天然記録 -14ページ目

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焼き チーズ カレー

 
美酢(ミチョ) みかん 
メニューにあるのが珍しいので頼んでみた

 

 

 

 

 

 

 

 

↑より抜粋

 

2012年10月発行

 

冷酷さと残忍さ
これがユダヤ共産主義の極印(ごくいん)である。
(極印:悪い行いの証拠や、一度ついてしまうと消せない烙印)

フランス革命を煽動(せんどう)するために
ユダヤ人銀行家たちは
街の群衆を煽りたてる煽動家たちに金を支払っていた。

一方のフランス国王はといえば
何が起こりつつあるのかまったく理解ができず
ただ仰天するばかりであった。

著名なジャーナリスト、スタントン・コブレンツは
「文明の10の危機」で、フランス革命では
「秘密の指導勢力が活動していたように思われる」
と述べている。

秘密の指導勢力とはユダヤ人である
とまでは述べていないが、これはコブレンツがためらったか
ユダヤ人編集者が原稿からその記述を削除したかのどちらかであろう。

他の多くの学者は
「フランス革命の背後の秘密勢力とはユダヤである」
と名指しで指摘しているのだから。

群衆を扇動して非ユダヤ人指導者を虐殺したのちユダヤは
何千人という尼僧(にそう)と司祭を教会から引きずり出し
斧(おの)と鉈(なた)でめった切りにした。

あるいは、キリストの祭壇の前で彼らを虐殺した。

そのためにキリスト教の聖堂は、さながら
非ユダヤ人の血で悪臭を放ち、死にゆく女性や子どもの悲鳴が響き渡る
伝統的なユダヤのシナゴーグ(会堂)の地獄と化した。

また、何百人もの絶望的なキリスト教徒の男女が丸裸にされ
カップルにして縛られ、川の激流に投げ込まれた。
その間ユダヤは川岸で見物し、この「革命的結婚式」
の犠牲者たちを、あざけっていたのである。

こうしてフランス革命は「ユダヤ共産主義の偉大なる勝利」
として歓呼によって迎えられたのだ。

では、この時なぜ
非ユダヤ人ナポレオンが革命を引き継いだのであろうか?

なぜ、ユダヤはフランスで
共産主義独裁政権を樹立できなかったのであろうか?

ユダヤは狡猾さで勝利することはできる。
しかし狡猾さによってだけでは一国を治めることはできないし
ましてや北ヨーロッパの民衆を従属のくびきにくくりつけることはできない。

結果的には19世紀を通じて、カール・マルクス
その他のユダヤ人共産主義者は革命を煽動することはできたが
権力を握る事には成功しなかった。

ユダヤが最終的に犠牲者を見い出したのはロシアであるが
その時でさえユダヤは、ロシアの指導者たちが
戦争での敗北によって混乱していなければ
決して勝利を収める事はできなかったであろう。

ユダヤに一国を治める機会を与えたのは、ロシアであった。
スラブ民族は、文明生活にほどんど馴染んでいないという意味で
ユダヤ人とたいへん似通っていた。

考古学者はロシアにおいて文明の遺物を発見していない。
ユダヤ人の故郷のパレスチナと同じくロシアの大地からは
土壺(どつぼ)の破片と石器文化の形跡しか出土しない。

そのうえロシアは、近年まで
遊牧掠奪(りゃくだつ)集団の根拠地であった。

西暦980年に
スラブ人はドイツ人を招き、統治してくれるよう依頼した。
みずからに統治する能力が無かったからである。

そこでドイツ人は
白系ロシア人として知られる貴族階級を形成し
ユダヤが1917年に政権を転覆させるまで
千年に渡ってこの国を治めたのである。

スラブの農民は、いかなる面倒も起こした事が無かった。
しかしわずか1世紀足らずで、ユダヤは革命を達成した。

あらゆる共産主義文献の中で、ロスチャイルド家に対する批判は
一言たりとも見い出す事はできないが
J・P・モルガンのような、非ユダヤ人銀行家たちに対しては
猛烈な非難に多くのページは費やされている。

言うまでもない事だが
ロシアにおける「ユダヤ問題」とは
ユダヤ人による農民の搾取であり
さらなる搾取から農民を守るために
白系ロシア人指導者たちによって講じられた対策であった。

19世紀を通じて、何千人ものユダヤ人煽動家が
共産主義革命を前進させようと努力した。

1848年の
カール・マルクスの「共産党宣言」の出版にともなって
ユダヤ人は2つのグループに分裂した。

マルキストは
すべての非ユダヤ人地主を根絶しなければならない
という「強硬(きょうこう)」路線に従った。
(マルクス主義者はマルクシスト
あるいはマルキシスト(Marxist)と称される)

社会主義マルキストは
非ユダヤ人の征服は、すべての政府及び教育機関をコントロールし
非ユダヤ人がみずからを統治する望みを奪い去る事によって
徐々に行われなければならないと主張した。

レーニンは「強硬」路線派の指導者であり
「柔軟派」に対する宣伝戦を展開した。

1905年に、レーニン主義者たちは
ロシアで権力を奪取(だっしゅ)する最初の試みを行なった。
彼らは勝利を収めたが
理論家であったために、政府運営の方策を欠いていた。

