メニューを撮るの忘れたのでHPから
たぶん、太陽フレアは作り話だろうなと思う
なんせあのNあSあが言ってるし
何かが起こると予測して煽るのは計画だからだと思う
画像もなんだか怪しいし、これから↓が稼働するからか
太陽のせいにするためかも
磁気がおかしくなって預金が無くなるとか言うなら
なおさらデジタル通貨を推進するのおかしいんだけど…
パブコメは一体、何のためにあるのだろうか?国民からの意見を聞いたという、ただの既成事実作りのためか?
— 終わりの始まり (@AGCjK502Dn0NRZb) May 8, 2024
今度は、6G案件だと。
締切:2024年5月14日0時0分https://t.co/QS7Y8bAEVP pic.twitter.com/wYwgDZIpSR
突っ込みどころの嵐
— macaron (@fraisst) May 8, 2024
AIに乗っ取られる未来しか想像できない
AI同士の連携…
端末に掲載されたセンサー同士が連携AIとAIが協調…
p39https://t.co/OHUL6rSvr4 pic.twitter.com/FO3BZpb9RO
取り急ぎ1通目
— macaron (@fraisst) May 8, 2024
5Gの安全性すら懸念がある中、諸外国が開発するからと
安易に6Gを推進するのは如何なものかと存じます。
国民の健康への影響がある可能性があり危険ですし、
とても不安に思います。
G7他国がやるから実施するのではなく
やらない、様子見をする勇気を、決断をして頂きたく存じます。 pic.twitter.com/TVcfa3VvW2
#岸田文雄 #5G #ダボス会議 #WEF ☠#電磁波 #電磁波攻撃 #パブコメ #6G
— 🩷縄文人🩷 (@JOMONJIN_) May 8, 2024
⚠️🏴☠️絶対阻止💥危険💥傀儡岸田🏴☠️⚠️
国民の皆さんの生活が危険に晒される‼️
どうかパブコメで抗い皆で阻止すべし‼️ pic.twitter.com/wC7TKOIreA
2024.3.12【テス・ローリー博士】
— WCHJapan -ワールドカウンシルフォーヘルスジャパン- (@WCH_Japan2023) March 12, 2024
それは私たちを見ています
📝#5G #電磁波 #ワイヤレス
スティーブン・J・デラニーのサブスタック(記事)からhttps://t.co/3xagSz6Yny… pic.twitter.com/WfKeYU9cA2
価格が決まっている日本では
チップや交渉文化の外国は面倒くさいと思う
関西人も値切り文化で、面倒くさいと思わないのかな?
20代の頃、地元の駅ビルの中華でランチを食べた時
おつりの札を、ものすごい速さで中国人のおばちゃんに目の前で数えられ
店を出て後で確認したら千円札が1枚足りない事に気づいたけど後の祭り
中国人ってそうなん?と学習した
次からは、高速で数えられたら
その場で自分でおつりを確認して店を出ようと思った
↑こちらより抜粋
越後屋商法が始めた正札販売、これはその後の日本を変えた。
日本人は商品の価格というものが
基本的には適正に決められていると信じている。
そして「正札(しょうふだ)」とは商人が一方的に決めるものだから
それを適正だと信じるということは
商人が暴利をむさぼるものではないと信じていることにもなるわけだ。
だからこそ若い人に「掛値とはどういう意味か?」
と聞いてもほとんどの人が答えられない。
「掛値」とは、実際の売り値(適正価格)より高い値段のことである。
まともな商人は掛値をしないという信頼があるから
日本人はあまり値段を値切ることはしない。
日本の中では、かつて商都であった大阪の住人
あるいは古い商習慣を持つ京都の住人は今でも
「値切る」が、他のところでは
「値切る」ということはほとんどしない。
ところが日本を一歩出ると
値切るというのは当たり前の「文化」である。
というのは
「商人は掛値をするもの」という常識があるからだ。
そもそも「商人」という言葉自体、差別用語であった。
中国で存在が確認できる最古の王朝殷(いん)が周に滅ぼされた時
多くの殷の民が流浪(るろう)の民となった。
定住地を持たない彼等は、農業や工業に従事することができず
やむを得ず交易をするようになった。
