選民思想はカルト教 11 | 天然記録

 

2025年5月31日発行

 

↑より抜粋

 

欧米の反イルミナティ・反新世界秩序・反フリーメーソン
の陣営の中にも「聖書」はGodの言葉である

などという独断的教義を鵜呑みにしている人は少なくない。

悪魔主義的イルミナティに対する
激しい批判を展開している、テックス・マーズ牧師は
その一人である。

「「God」が「聖書」を書いた。

エルサレム技術大学と、イスラエル・ヘブライ大学の
3人の権威ある教授たちが最近、医科学的な大発見を発表した。

3人の学者たちは、全員、数学者であるが
彼らは「聖書」の「創世記」を
光端的コンピューターを使って入念に、科学的に分析した。

その結果は彼らを驚愕させた。
彼らは、ヘブライ語原文の中に埋め込まれていた
秘密の言葉を発見した。

それは偶然でもないし、人間の手によって
そこに書き入れられたものでもあり得ない。

さらに驚嘆(きょうたん)することに
このようにして発見された言葉の中には

20世紀の現在生存している人々の名前と
その活動記録、および予言が含まれていたのである。

「創世記」が書かれたのは
何千年も以前の事であるのに、これは事実なのだ。」

テックス・マーズは本気で
大まじめで、こんな事に大感激している。

しかし、問題のその論文が発表されたのは
「聖書評論」(1995年10月号)であり
その編集長は、「聖書考古学評論」の編集長でもある。

そして、ジョン・コールマン博士の
「300人委員会」によると、この2つの雑誌は
タヴィストック研究所の洗脳の道具である。

「彼ら」の罠にはまり、「彼ら」の仕掛けるエサに釣られて
「聖書」という名の精神の牢獄にひとたび入ってしまうと
そこから無事脱出することは至難の業(わざ)だ。

「ジェームズ国王版英訳聖書」の
「出エジプト記」第3章14節によれば

「Godはモーゼにいった、私は私である」と。

ところがこの「I AM THAT I AM」が真っ赤な嘘なのだ。

新しい英訳によれは、モーゼに名乗った名前は
ヘブライ語「asher」は黒い(ブラック)と翻訳され得る。
そしてそれは、有名な異教のGodの名前である。

ヘブライ語の「Asher」は固有名詞である。
翻訳上の規則としては、固有名詞(個人の名前など)は
そのまま字訳する。

アシェル(アッシャー)を
「黒い神」などと表現することは
翻訳上のルール違反であり
アシェルから注意をそらそうとする悪魔主義解釈だ。

「ヘブライ語聖書」では、まぎれもなく
「私はアシェルであると、Godは名乗った」と記されている。

アシェルとは何者か?
アシュールとは、アッシリア人のGodである。
しかしそれは、エジプト人のGodでもある。

そしてこのアシュール神の像は
「頭に角が2本、翼のない雄牛」であるという。

ヘブライ語聖書の英訳は
「私はアッシリア人である」だという。

アッシリア人、アッシリア王国は、歴史に記録されている存在である。
従って、全知全能の造物主などではあり得ない。

にもかかわらず、キリスト教会、ユダヤ教は
その部分、彼らの教義にとっては
致命的に重要な箇所を、意図的、計画的に偽造した。

つまり、「聖書」は天地宇宙人間の創造神の言葉(啓示)
であるという、彼らのドグマ(独断的教義)はペテンである。
要するにそれは、明々白々(めいめいはくはく)な詐欺である。