現実離れしたユダヤ知識人たちは、勝利後の数日間
街頭に立って群衆に向い熱弁をふるったが
それも帝制下の官吏(かんり)たちが職場に復帰し
命令を発しはじめるまでの、はかない命であった。
革命は潰(つい)えたのである。

1917年の時点では
レーニン主義者たちは、教訓を学びとっていた。
ユダヤ自由社会主義政府を樹立したが、彼らは誰も殺害しなかった。

同年10月、トロツキーとレーニンは権力奪取の先頭に立った。
そして、フランス革命の例に習って、トロツキーは恐怖政治を開始した。

ロシア革命後の3年間で、トロツキーらは
白系ロシア人の88%を虐殺した。
ロシアの312人の共産主義指導者のうち
非ユダヤ人はわずか2名で、残りはすべてユダヤ人であった。

彼らの最初の公式活動は、反セム主義
すなわちユダヤ批判を共産主義ロシアでは
人の犯す最悪の犯罪とする法律を通過させることであった。

ほんの些細な反ユダヤ的ジョークを言おうとも
それは死をもって罰せられた。

「シオン長老の議定書」のような
ユダヤ関連の本を手にすることまでもが
死によって贖(あがな)われなければならない犯罪とされた。

ユダヤは、1917~1921年までの
わずか4年足らずの間に
ロシアで2千万人ものキリスト教徒を虐殺した。

ユダヤのケダモノたちは
ロシア皇帝ニコライ2世と皇妃アレクサンドラ
その子どもたちに群がって一室に閉じ込め平然と射殺した。

イギリス国王ジョージ5世の運命は
ユダヤ銀行家たちの掌中(しょうちゅう)に完全に握られていた。

そして数年後に、イギリス王国は
ソビエトからの外交使節団を歓迎することになったのだ。

このようにして
ロシアの支配階級を形成していたドイツ系のロシア人は
西側に逃れたごく少数の例外を除いて徹底的に抹殺された。
さながらそれは、フランス革命の地獄絵図の再現であった。

ユダヤ人はすべての町の住民に
検問所を通って往き来するように強制した。
男は手にタコが無ければ、労働者で無いとされて銃殺された。

女が文法の正しい言葉使いをすれば射殺された。
このようなやり方で、非ユダヤ人知識階級は皆殺しにされた。

白系(はっけい)ロシア人の皆殺しによって
1年と経たないうちに
ロシアの国土は崩壊の瀬戸際に追い込まれた。

すべての共産主義国家がそうであるように
まもなく飢餓が迫って、民衆を絶滅させる恐れがあった。
ユダヤは自由主義諸国に食糧援助を懇願した。

だが同時にその一方では援助要請先の同じ国に
巨大なスパイ・暗殺者軍団を送り込んで
謀報(ちょうほう)活動を維持していたのである。

1920年代のロシアは
精神障害のユダヤ人人民委員たちの独裁のもとで
千鳥足のような歩みを続け、ついには
何とかしなければならない事態におちいった事がはっきりしてきた。

ユダヤに敵対する非ユダヤ人を告発するために
ユダヤによって人民委員に選抜された
ヨセフ・スターリンは、共産党中央委員会の議長になった。

彼の最初の仕事は、トロツキーに指導される
現実離れしたユダヤ人革命家たちを排除することであった。

スターリン自身は、かつて
酔って口論をしている最中に2番目の妻を撲殺した事があり
議長当時は、ユダヤ人人民委員のカガノヴィッチの妹である
エステル・カガノヴィッチと結婚していた。

スターリンはユダヤ人の掌中にしっかりと握られており
自分の実の娘もカガノヴィッチ一族に嫁がせていた。
ユダヤ人は近親結婚を悪い事とは見なさない。

スターリン政権は、ヒステリックな
トロツキー信奉者のユダヤ人に取って代わった
より保守的なユダヤ人たちの集まりであった。

7万人のロシア系ユダヤ人が、ソビエト・ロシアから
金で買われて出国する自由を手に入れ合衆国に渡ったが
そのおかげで、ソビエトの謀報部隊は
2億1000万ドルの活動資金を手に入れた。

非ユダヤ人には、ユダヤ人の間で絶え間なく行なわれている
種族内の激しい争いが、どんなものかなどまるで分らない。
ユダヤ人指導者たちが、果てしない権力闘争の中で
互いに策謀し合って殲滅(せんめつ)と殺りくを
どれほど頻繁に繰り返してきたかということを
非ユダヤ人は知らない。

しかしながら、ユダヤ人による別のユダヤ人の殺りくが
「反セム主義」のあらわれであるなどと誤解してはならない。

第二次世界大戦中
ソビエト=ロシアのユダヤ共産主義政府を防衛するために
他の国にいるユダヤ人たちの力が巧みに利用された。

ヒトラーは「ロシアの共産主義実験を破壊してやれば
自由企業経済である西側民主主義諸国は歓迎するだろう」
と信じていた。

ヒトラーは西側民主主義諸国が
ユダヤ人によって支配されている、という
自分自身の考えを内心は信じていなかったのである。

ある国に定着して生活を安定させたユダヤ人は
髭にノミを飼い、髪にシラミをたくわえた
不潔で不器用な後発のユダヤ移民の群れによって
しばしば自分たちの安寧(あんねい)をおびやかされることになった。