殷というのは国名だが、彼等の民族としての名は「商」といったので
こうした定住地を持たず交易に従事する人を「商人」と呼ぶようになった。
これを「農民の哲学」である儒教は徹底的に差別し
士農工商という「四民」の中では一番下の位置に置いた。
商人は物を生産せず、右の物を左に動かして労せずして利益を得るからである。
だからその儒教の中でも最も保守的な朱子学に染まった老中松平定信は
「商は詐なり(商売とは人を騙すことである)」と言った。
西洋でも事情は同じで
商売とは差別され土地を持てないユダヤ人が多く従事した。
キリスト教徒のユダヤ人への偏見もあって
ユダヤ商人とは
「シャイロックのように悪いヤツ」(シェイクスピア作:ベニスの商人)
ということになった。
掛値など当然するだろうという感覚である。
そういう外国の常識を見れば
私が「正札文化」という言葉を使う意味も理解してもらえるだろう。
外国生活経験者で、直接外国人と売買した人は
ある種の「違和感」を覚えるという。
それは、かなり気心の知れたと思っていた相手でも
こと売買になると「法外な」値段を吹っかけてくる。
もちろん、こちらが値切れば「交渉」には応じてくるのだが。
この点に関しては中国人もアメリカ人も大差はない。
東洋と西洋の差はないということだ。
日本以外はすべてそうだと言ってもいい。
その証拠に、日本で発行されている海外旅行のガイドには
それがどの国への旅行であっても買い物についての注意として
「値切りなさい」あるいは「値切る事が出来る」と書いてある。
なぜ「法外な」値段を言ってくるかといえば
「値切られる」つまり「交渉がある」ことが前提としてあるからだ。
逆に言えば「値切られてもいい」と思っているから
最初は「一万ドル」と言う。
これに対して買う方も「五千ドル」とは言わない。
むしろ「一千ドル」という。
売り手にとってはトンデモナイ価格を言う。
それに対して「いや八千だ」「それなら三千でどうか」
「いや六千」「ならば五千でどうか」という交渉を経て
ようやく「適正価格」の「五千ドル」になる。
これが「掛値文化」だ。
掛値すなわち「吹っかけられた法外な価格」である。
もちろん、外国でも正札販売はあるが
基本的な商行為は掛値の世界なのである。
だからこそ値切るのが常識ということになる。
商人というのは差別の対象だったと言ったが
もちろん許されるべきではないのだが
商人の側に差別を助長する行為があったことも事実だ。
砂漠の隊商(キャラバン)は武装しているのが当然であった。
砂漠の真ん中には警察も軍隊もいない。
いざという時は自分で自分を守らなければならない。
そのキャラバンと別のキャラバンが砂漠の真ん中で遭遇したとしよう。
こちらは香料を、向こうは金塊を持っている。
これは代表的な貿易品で互いに必要としているものだ。
では、ただちに交易が始まるかといえば決してそうではない。
それぞれのリーダーはまず相手の武装度を見る。
相手の武装が極めて弱く、戦えば必ず勝つと判断したらどうか?
たちまちキャラバンは盗賊となって相手を襲い品物は奪い
男は殺し女子供は奴隷にする。
なにしろ砂漠の真ん中だ、見ている者も罰する者もいない。
もちろん、海の上でも事情は同じだ。
貿易船というのは、朱印船や勘合船のような官の貿易船以外は
海賊船を兼ねていた。
商行為というのは、まさに暴力団の麻薬取引のようなもので
油断をすれば品物だけでなく命まで取られるというものであった。
だからこそ商人とは
「ドロボーと紙一重の連中」という見方も生まれた。
「差別を助長する行為」というのは、そういう意味だ。
朱子学はもともと商業蔑視の哲学だが
こういう要素もそれを推進させた。
正札文化の日本人は
何となく「値切る」という行為が悪いものだと錯覚している。
なぜ、そう錯覚するかといえば
「商人の設定した価格は正しい」という信頼感があるからだ。
この「倫理性」こそ正札文化の本質なのだが
これは外国人にはまったく通用しない。
だから、外国人から見れば
「日本人は絶好のカモ」ということになる。
日本の場合、正札文化がもともと成立しているところに
「武士は食わねど高楊枝」つまり
武士たるものは金銭のことをうるさく言うべきではないという武士道が生まれ
これが明治の社会の身分の撤廃で融合されてしまったという問題がある。