「創世記」をじっくり読んで考えると
イブの生んだ最初の2人の息子の父親は、アダムではなかった。

カインとアベルの父親は(主)つまり
天地と人間を創造した全知全能の造物主であったという。

けれど、よく考えると
カインとアベルの父親は同一の男ではない。
複数の男である。

カインとアベルの兄弟喧嘩のあげく
アベルがカインに殺され、カインは追放されて舞台から消えた。

その後、アダムは
彼自身に似た、彼の姿形(イメージ)に
ぴったりと合った息子を得て、セツという名前を付けたとある。

セツの母親はイブである。

アダムとイブの最初の息子がセツであった。

「創世記」は、セツからエノクを経て
ノアに至る系図(男系)を記述している。

けれども、ノアが酒に酔って
裸で寝ている所を息子のハムに見られた事に気付いて激怒し
ハムの息子カナンに呪いをかけたという。

常識では、ここの箇所は理解出来ない。

ノアにその時、爬虫類人の生物学的特徴
ウロコなどが出ていて、それをハムに見られた。
それ故の怒りである、と解釈することは合理的だ。

聖書は、バール信仰
(雄牛崇拝を意味)を強く弾劾(だんがい)する。

にもかかわらず、ホセア書は

「イスラエルの子孫とユダの子孫が再び一つにまとまる時
Godはもはや、バールと呼ばれないだろう。」

と書いている。

つまりそれまでは、Godはバールと呼ばれる。

ジェームズ・ストロングの「聖書語句辞典」は
それはエホバの別名であるという。

カルヴィン・C・バーギンは
「ユダヤ・キリスト教のペテン(未邦訳)」で

「エゼキエル書は、雄牛の頭を持った
天使のようなものを乗せた未確認飛行物体
(UFO)について述べている。」

つまり、「聖書」には一方で
雄牛崇拝(バール神信仰)を厳重に禁止しながら
他の所では、実にふんだんに、バールがGodとして登場する。

古代エジプト絵画には
Godクヌムが、人間と彼のカー(カバル)を
陶工(とうこう)のろくろの上で作っている場面がある。

クヌムが雄牛の頭を持ち、彼の足元に仔牛が座っている。

バーギンは

「ここに我々は、バールのカバリストの秘密の教えの起源を見る。」

という。

さらにバーギンは、ハンス・バウマンの著作から引用している。

「造物主たるプタは、世界を彼の言葉によって目覚めさせる。
彼は自分の助手として働くGodsを作り出した。

最初にプタは、クヌム、つまり陶工を作った。
そして、陶工たるクヌムは、彼のろくろの上で人間を作った。」

ちなみに「BuII」という英語には

1・雄牛
2・ローマ法王教書
3・こっけいな言葉の矛盾、無用なしきたり

バーギンは

「ニューエイジ関係の書店には
アイオーンについて説明している多数の著作が売られている。

ニューエイジ派の人々が知っているこの事実を
キリスト教徒は拒否する。

彼らは、そうした「悪霊の取り憑いた」ものを
学ぶことを恐れている。

そしてその反対に、ニューエイジ派の人々は
キリスト教徒を嘲笑(ちょうしょう)する。

このような分断して支配する方法によって
世界を本当に統治している大物たちは

我々を小さな集団に分裂させて、結局我々全員を
無知のままにしておくことに成功する。

我々が落ち込むこうした誤りの結果
罪人たる我々全員を永遠に拷問にかけて苦しめるGodが

万人を愛するGodでもあるという
バカげた教義に我々は到着するのである。」
(ユダヤ・キリスト教のペテン)