ドイツでナチス党の台頭をうながしたのはこの問題であった。
裕福で国民に溶け込んでいたドイツのユダヤ人は
第一次世界大戦後のドイツに流入してきた下層階級のガリシア
(ポーランド南東部からウクライナ北西部にまたがる地域)
系ユダヤ人の洪水に恐怖を感じた。

礼儀知らずで満足に言葉も話せないガリシア系ユダヤ人が
侵入してきて、自国の経済が破滅させられる事態に直面した
ドイツのユダヤ人の恐怖は、まもなく政治的な反応となってあらわれた。

最初の提供資金は100万マルクであった。
この金でヒトラーは制服に身を包んだ突撃隊の一団をつくり
1923年にクーデターを試みた。
これは失敗に終わったが、ユダヤ人銀行家たちは彼らを支援し続けた。

1928年以後、ヒトラーの活動資金のほとんどは
共産主義者によって工場を奪われることを恐れた
非ユダヤ人のドイツ人実業家たちによってまかなわれていた。

しかし、ナチスの政治運動の最初の起動力になったのは
多くの研究者が記録しているように、ユダヤ人の資金であった
という事実は厳然(げんぜん)として残っている。

ドイツ人ヘルマン・アイヒ博士は著書の中で
「ドイツ人は、ヨーロッパの他のどの国民よりも
ずっと反ユダヤ色は無かった」と述べているがそれは事実だ。

ナチス突撃隊は夜間、それも深夜に
ドイツ人の店を急襲しなければならなかった。
それはドイツ人がユダヤ人を守るために突撃隊を襲うのを避けるためであった。

だが、連合国軍の爆弾が女性と子どもを殺しはじめると
そんな雰囲気は一変した。
ヒトラーは、戦争が続く間
すべてのユダヤ人を収容所に拘束するよう命じた。

その理由は、多数のユダヤ人が
ドイツの都市・居住区域を空爆する爆撃機のための
誘導信号灯を設置しているところを発見され捕まったからである。
各ユダヤ共同体のシオン長老団が、ユダヤ人狩りにドイツと協力した。

言うまでもないことだが
ヨーロッパのユダヤ人銀行家の大物たちは
すべて戦争を生き延びている。

収容所では、ユダヤ人たちはすぐに腸チフスで死にはじめた。
というのも、ユダヤ人自身が
生活環境を清潔に維持することを拒否したためであった。

非常に驚くべきことだが
ガス室は一度も運転されたことがなかった。
というのも、ガス室が建設されたのは戦争も末期になってからであり
さらには被収容者たちによるサボタージュが成功したからである。
(サボタージュ(Sabotage): フランス語で
「破壊活動」「妨害行為」を指す言葉。 「サボる」の語源)

戦前のドイツ在住ユダヤ人口30万人の中から
600万人ものユダヤ人がナチスによって殺されたとされる
この物語の背後には、したたかな経済的理由があった。

推定される大虐殺の当時には
まだ存在していなかったイスラエル国家は
この「殺人」の代償として、ドイツ国民に対して
10年に渡って毎年8億ドルの「賠償金」を賦課(ふか)したのである。

死んだユダヤ人の大多数は
1941年に侵攻中のドイツ軍に対するスターリンの防御線を
ユダヤが切り崩すのを予防するために
スターリンによって殺されたポーランドのユダヤ人たちだった。
しかしイスラエルは、ロシアにはいかなる賠償も要求しなかった。

ソビエト・ロシア共産主義政府に対して
軍隊を派遣した唯一の国ドイツは
アメリカのユダヤ人の熱狂的活動のおかげで
完膚(かんぷ)なきまでに敗北させられた。

ドイツの賠償金によって、イスラエルのユダヤ人たちは
働かなくとも快適に暮らす事ができた。
彼らは、勤勉なアラブ人が建設した家を強奪し
その中でのんびりと暮らしている。

ユダヤはまた、ドイツで例年「反セム主義キャンペーン」を行なう。
ユダヤ人共同墓地の墓石を引っくり返してまわるのである。
するとドイツ人の人々は駆り出されて共同墓地を清掃させられ
他にも不名誉な仕打ちを山のように受ける。

一方ユダヤはといえば、資金調達のために
この成功まちがいなしの仕掛けによって
何百万ドルもの金をさらに集めるのである。
この作戦もまた
非ユダヤ人支配のためのユダヤの基本テクニックの一つである。

ユダヤ人が手にする金はことごとく
非ユダヤ人を攻撃するための武器と化する。
個性の無い人間によって構成される集産主義国家が
国民一人ひとりが個性を誇る国家に対して
はじめから有利なのはこの点である。

ユダヤ人億万長者が
非ユダヤ人の団体を援助するという話を聞いた事があるだろうか。
もちろん「NO」である。

左翼ユダヤ人であり
ゼネラル・エレクトリック社の社長でもあった
ジェラルド・スォープが死去した際には
当時800万ドルという遺産を
そっくりイスラエル工科大学に遺贈した。

ゼネラル・エレクトリックの非ユダヤ人従業員から
搾り取った金がイスラエルに行くというわけだ。
そればかりではない。
合衆国政府は、この金に対する
450万ドルの相続税さえも課税しそこなった。