ますます「値切らない」文化になってしまったのだ。
略
さて、紀文や奈良茂のような「政商」に対して
三井や住友は「民商」だと言ったが
同じ「民商」でも両者はかなり中味が異なっている。
三井が「呉服屋」で「スーパー(デパート)の元祖」であったのに対し
住友は「精錬所」で「近代工業の元祖」であった。
住友は「食いっぱぐれのない商売」の両替商にも進出する。
これは明治になって住友銀行に発展していく。
しかし、幕末維新の混乱期には一時廃業したこともあった。
それでも、住友家自体は存続しており
やがて住友財閥として復活する。
その秘密は銅山であった。
略
住友家は傘下(さんか)の住友銀行や
住友鉱業を含めた全体のオーナーとして
住友合資会社という持ち株会社をつくり
一族が無限責任社員となる。
そしてグループ企業の経営は
一族以外の優秀な人材を招聘(しょうへい)した理事があたる。
そのトップが総理事ということだ。
この点は、三井も三菱も同じであった。
というより、いちはやく合名会社(社員はすべて無限責任)
を作った三井や、同じく合資会社とした三菱に比べて
住友の近代化すなわち個人商店としての住友総本店から
合資会社への転換は遅かった。
三井・三菱が明治期にそれを完了していたのに
住友がそうしたのは大正期に入ってからだ。
これが、三井・三菱・住友・安田・第一の五大財閥となって
昭和の経済界に君臨していくことになるわけである。
三菱は、幕末維新期に海運業を創始した
岩崎弥太郎が発展させたものだし
安田、第一も明治生まれだから
三井と住友が江戸以来ということになる。
三井は、越後屋呉服店という
「デパート・スーパーの元祖」から興隆した。
明治になって、呉服商自体はやめたが
早い段階から商社を設立した。
これが三井物産である。
一方、住友はもともと精錬業泉屋として
「モノづくり」からスタートしたため
明治に入っても鉱業が中核で、商社部門の設立は遅れた。
結局、双方とも「一族」であるがゆえに
やはり「遺伝子」を持っているのである。
「商」の三井と「工」の住友か。
それが今では三井住友銀行となっているのだから
まさに世は有為転変というべきか。
ところで、明治以降、日本の近代化は急速に進んだが
中国や朝鮮半島に比べても、そのスピ―ドが速かったのは
日本が基本的には商業蔑視の儒教に毒されていなかったことが大きい。
儒教は「労働」を軽蔑し「商売」を「悪」ととらえる。
だから士農工商なのである。
ではなぜ韓国が発展したかといえば
それは日本に併合されたからだろう。
もちろん中央政権である幕府は「儒教の国教化」によって
信長・秀吉の頃にはあった商業的センスを急速に失っていくのだが
商人の世界はむしろ恒久平和が確立されたこともあって
「資本主義化」が進んだ。
こうした「受け皿」が江戸期に発展したからこそ
明治期の本当の資本主義化(=近代化)がうまく行ったのである。
その代表的な具体例が、為替の発達であった。
米を買いたい者は、大坂の米商店の江戸支店に千両払い込み
確かに受け取りましたという領収書をもらう。
これが為替になる。
そして、為替という「わずか紙一枚」を持って大阪へ行けばよい。
本店で為替を差出せば千両分の米を渡してくれる、というわけだ。
「かわす(交わす)」という言葉が
名詞化したものが為替の語源であるという説を紹介したが
とにかく日本人はこれが「当たり前」だと思っている。
しかし、それは違う。
やはり「日本の常識は世界の非常識」なのである。
ここでユダヤ・ジョークを一つ。
古代ローマが貴族制の頃、ローマ人の貴族がユダヤ人の奴隷を使っていた。
そのユダヤ人は大変賢い男だったので
ローマ人の主人はその男に
「バカ者のリスト」を作るように命じた。
奴隷は早速作ってきた。
そこには当時有名な文人や政治家の名が載っていたので
主人は喜んで読んでいたが、最後に自分の名があったので
顔をしかめて奴隷を怒鳴りつけた。
「これは一体どういうことだ」
「私もつい最近までは御主人様を賢者だと思っていました。
しかし、御主人様はこの間エジプト人の商人に先払いで品物を買われた。
私は、あの商人は決して品物など送ってこないと思います。
もし送ってきたら、リストから御主人様の名をはずして
あのエジプト商人の名を入れましょう。
寓意はおわかりだろうか?