バーギンは、宗教理解には幾つもの段階があるという。
もっとも単純化してみると、3つの段階に分ける事が出来る。

「最低・最下層の水準は、大衆用に流布させるためのものである。
例えば、我々が教会へ行き、あるいはテレビ伝道師の説教を見る。

すると我々は「世の終わり」について聞かされる。
我々は、世界が焼け落ちる光景を観念の中に刻み付けられる。

あるいは、快楽と罪に充ちたこの世について
その報いとしての地獄の業火(ごうか)と
「世の終わり」の呪いについて考える。

さらにその先、もう少し進んで研究し
学びたい人々のためには、第二の水準が用意されている。

そこでは同じ「世界」という言葉について
聖書の中から15ないし20語の説明が与えられる。

私は、聖書の「終わり」とは、本当は「アイオーン」
の終わりを意味すると教えられた。

アイオーンの終わりとは
「時代(エイジ)の終わりのことであり
これが第二水準である。

ほとんどの人々は、この水準の理解には至らない。

第三の、あるいは最高の水準は
秘密(の中の若干)を知る、エリートのための専用である。

この段階に到達すると
あなたは「アイオーン」はGodであり、エンジェルであり
霊的存在であることを学ぶ。

時代の区切りは、その時代の統治者によって決定される。

アイオーンとは、その時代を統治する霊的存在を意味する。

そして、彼の時代が終わると
別の新しいアイオーンが、統治権を掌握(しょうあく)する。

私はこの説が事実であると言っているのではない。
このように、「エリート」のある者に対して教えられている
と言っているだけである。」

バーキンのこの記述を、私は実に興味深く読んだ。

アイオーンというギリシャ語は
キング(王、国王)と英訳されることもある。

一つの時代全体を通じての王、それ故、暦を支配する。

アイオーンの終わりとは「時代(エイジ)」の終わりのことである。

法王は法王教書「BuII」を布告することによって暦を決定する。
宗教は法王教書で充満している、と言ってもよい。

20世紀最大の悪魔主義で
300人委員会の司祭長と称される
アレイスター・クロウリー(1875-1947)は

彼の代表的著作「法の書」解説の中で
1904年にカイロで「法の書」を口伝した時

「ホルスの永劫(えいごう)という
新しいアイオンが開幕した。」

と述べている。

「この新しい時代は
人々が自己を各々(おのおの)にキリストとなす時代なのである。

すなわち、自身のうちの神性に目覚め
神へと覚醒する時代なのである。

そして、この時代を「666の獣」
クロウリーは、「ホルスの永劫(アイオン)と名づけた。

太陽神ホルスの時代なのである。

彼=獣は、神聖なる個人主義の時代の到来を高らかに告げる
メッセンジャーとなった

新しい福音(ふくいん)の書記となったのである。
その福音の書こそ「法の書」なのである。」
(法の書 解説・亀井勝行「法の書」とは何か?)

西暦1999年12月31日夜から
2000年1月1日朝にかけて
エジプト・ギザの大ピラミッドの辺りで
11万人を集めて大イベントが行われた。

そしてそれは
「ホルスの時代」の開幕を告げるものだとも伝えられる。
このイベントを報じた現地エジプト発の記事の中で

「これはエジプト文明7000年紀
(第7ミレニアム)の始まりを祝うものである」とあった。

ホルスとは、第一のアイオン時代、もしくは
それが前に実在した古代エジプトの主神
(オシリス、イシス、ホルス)の一人とされる。

つまり、このような歴史の区分をする勢力は
千年、二千年をはるかに超えた歴史の連続性の中に生きてきた

むしろ、彼らが歴史を設計し
台本を作り、演出してきたと見なければならない。

しかし、この芝居は、単純なお芝居とも違う。
それは現実の芝居化であり、芝居が現実に移行する。

何が虚で、何が実かを
凡人、常人、一般庶民は、見分ける事が出来ない。

仮想現実と本物の現実を識別出来ない。

ごく近い素朴な次元の、すぐにバレてしまう程度のだましと
より高級な、より大がかりな、より長期的なだましとがある。

そして、より大がかりな次元になるほど
単なるだまし、単なるペテンではなくて
もっと重要な、根本的な意味を有する作戦計画に近づいていく。

その真意が、何重にも秘匿(ひとく)されているので
ほとんど絶対に外部の者には見破られない。
暗号化(コード化)されているといってもよい。

ユダヤ・キリスト教とは
実にこの種の最高次元のペテンであったのだ。

ユダヤ・キリスト教は
それだけ孤立した単発の事象ではなかった。

ひと続きの芝居の中の一つの幕にすぎず
その背後に、それを演出する別の巨大な勢力が潜んでいたのだった。

しかもこの超大物は
地球生物全体社会から生まれたその一員ではなかった。
彼らは、地球の外からやって来た異星人であった。

そして、20世紀を準備期として
彼ら異星人は、世界人間牧場が完成してゆく次の時代
(アイオン)に入っていくつもりである。

クロウリーによれば、それは2千年続くと言う。

このような彼ら異星人の歴史観の枠組みでは
主体(本体)は異星人であって

地球人類はもちろんのこと、地球そのもの、地球まるごと
彼ら異星人の文明と、必要のための素材
材料、客体、獲物、脚注のごときものに過ぎない。

彼らは地球まるごと、利用の対象
搾取(さくしゅ)のための材料と見る。

彼らは地球に対して、義務も責任も共感も義理も持たない。
彼らは地球を故郷と感じない。

彼ら異星人主体の歴史を
過去、現在、未来へと、一貫して通ずる赤い糸が存在する。
それは「供犠(くぎ)」である。

動物および人間を生贄として、Godに供えることを意味する。
古代期には、白昼公然と、アダム的人間を殺戮して
その肉を食べ、その血を飲んだ。

大洪水から現代に至る6千年では
厳重な秘密のうちに地球人を殺害して
その血を飲む儀式体系が開発されている。

ただし、中国では例外的に、食人が公式の制度として
先秦時代から20世紀初頭、清朝滅亡期までの4千年以上
国家社会の表舞台で行なわれていた。

英語の生贄、サクリファイスは、英和辞典によれば

「神に捧げられた、神聖な、神聖化する」

などという言葉と直結している。

ここで安易に
「神に捧げられた」などと表記してしまっているが
もちろん、こんな危険な翻訳は受け入れられない。

なぜなら、日本民族の「神」の観念は
西洋オリエントに由来する異星人文明の
地球原人管理の手段としての「宗教」とは
全く別物だからである。

 

つづく