死んだ配偶者の遺産を、税金をいっさい払わずに
慈善(じぜん)団体に寄付することができる法案を
ジェラルドの死ぬ前に議会が通した事で
この相続税という障害は巧妙に回避された。
まさに彼の状況に合わせてつくられたような法案だったのである。

結局、相続税というマルクス主義的な税金は
非ユダヤ人のみに課せられ、ユダヤ人の金は
手つかずのままイスラエルへ流れる事になる。

驚くべき偶然の一致だが、著名なエコノミスト
(経済専門家)のJ・J・キャバナは
全国シオニスト基金のためにまとめた報告書の中で
「在米ユダヤ人が、合衆国の実質資金の84%を所有している」
ことを示している。

アメリカの賃金労働者が、給料の84%を直接あるいは
間接に税金として支払っている一方で、ユダヤ人が国の富の
84%を所有しているというのは、見事な一致ではなかろうか。

アメリカ人の中で最高に頭が鈍い人でも何となく
そこには何らかの相関関係があるのではないかと思うに違いない。

これまで本書で見てきたように
ユダヤ人の歴史を注意深く追跡すると
キリスト教徒はいまだ
みずからを救済する機会を有していることが証明される。

ユダヤ人に代表されるような絶対悪の面前では
唯一、絶対善のみが我々を救済する事が可能である。

最高の絶対的誠意こそが
天の下の、どのような転換をもなしうるのである。

アメリカ合衆国の外交政策を担当している
アーサー・ゴールドバーグのようなユダヤ人を見てから
東方研究所に歩を進め、ゴールドバーグと同じ
カギ鼻と出目を持つ5千年前のシュメールのテラコッタ
(素焼きの焼き物)を観察すれば
そこにゴールドバーグと同じく、すべての非ユダヤ人に対する
悪魔的な憎悪に歪んだ相貌(そうぼう)を発見することができる。

そして我々は、神はある一つの目的のために
ユダヤ民族に目立つ特徴を与えたのだと結論せざるをえない。

その目的とは
我々の心の最奥に秘められた善に覚醒するということ
イエス・キリストの「十字架をとって、私についてきなさい」
という言葉に従う事である。

信仰・希望・慈愛、すなわちイエス・キリストのお告げに従って
愛と品位に満ちた生き方をすること、この事こそが
ユダヤという存在が我々に突きつけてくる選択であるがゆえに
我々がみずから意志して行なわなければならない選択なのである。


抜粋おわり

 

 

↑より抜粋

 

2012年10月発行

 

文明の曙(あけぼの)の時代には
犠牲にされた人間の、まだぴくぴくしている体から流れ出る
生き血を飲む生血(せいけつ)祭儀が、多くの部族で行なわれていた。

しかし、石器時代以降の人類の進歩発展をまったくたどることなく
連綿として生血祭儀と儀式殺人を実行し続けてきた民族は
ただ一つだけである。この民族こそ、ユダヤ人である。

著名な歴史学者であるアーノルド・トインビーは
ユダヤ人を「化石民族」と呼んでいる。
ユダヤ人が今日もなお儀式殺人を実行し
人血を飲むことを続けている事実に気づいたからに相違ない。

なぜなら、ユダヤ人による儀式殺人の何百もの実例が
カトリックの公認書籍やあらゆるヨーロッパ文学
そしてヨーロッパ各国の法廷記録の中に引用されているからである。

ユダヤ公認の歴史家カシュタインの
「ユダヤ人の歴史」で彼はこう述べている。

「原始ユダヤ人の見方によれば、血液は霊魂の宿る場所であった」

かくして、石器時代のユダヤ人によれば
霊魂の宿る場所は心臓ではなくして、血液そのものなのであった。

あらゆる点で完全無欠の
キリスト教徒犠牲者の血を飲むことによって
ユダヤ人はその肉体的欠陥を克服し寄生している非ユダヤ社会の
知的で文明化した人間たちと同じように強くなれる、と信じたのである。

他の民族は、次第に文明化するにつれて
生血祭儀は象徴的な儀式と化し、たいていの場合は
血を象徴するものとしてブドウ酒を飲んだ。
そして、生け贄を殺害するという
野蛮な慣行は全面的に放棄されたのであった。

生血を飲むのは黒魔術の儀式であり
この儀式を行なうことによってユダヤ人のラビたちは
非ユダヤ人犠牲者の血液が
みずからの血管をめぐる時、未来を予言できるようになる。

ゆえに、ユダヤ人の指導者たちは時に応じて
非ユダヤ人の子ども、それもなるべく男の子で
年齢が6~8歳までの子どもを誘拐する。

ユダヤ人の生血祭儀細則によれば、非ユダヤ人の子どもは
肉体的に完全で、頭が良く、肌に傷のない者でなければならない。
また、その子どもは思春期年齢よりも年少でなければならない。
なぜなら「思春期がはじまると血は汚れる」とユダヤ人は信じているからだ。

子どもは、シナゴーグに連れこまれるか
ユダヤ人の監視下に置かれたなら
さらに厳しく秘密にされている集会所に移される。

誘拐された子どもは
そこでテーブルの上に横たえて縛りつけられ裸にされる。
そしてキリストの体が十字架の上で
釘を打たれたのと同じ部位を、鋭利なナイフで突き刺される。
たらたらと流れ出る子どもの生血はコップに受けられ
ユダヤ人指導者たちは、そのコップを高く掲げると
グッと飲み干すのである。
そのかたわらで、非ユダヤ人の子どもは救いのない
おぞましい雰囲気の中でゆっくりと息絶えていく。