ユダヤ・ジョークだから、エジプト人(現在エジプトはイスラム教国)が
悪者にされているが、問題は「イスラエル対アラブ」ではない。
商人などというものは決して頭から信用してはならない
ということをこのジョークは言っているのだ。
そして、それが世界の常識なのだ。
「商」という中国語自体、差別的なニュアンスがあることは既に言った。
もちろん西洋でも中近東でも同じだ。
ところが日本には
「商人とドロボーは紙一重」という「常識」が無い。
お気づきだろうか。
これは「信長」や「綱吉」と同じことなのだ。
信長が「宗教勢力の武装解除」を行い
それが後世の「常識」になったように
綱吉が「生命の尊重」を様々な政策で実現させ
それが後世「常識」になったように
「倫理ある商業」を確立させた者が日本史の中にいる。
だからこそ、日本はアジアの中でいち早く
近代資本主義を確立することが出来たのである。
江戸時代の武士
特に松平定信のようなコチコチの「儒教徒」が
「商は詐なり」と言っていたこと。
平たく言えば
「100円のリンゴを青森で仕入れて東京で120円で売ることは
経費とか利潤とかを一切無視して
100円のものを20円も高く売るのだから悪」
ととらえていたこと
そして高利と親しかった牧野成貞の主人は
儒教の権化のような徳川綱吉であったこと。
「御金蔵」は現代にたとえれば
「中央銀行(日銀)」だと確かに言った。
だが、大きな違いが一つある。
それはいくら市中に金を出しても利息は取ってはいけないのである。
「それは100円のものを120円で売るのと同じこと」
すなわち「悪」になるからだ。
逆に言えば「トラベラーズチェック商人」の「手数料」も認めない。
「100円のものを120円で売る」のと同じ「利潤」であり「悪」だからだ。
武士たるもの、そんな「賤しい」ことに手を染めてはならないのである。
となると、一体どういうことになるか?
「越後屋、ここに三千両ある。これをただちに大阪から江戸へ運べ」
「運べとおっしゃいますが、手数料は頂けないので?」
「バカを申しな、これは公金じゃ」
「公金であろうとなかろうと銭は銭。
運ぶにはそれなりの人手と手間がかかるもので。
ではこう致しましょう。
手前どもがこれを江戸に運ぶのに60日の余裕を下さいませ。
その間にこれを他の商人に貸して利息を得ようと存じます。
このことをお許し頂けましょうか?」
「許す。その代わりに期日は必ず守れよ。後は良きにはからえ」
おわかりだろうか?
これが幕府は自分の手でストレートに送金しない
本来の理由である。
日本人には金銭をキタナイものと考える思想がどこかにある。
もちろん「キタナイ」というのは「汚」ではなく「穢」の方
つまり「ヨゴレ」ではなく「ケガレ」の方だ。
汚れは物理的に確認できるものであり洗うことも可能だが
穢れは宗教的であるから原則として「落とせない」
したがって差別の根深い原因となる。
その典型的なものが死の穢れを嫌うことに基づく部落差別である
ということだ。
つまり、「ケガレ」を嫌うことから
「ケガレたもの」に対する蔑視が生まれるわけだが
この対象に「死」の他に「銭」が加わったということなのである。
いつの頃からか、あるいは「なぜケガレている」と考えるのか
正直言って私にもよくわからない。まだ研究中である。
しかし、それが日本民族の中にある考え方だということは明確に言える。
たとえば、幕府が実際の金銭の移動を商人に「丸投げ」したことも
その実例である。
前にも述べたように、日本人は買い物をする時に
たとえば関東では「ください」と言う。
それに対して店員は「何を差し上げましょうか?」と言い
客は「これください」と言う。
これを(外国語)に訳してごらんなさい。
これは「売買」ではない「贈与」である。
しかし、日本はそれで「売買」は成立する。
「いくら?」と価値を確かめることはあるが
「正札」があるので確認は必要ではない。
「値切る」なら話は別だが、特に関東ではそれもしない。
だから、充分にこの会話で売買が成立する。
関東、関西で大きな違いがあるのは、関西は町人文化が栄え
「値切る」ことに抵抗感が無いからだろう。
一方、関東では武士文化が主流となった。
「武士は食わねど高楊枝」つまり金銭にこだわることを
卑しむ気風があるから
「銭はケガレ」の方向に拍車がかかったのだろう。
ここで注意すべきは儒教が蔑視しているのは
あくまで「商(商行為)」であって
金銭そのものではないという事実である。
儒教の本場中国においては「士」とはあくまで
士丈夫(したいふ:官僚と知識人)であって、武士ではない。
そして、たとえば官僚たちは、賄賂を取ることに
いささかもためらいが無かった。
むしろ当然の余禄(よろく)ととらえており
少なくとも日本における賄賂に対する強い嫌悪感はない。
元をたどれば汚職も涜職(とくしょく:職をケガス)も中国語だろう。
しかし、中国では士丈夫が金銭を卑しむといった傾向はない。
ここのところがわかりにくいかもしれないが
賄賂を取るのが悪いことであるという認識は双方にある。
しかし、中国では金銭自体を卑しんでいるわけではない。
