためにはどうしてもある程度の「試行回数」が必要になってしまうというのがネックとなる。いや、決してピカピカ光るうるさい台的な話をしているわけではない



なおかつ、ひとまず腹落ちする話が出来たときって、高確率で翌日朝が早いとか、普通に忙しいとかそういうときに限って発生する…本当にそういうもの。振り返って美化した良い言い方にすると「あんときのちょっとエモいイベント」そんな感じニヤニヤ





そうだな、「勘違い」、それをもう少し踏み入って内容のことをいうと「自分はやれば何でも出来る」とか、そういう思い込みのことだ。(本当のところはそんなわけないのは誰よりも自分が知っている笑)だが、やはりそうでも思っていないと「何かやろう」って思ったときにちょっとした批判でも不安になるし、勝手に自爆もしていくしで、いまの時代すぐ心折れるよねチーンチーンチーン





これはきっと考え方の問題もあると思う。いまでこそ私は少しは人の話を聞くようになったものの(いい歳して何をいっているのやらデレデレ)、過去、私は本当に人の話を聞かなかった人間だと思う(さすがに注釈はつけさせてもらうが驚き)。まぁ正確にいうと意味合いは少し違うのだが、意見を確かに聞いているのだが、どうにもそれが信じられなかったからだ。自分が違う視点をもつことを自分が恐れていた。自分が体験したことしか信用できずに、結果として行動に移さないことから→聞いていないと、こうなるわけだ。したがって結果がそうなってる以上、もう何とも言い訳がしにくい(だからガキの頃は言葉に出来ないことも多かった)。




まぁ頑固なのだろう。私のこういう性格は、変わったといえば変わったし、変わっていないといえば変わっていないのだから…。こうやって自分との対話をずぅーーーっとこれからもネチネチネチネチ続けていくんだと思う '`,、('∀`) '`,、。


だがそんな私でも確実に変わったことが一つだけある。それは、自分だけの世界には価値がないってようやく気づいたわけだ笑。昔から一人遊びが好きだったから、きっとこうやって拗らせたのだろうけれど、実際問題、社会を知って現実を知って…まぁこれではいかんなと。たぶん思った笑、いやもう笑うしかない。



そう、結局


生き方に迷ってた。


自分だけの世界は大事にはするが、殻は破るためにあるのだ。籠るのは、本当に死にそうなときだけ。そうでないなら扉は開けておくべきだと思う。閉じ籠ったら、誰のためにもならんのだ。


何をしていたら怒られないか、こんなことしてていいのだろうか、そんなことがいつもつきまとって…こびりついて…なかなか頭から離れない。いまだってそうだ。



大人になれてない。めちゃくちゃそう思う。でも、大人だ。誰かに大人になったねって、いつかいわれる日が来るのだろうか。普通の人はそんなことを考えて生きてなどいないと思う。私が…バカなのだ。



では、定義を定めようじゃないか、私は私と約束する。今後、ブレてたら、きちんと反省するし、もし考えが変わったのなら、そんときまた宣言するわ笑。



大人(親)になった私が思う大人とは、他者を思いやることが出来る人間で最後まで人を信じてやることが出来る者のことをいうと思う。まぁ別にそれだけってわけでもないしね。そもそも色んな人がいるから。決めつけないから大丈夫。


柔軟さや、寛容であるかも立派な要素だ。




まぁやっぱ「勘違い」してるよね。爆笑爆笑爆笑



また、こういうの書きますわ笑