ユダヤ人たちは、瀕死の子の生血を飲みながら
「キリスト及びすべての非ユダヤ人に呪いをくだしたまえ」
と祈りを捧げ、そして非ユダヤ人に対する
ユダヤ人の象徴的な勝利を讃える。

この儀式の実行によってのみ
ユダヤ人は非ユダヤ人宿主の中で生き続け
繁栄し続けることができると信じているのである。

ユダヤ人の中で
この生血を飲む儀式への参加を許されるのは特に重要な指導者たち
つまりラビやユダヤ社会の中のもっとも金持ちのメンバーだけである。

過去2千年間のユダヤ暴動のほとんどは
ユダヤ人の生血祭儀が露見したため
そしてその結果として、ユダヤ人の非ユダヤ人の
子どもに対する殺人をこらしめようと
非ユダヤ人がくわだてたために起こっている。

この犯罪がそのようにしばしば露見する第一の理由は
非ユダヤ人の子どもの刺し傷のある全裸死体を
生血をすっかり絞り尽くしたあとで
ゴミの山に廃棄しなければならないからである。

ユダヤのしきたりでは、犠牲者の遺体の埋葬を禁止している。
埋葬すれば、犯罪の痕跡をすっかり隠しおおせるのに、である。

ユダヤの法によれば
すべての非ユダヤ人を畜獣であると規定しており
畜獣の埋葬は固く禁止されているからである。

そこでユダヤ人は、殺した子どもの死体を
古井戸の中へ投げ込んで遺棄するか
埋葬とは見なされない何らかの方法で死体を隠すことによって
その犯罪を隠ぺいしようとするのである。

だが、多くの場合に遺体は発見される。
するとユダヤ人は、非ユダヤ人の襲撃を避けるため
目撃者や捜査員に数千ドルの賄賂を贈って
非ユダヤ人の誰かを「性的殺人者」にでっち上げようとする。

役人や新聞記者に賄賂を贈ったり、脅迫したりすることが
このでっち上げキャンペーンのお決まりの第一歩である。

だが、現代のアメリカでは
役人や報道関係者の多くがユダヤ人なので賄賂の必要はない。
ユダヤ人はみな、この儀式殺人の痕跡を隠匿することが
もっとも主要な務めであることを知っているからである。

またユダヤ人は
殺した子どもの親に多額の金を支払うのが通例である。
これは、多くの場合
子どもの親が起訴しないということを意味する。

ラビが血を飲む時は、サタンを召喚するのが習わしとなっている。
つまり、サタンがユダヤ人の望みを叶えてくれるであろうと
考えられているのだ。
血を飲む者たちは、生血祭儀の間に
サタンへの永遠の帰依(きえ)をも誓う。

1904年刊行の「ユダヤ百科事典」には

「アブラハム時代からユダ王国とイスラエル王国の滅亡まで
ユダヤの祭壇は人の血で煙った。
それゆえ、今日では批判的な学者にも広く受け入れられているが
事実は王国の末裔、国の王もしくは相談役としてのヤーウェ
(ヤフまたはエホバ)に人間の犠牲が捧げられ
それを預言者たちが非難した、ということである」

ヤーウェはまた、バール神、黄金神像
そしてサタンとも言い換えることができる。
サタンはユダヤ人にとって、さほど重要ではない神で
バール神の手先であったと考えられている。

ユダヤ人の歴史において、2つの主要な関心事がある。
それは「血」と「黄金」である。
そして、ユダヤ人のすべての高位は
この2つの要素と分かちがたく結びついている。

イエスは、ユダヤ人を
「儀式殺人を行なう者」と言って公然と非難した。
そして、幼い子どもらを
ユダヤ人の手から保護するよう戒(いまし)めた。

「幼子を私のもとによこしなさい」という言葉は
子どもらをユダヤ人の手から守るためなのだ。

ユダヤ人の歴史を通じてずっと習わしとされてきたことだが
非ユダヤ人がユダヤ人の儀式殺人を非難すると
常にユダヤ人は、その非ユダヤ人の殺害を公式に決定する。

だからイエスが儀式殺人を非難するとシオンの長老団は
集会を開き、イエスを磔刑にすることを決定したのである。

ユダヤ儀式殺人と黒魔術との関連について
1934年フランスの出版
ユダヤ人ベルナール・ラザール自著「反セム主義」の中で
この現象について検証しようと試みている。

「魔術の実行にふけるユダヤに対しては
この一般に信じられていることに加えて強い疑念が抱かれ
しかも疑惑が当たっている場合がしばしばあった。

実際に中世には、ユダヤ人は優秀な魔術師であると考えられていた。
『タルムード』には、悪魔祓(ばら)いの呪文がいっぱいある。
そして、タルムード悪魔学とカバラ悪魔学は非情に錯綜している。