あくまでそれを不正に受け取っていることを問題にしている。
だが日本ではそれにプラスして、そもそも金銭をやり取りすること自体
ケガレ(=悪)と考えているということなのだ。
ここで、多くの日本人が
江戸時代について持っている最大の誤解を正しておきたい。
それは
「江戸時代の日本はあらゆる面で諸外国、特に欧米に後れを取っていた」
ということだ。実際は違う。
特に経済の分野では、日本はまさに世界最先端を行っていたのである。
アメリカ・シカゴ大学の
マートン・ミラー教授は次のように証言している。
先物市場は日本で発明されたものです。
米の先物市場が大阪の真ん中の島で始まりました。
それは現代的な取引制度を持った最初の先物市場でした。
それは現代の先物市場がもっているすべてを完備した先物市場でした。
それはあまりにも成功しすぎてしまったので
政府に潰されてしまって、今日では存在していません。
私は大阪に行った時、花を買って最初の先物市場の跡地に捧げました。
それは人類に対するすばらしい貢献だったからです。
日本の市場は1730年くらいに始まったと思うので
シカゴ商品取引所よりも120年近くも前です。
1730年といえば日本年号で
享保(きょうほう)15年
八代将軍吉宗の治世である。
では、吉宗がこれを創始したのかといえば
吉宗は逆にこれを潰そうとしたのだ。
それが享保の「改革」の一側面であり
ミラー教授が「政府に潰された」
と言っていることにもつながっている。
しかし、多くの日本人は
「先物取引で日本が世界最先端を行っていた」
と聞いても、あまり嬉しくはないのではないか。
というのは、申し訳ないが「先物取引」は何となく
「悪」だというイメージがあるからだ。
あまり「まともな商売じゃない」というイメージがどこかにある。
日本では、おそらく一番問題なのは
学校の社会科で経済の仕組をきちんと教えないことだろうが
こうした先物取引や株投資を
「額に汗しないで稼ぐという悪」ととらえる傾向が強い。
だから逆に「売る側」も
「絶対に儲かりますよ」などと有り得ない事を言って売り
ますます信用を無くすという悪循環がある。
経済というものは、ある意味で
倫理や哲学とは馴染まない「生き物」であると思う。
それに何とかして道徳的抑制を加えようとしたのが儒教で
その試みはほとんどが失敗に終わったと考えていいだろう。
そこに「商人道」は無かったのである。
この「儒教VS商業」のバトルは吉宗の時代で第二ラウンドを迎える。
とりあえず第一ラウンドはここまでとしたい。
朱子学(儒教)こそ歴史学の最大の敵だ。
儒教にはもともと歴史を歪曲する性質がある。
すなわち「実際はどうであったか」よりも
「どうあるべきだったか」が問題となる。
儒教の根底には、中国こそ世界の中心で一番優れた国家である。
という中華思想がある。
極めて傲慢な思想だが古代においては事実でもあった。
確かに諸葛孔明が石造りの城の中で
現代とほとんど変わらない中華料理を食べていた頃に
日本の邪馬台国女王の卑弥呼は掘っ立て柱の「宮殿」に住んで
ポンチョのような貫頭衣(かんとうい)をまとっていたのだから。
本来「存在論」「認識論」として哲学的に深められたはずの朱子学は
「歴史の現実」から目をそらし「有り得べき歴史」
つまり「美化」といえば聞こえはいいが
真の歴史を歪曲した歴史
「現実とは違う歴史」を
「事実」として求めるようになってしまった。
その典型的な例が現代の韓国である。
韓国という「小中華」から見れば日本は野蛮国であり
本来なら日本が韓国を支配することなど「有り得ない事態」である。
しかし、日本が韓国を植民地支配したことは事実で
この歴史上の事実はいまさら変えられない。
では、そんな「有り得ない事態」が実際に起こったことを
「歴史上」どう説明すればよいか?
日本という国家が、あるいは日本人という民族が
まさに「忠臣蔵」における吉良上野介のように
極悪非道で狡猾で残虐だったことにすればいい。
そうすれば
文明人で正義の士で優秀な韓民族が支配されてしまったのも
やむを得なかった、ということになるからだ。
当時、日本の植民地支配には
韓民族にとってプラスになったこと
意味のあったことなど一切なく
日本人は常に韓国人を弾圧し搾取していた
という「歴史」にしなければならなくなる。
ここで想起せねばならないのは、日本もかつてこの
「朱子学の毒」に散々翻弄された時期があるということだ。
日本こそ中国という山鹿素行
(江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者)の
「中朝事実」に始まった日本的朱子学は、最終的に
「日本は天皇家によって理想的に統治されてきた国である」
という皇国史観を生んだ。
この皇国史観のもたらした害毒については
いずれ近代史でつぶさに触れなければならないが
要するにこれも根底の歴史は
「実際はどうであったか」より
「どうあるべきだったか」を重んじよという、朱子学的発想がある。
肝心な事はただ一つ
朱子学は学問というより宗教だという事である。