はいな。
最近、この世界って
つくづく平等なんだと思うようになりました。
ま、先日、西区のハンバーガー屋さんで
子供連れのお洒落で優雅なご夫婦が
テイクアウトでハンバーガーを2つ買って帰られてました。
また、普通に独りで、
別に店主と話すわけでもなく
ランチとして
1,500円のハンバーガーを
普通に食べてる人もいました。
僕らは休日の友達とのランチだと
一食、1,000円未満を基本とし、
一人だと500円前後を基本とします。
なので、1,500円ランチなんて
清水の舞台から飛び降りるような
特別なイベント事になっちゃうわけです。
ディナーや呑みが入るなら
それくらいは遣っちゃうけども
普通のランチとしてなら
まず、1,500円は、あり得ないと感じてます。
で、考えてみると
年収600万円以上世帯だと
有り得ない事もないのかな。って。
世帯で600万円なら、
有り得ない金額ではないですね。
個人で600万円となると、
かなり厳しい話になるわけですが(^^;
で、なんで、こんなに差があるのかな?
なんて考えてみたりするわけです。
見た感じでも、たぶん、
毎日の残業や技術なんかを考えても
そんなに負けてる気もしないし、
逆に勝ってるとすら思えてしまいます。
じゃ、なぜ?と考えてみると
確かに年収600万円なんて
軽く超えるチャンスは
今までに数度あったわけですが、
その責任の重さや
妬まれる視線に耐えれなかったりして
そのチャンスから逃げちゃったわけです。
その地点は小さな差、かも知れませんが、
偶然や、なんらかの小さな差にしろ
そうしたチャンスから逃げた人と
そこに残った人の差が
大きく出ちゃったわけなんでしょうね。
電車で言えば
押されたり、波に流されたりしたにしろ
その電車に乗った人、
混雑した電車に、文句を言われながらも乗り込んだ人、
それとは違い、
混み具合や、必死に乗ろうとしている人、
いろんな事を考えて
後退りして乗らなかった人とでは
思っていた以上に
到着時間に差が出たりするのは当たり前で
到着に合わせたバスなんてのも
出ちゃってたりして、
一本遅らせただけなのに
目的地にすら辿り着けなくなることだって
有り得ますからね。
ある意味、無理してでも
その電車に乗った人は
バスにも乗れて
うまく、目的地までたどり着き
のんびり楽しめて、
こんなに混雑した電車には、ちょっとと
見送った人は目的地に辿り着くのすら
危うい状況に追い込まれる。
乗った人は平等に目的地に着けて
乗らなかった人は
目的地に着くのはとても難しくなる。
ある意味、とても平等なんですよね。
レールから外れた人も
乗り遅れた人も
皆、平等に恩恵を授かれるように。
って、平等主義の人は言うけども
これは不平等になるように感じてます。
結果を見てから平等じゃない!
恩恵を授かってる方と一緒にして!!
って叫びは、あまりにもご都合主義的で
身勝手でわがままに感じてしまいます。
これが逆の結果だと
取り残された人は文句を言うでしょうか?
言わないですよね。
結果が良かったから言うわけですよね。
それって、おかしくないですか?
例えば、先ほどの話で
結果を平等にして欲しい!と叫ぶ
乗らなかった人が
もし、乗っていた人が、その電車が
事故にでもあって、皆が負傷した場合、
乗らなかった人は無事だった場合、
乗らなかった人達は
不平等だ!私たちも事故に合わせるべきだ!
と、
絶対に声をあげないわけですよね。
結果がよければ
参加してなくても一緒にしてくれ!
ってのは
あまりにも身勝手な発言に思います。
それは不平等ではなく
果てしなく平等な結果であると思います。
変な平等感を植え付けるから
不平等と感じ、
うまくいってない自分の姿から
世間の理不尽を恨むような結果になる。
その結果が平等であり
自分の選択の責任であると分かれば
責めるのは世間ではなく、自己になる。
そして、
他愛もない選択肢の重要性を実感し
多少は我慢してでも
選択肢に食らいつこうとする。
選択肢を間違っても
結果を平等にすべきといった
誤った平等感は
選択肢の重要性を薄くしてしまい
チャンスを作り掴む事の重要性を見失う。
世界は理不尽でもあるけども
それほど不平等でもなく
限りなく平等に、
結果は冷酷に導き出される。
冷酷な結果を前に
泣き言を言ったところで
何も救われない。
基本的な根本を放置して
あなたは悪くない。
なんて言ったところで
何も解決しない。
選択肢の重要性、
何を間違えたのかを考えることもなく
その地点のみ拾い上げたところで
また、同じ結果に戻っていくばかり。
と考えると
今ある結果や現状を
分析し見つめない限り
何も始まらないと思うわけです。
トップグループや
前を走ってる人達に追い付く事は難しくても
第2グループや第3グループ、
自分の今居るところから出来る事が
自ずと見えてくると思う。
それを伝えず、無責任に
可能性だけを伝えるのも
どうかと思ってしまうわけです。
世の中は平等です。
特に人間は生きる期限があり、
その年齢については
かなりシビアに判定されます。
それは生きている以上、
誰もが平等に年老い、死んでいく以上、
どうしようもなく平等に
出来ることも可能性も
年齢により減っていきます。
これは不平等ではなく
平等に訪れる、訪れた結果だと思うわけです。
この世界は限りなく平等で
そして結果は冷酷です。
其の中で、
1つでも可能性を広げるため
チャンスを捻り出すため
日々の生活があるんだと思います。
結局、日々、頑張るしかないんですよね。
毎日、努力して頑張る!
足掻き、苦しみながらも、
出遅れた世界で、
なんとか生きていこうと頑張る。
そして、
受け入れれる結果に
なんとか持っていって
人生の終劇を飾る事が出来たら
僕の人生は上出来だと思います。
逃げ回ってきた人生ですからね(^^;
それにしても、よくしがみついていると思います。
ここからは、
しがみついてるだけじゃなくて
なんとか這い上がっていこうと思います。
どんなエンディングを迎えれるのか?
今が踏ん張りどころですね(^^)