さて、魔法を行なうことによって、血液の占める地位は判明する。
カルデア人の魔術では、血液はとてつもない重要性を持っていた。

してみると、ユダヤ人魔術師たちが
子どもを犠牲にしたに違いないことは大いにありうるし
間違い無いとさえ言える。
かくして、犠牲祭儀の伝説が生まれた」

このようにラザールは
儀式殺人の罪からユダヤ人を免(まぬが)れさせようと試みている。
ユダヤ人は確かに有罪であるが
それはユダヤの宗教儀式の中心要素としてよりはむしろ
魔術的な動機から行なわれたものであるとしている。

著名なドイツの学者エーリック・ビショップ博士は
カバラ儀式の解説書の中に、ユダヤ儀式殺人を
はっきりと是認(ぜにん)している個所を発見した。

「なおその上、野獣のごとき異邦人を殺りくするについての掟がある。
この殺りくは(ユダヤ教の)戒律(かいりつ)に則った方法で
行なわれなければならない。ユダヤ教の戒律に帰依しない者たちを
高き神への犠牲に捧げなければならない」

ユダヤ人によるキリスト教徒の子どもの殺害は通常の場合
重要な祝祭の期間中に行なわれる。
たとえば復活祭(春分の日以降の満月の後の日曜日)の
1ヵ月前に行なわれるユダヤ教のプリム祭(2~3月頃)や
復活祭にあたるユダヤ教の過越(すぎこし)祭(3~4月頃)の時である。

ユダヤの戒律は
プリム祭の非ユダヤ人犠牲者は成人でも構わないと規定している。

ユダヤ人の祝日プリム祭については
非ユダヤ人に対するユダヤの勝利を祝うものである。
万が一にも非ユダヤ人犠牲者を一人も捕まえることができない場合
以前に捕えた犠牲者の乾燥した血液を使ってもよい、とされている。

しかしながら、過越祭の犠牲者は
7歳以下の白人の子どもでなければならない
とする点で、ユダヤの戒律はきわめて厳密である。

子どもは蒼白になるまで血を流し
茨(いばら)の王冠をかぶせられ拷問を受け
打擲(ちょうちゃく)され、短刀で突き刺され
最後に脇腹を突き刺され、どとめを刺される。
短刀はラビの手に握られて
キリストの磔刑を忠実に再現するよう規定されている。

キリストがユダヤを非難したようにユダヤの本質に対して
たとえ少数の非ユダヤ人が警戒を抱いたとして
批判するそれらの者たちを殺すことによって
ユダヤ人は常に勝利を収めることを
この復讐の儀式が再保証するのである。

したがって、ユダヤに対する多くの批判者が
このおぞましい儀式で殺害されている。

アメリカにおけるユダヤ儀式殺人のもっとも有名な犠牲者は
チャールズ・リンドバーグの息子であろう。

それは1932年3月1日
毎年のユダヤの祝日に実行された。

リンドバーグの息子が選ばれたのは
リンドバーグ自身がユダヤ人に反抗する非ユダヤ人の中で
指導者たりうる、きわめて論理的な人物だったからである。

リンドバーグの父は下院(かいん)議員で
連邦準備制度法を連邦議会で
屈辱的にも通過させるのに成功した時に(1913年)
これに反対する運動の旗頭(はたがしら)だった。

先代のリンドバーグは一冊の本を刊行したが
それは第一次世界大戦中に連邦政府職員たちにより
発禁処分にされた。

先代リンドバーグは
ユダヤ問題の本質についてよく知っていた。
今やその息子が大西洋横断単独飛行の偉業をなし遂げた
世界的な有名人であってみれば
彼が非ユダヤ人たちのユダヤ勢力に対する反乱を指揮するために
祭り上げられるかもしれないと、ユダヤは恐れたのである。

 

ユダヤ人は、遺体を隠すことも、その犯罪を隠すこともできない。
というのも「タルムード」では
非ユダヤ人を「ケダモノ」として扱い
埋葬を禁じているからである。

儀式殺人の多くのケースにおいて
ユダヤ人の医者が非ユダヤ人の犠牲者を捕獲した。

なぜなら、ユダヤ人の医者たちには、非ユダヤ人の子どもを
ひそかに連れ去る機会が山ほどあるからだ。

現在、アメリカ国内には、多くのユダヤ系の病院がある。
それらの病院はユダヤ人が経営者であり
ユダヤ人の医者と看護師が仕事をしている。
軽い疾患でこうしたユダヤ系病院に子どもを入院させた親たちは
2、3日後に絶句することになる。
子どもが突然死亡してしまったと聞かされるはめになるのだ。

このような多くの場合、子どもはシナゴーグに移され
先に詳細した通りの儀式によって虐殺されているのである。
そして両親には血を失った犠牲者の遺体が返却される。

この手続きもまた、非ユダヤ人の埋葬禁止という
ユダヤ人の掟に従ったものである。

つまりユダヤ人は
親たちに埋葬する面倒だけは見させるのである。

それゆえに、アメリカの親たちは
ユダヤ人の医者のいる所に保護者無しで子どもを置き去りにしたり
ユダヤ人経営の病院に子どもを入院させたりしないようにする義務がある。

警察の推計によれば、アメリカでは平均すると
年間4千人の子どもが行方不明になるとみられている。

その大部分が、ユダヤ人による
儀式殺人の犠牲者であることは、まったく疑問の余地がない。

この国でユダヤ人の習慣がこれほどまでにはびこってしまったので
ユダヤ人は子どもの血液を大量にイスラエルに運び
儀式での使用に供(きょう)することができる。

ユダヤ人の母国イスラエルでの問題の一つは
宗教儀式に使える異教徒の子どもが不足していることである。

そして、イスラエルに対する最大の資金援助国であるアメリカはまた
イスラエルが必要とする子どもの血液の最大の供給源でもあるのだ。

儀式殺人の犠牲となる子どものほとんどは
得てして貧困家庭から調達されるので
子どもの失踪が新聞紙上をにぎわす事は無い。

だがごくまれに、ユダヤは著名人の子どもを誘拐することがある。
前記のリンドバーグの例がこれに当たるが
その場合には、特別な政治的目的のため
より大きな政策の一環として行なわれる。

シカゴはユダヤ金融の中心地であり
ユダヤ人によって完璧にコントロールされている都市である。
非ユダヤ人の子どもに対する儀式殺人の最もひどい事件が
いくつもシカゴで起きている。

最近、シカゴ警察長官は
シカゴでは子どもの失踪事件が毎月300件もあると認めた。
しかし、彼はその子どもたちはみな「家出」したのだと主張している。
こうした「家出」の子どもたちが
シカゴや他の土地でまったく発見されないのは、奇妙というほかない。

 

つづく

 

 

↑より抜粋

 

2012年10月発行

 

ユダヤの正体を見破ったイエス・キリスト

繁栄を極めた多くの文明が
ユダヤ人の餌食(えじき)になって滅びてしまった時
人類にはどのような頼みの綱が残されていただろうか?

それは、昔も今もイエス・キリストである。
キリストの使命とは
すべての民族のまったき霊的再生をうながすことであった。

地上でただ一つの民族だけが
キリストのメッセージに頑(がん)として耳を傾けなかった。
その民族こそがユダヤ人である。

古代世界の預言者たちは
ユダヤ寄生集団が引き起こす破壊的な効果をよくわきまえていた。

ヨハネはパリサイ人を「マムシの子孫ども」と呼んで罵倒した。
(マタイ伝)

イエスはユダヤ人を「サタンのシナゴーグ」と呼び
「あなた方ユダヤ人が悪魔より生まれたことを私は知っている」
とユダヤ人に語った。

今日、ユダヤの暴力による世界の破滅に直面してみると
イエスの受難こそ、2千年前と同じく
今でも救いへと至る唯一の道なのだということがわかる。

では、その受難とは何だろう?

それは何よりもまず第一に
人が自分の心の中で進んで自分自身の悪を断つ事である。

第二に、他人の悪を容赦しないことである。

そして第三に、ユダヤ人扇動者たちが
おのれの目的を利するためにつけ加えた歪曲をとり払って
イエスがこの世にもたらした、ありのままの言葉で
イエス・キリストのメッセージを他の民族に伝えることである。

肉体を持って出現された時、イエス・キリストは
金髪碧眼(へきがん)のガラリヤ住民として
ヨセフとマリアからお生まれになった。

聖書学者のウィリアムソンによれば
ガラリヤ住民の中にユダヤ人はほんのわずかいただけで
地方では、ユダヤ人の姿はほとんど見られなかったという。
この地域は、全体としてヘレニズムに同情的だった、と言っている。

つまり、ガラリヤの住民たちは
イエスの家族や友人たちは、ギリシャ文化に好意を寄せ
ユダヤの野蛮さに反対した、という意味である。

さらに、イエスが人々に話したのはヘブライ語ではなく
ガラリヤなまりのアラム語だったのである。

こうしたすべての事実を
キリスト教の学者たちはよく知っているはずだ。
それなのに「キリストはユダヤ人だった」と主張して
彼らはユダヤ人の恐るべき虚偽と冒瀆で人々を惑わしている。

どうしてこの自称
「キリスト教徒」たちはこんなことをするのだろうか?

そういう人間は、実は何も信じてなどいないのだ。

連中はただ、宗教はボロい商売で
ユダヤ人のウソを言い触らすのが一番儲かると考えているだけなのだ。

彼らは、西洋文化全体を言いあらわすのに
新しい用語を発明することまでやっている。
「ユダヤ・キリスト教文明」というものだ。

「ユダヤ・キリスト教」
共存文化を讃(たた)える論文を書かなければ
今日ではどんな学者も大学で職に就けない。

「ユダヤ・キリスト教文明」とは
2つの相容れない対立勢力を結びつけたものだ。

たとえば、「黒人・白人」文化とか
「アジア・ヨーロッパ」文化というのと似ている。

その意味は「善・悪」文化とするのがもっとも当たっている。
ユダヤ教が悪を指し、キリスト教が後置されているものの善を意味する。

彼らがイエス・キリストの名を口にすることは滅多に無い。
あるとすれば「ボロを着た説教者」とか
「遍歴の革命家」などと冷笑する時だけである。

この自称キリスト教たちは、どうしてこれほどまでに
イエス・キリストを憎悪するのだろう。
その理由は、イエスが常に彼らを見抜き、告発したからである。

悪魔をしりぞけてから、イエスは今度は町へ入ってゆき
サタンのシナゴーグ(会堂)、パリサイ人
そして、シオンの長老団の構成員であり
悪に命を捧げる律法学者たちを責める説教をした。

イエスは「マタイ伝」第23章で次のように説いた。

「お前たちにわざわいあれ。
律法学者、パリサイ人よ、偽善者どもよ!
お前たちは天国を人々の前で閉ざす。
お前たちは自分たちが天国に入らないばかりか
天国に入ろうとする人々までも邪魔して入らせないのだ。

お前たちは白く塗った墓のようだ。
外側はたしかに綺麗に見えるが
内側には死人の骨やあらゆる汚物がいっぱいだ。
上辺は正しい人に見えるが
お前たちの内側は偽善と不正に満ちている」

「シオンの長老団たちは、イエスがこうした言葉を
大衆に説いていることを聞きつけると集会を開き
イエスを殺す謀議(ぼうぎ)をめぐらした」
「ヨハネ伝」第7章1節

「ユダヤ人がイエスを殺そうとしていた!」
聖書のこういう言葉を読んだ後で
キリストがユダヤ人だったと、どうして信じられようか?

イエスはユダヤ人の神殿に行き会計台をひっくり返した。
神殿はユダヤ人の証券取引所にほかならず
ユダヤ人の宗教は、黄金だったからである。
彼らは、バール神の像である黄金の仔牛の前で取り引きをした。

イエスは、その神殿の中に入っていって
律法学者とパリサイ人に説教した。

そのためにシオンの長老団は、もはやこれに耐えられず
ひそかに計略をめぐらして、ローマ人支配者に訴え出て
イエスを処刑してもらおうと決意したのである。

イエスはシオンの長老団の前に連れてこられると
次のように言った。

「私が毎日神殿でお前たちといた時
お前たちは私に手をかけなかった。
だが、今はお前たちの時間、闇の力である」
「ルカ伝」第22章53節

この言葉とともに
人間の魂のもっとも偉大な瞬間、イエスの受難がはじまる。

そして、ユダヤが力を持つこの危機の恐ろしい時代に
我々は誰でも次のように言うことができる。

「今はお前たちの時間、闇の力である」と。
だが、キリストの光は再び輝き渡り、闇は過ぎ去るであろう。

イエスは裁判に3度もかけられた。
パレスチナには3つの臨時権力があったからである。

ローマ人の支配は
カシュタインが「ユダヤ人の歴史」の114ページに
「野蛮かつ悲劇的な混血ユダヤ人」と描いた
ヘロデ王とローマ総督ピラトによって行われたが
パレスチナの実際の権力は、ユダヤ人律法学者たちの敵対する
2つの集団によって行使されていた。

一つは、大司祭アナ二ヤに率いられ、ローマ人が後押しした。
第二は、大司祭カヤパに率いられ、ユダヤ人が後押しした。
イエスは3つの勢力の前で、それぞれ裁判にかけられたので
ローマ人もユダヤ人も満足したであろう。

「大司祭たちと法院全体が、イエスを死刑にするため
イエスに不利な証言を求めたが、一つも見つけられなかった。
大勢の証人がイエスに不利な偽証をしたが
彼らの証言は一致しなかったからである」
「マルコ伝」第14章55節

「再び、大司祭はイエスを尋問して言った。
『お前は誉(ほ)むべきお方の子、キリストなのか?』
『そうだ、お前たちは人の子が力ある方の右に座って
天の雲に包まれて来るのを見るだろう』

すると大司祭は、自分の衣を引き裂いて言った。

『もはやこれ以上どんな証人が必要であろうか?
諸君は冒瀆の言葉をお聞きになった。諸君はどう思われるか?』

すると全員がイエスは死罪にあたると宣言した。
数名の者がイエスに唾を吐きかけ、目隠しをして殴りイエスに言った。

『予言してみろ』

それから下役(したやく)らがイエスを平手打ちにした」

イエスはピトラの前で裁判にかけられた。
ユダヤの法院での審理は何の法的有効性もなかったので
これが正式裁判だった。

ピトラは、民を惑わした件と貢物を皇帝に納めるのを民に禁じた件
という最初の2つの罪状を無視した。

キリストが王であると主張したという
第三の罪状について、ピトラは罪がないと判断した。
キリストは、王という言葉のローマ的な意味での忠誠を
人々に要求したわけではなかったからである。
したがって、ピトラはキリストが無罪だと判断したのだ。

だが、ユダヤ指導者たちの怒りを招かないために
ピトラは囚人をヘロデのもとへ送った。
ヘロデはイエスを送り返してきた。

そこで、ピトラは3度目に
イエスが無罪であると宣告し、この問題から手を洗った。

だがユダヤ人は「キリストを十字架につけよ」と要求した。
ピトラは、彼らの要求に譲歩せざるをえなかった。

シオンの長老団に煽動され大声で叫ぶユダヤ人群衆は
たとえイエスに罪が無くとも死ぬべきであると決めていた。

そしてユダヤ人は、キリストを磔刑(たっけい)にする
「血の罪」を喜んで引き受けたのである。

ユダヤは今日でも、何百万ドルもの金を使って
キリスト教の指導者たちに賄賂(わいろ)を送り
「聖書はウソだ」と言わせ
裏切りの使徒ユダのように、銀貨30枚で身売りさせている。

キリスト教会の多くが、今日こうした
「現代のユダ」たちの手に落ちてしまったのは
悲しいが事実なのである。


つづく