金融支配の次は共産独裁政権を樹立する 1/4 | 天然記録

前の本と内容同じだけど

ページ数が増えているので加筆したのかも

前回はP326でこちらはP364

 

 

↑より抜粋

 

2012年10月発行

 

古代世界の多くの歴史家たちはユダヤ現象に注目し
それについて意見を述べたが
以後そうした歴史書のほとんどは焼却されてしまった。

ユダヤ人はすでに、国家の破壊者であると知られていた。
彼らはほんの少ししか、あるいはまったくと言ってよいほど
政治的力を行使することを許されなかった。

それにもかかわらず、どういうわけか
彼らの力は、まざまざと感じられた。

ユダヤ人は、宝石や金の取引を介して
また銀行家や盗品の買受人としての
国際的ネットワークを介して隠然たる力を蓄えたのである。

金貸しは、ユダヤ人の基本的事業であった。
なぜなら、ユダヤ人に浪費家貴族を支配する力を与えたからであり
貴族たちはそのことによって、ユダヤ人の目的のために
人民を隷属させるべく利用された。

ユダヤ人は、大都市に住み着く傾向があったが
帝国のもっとも辺境の居留地でも見られた。

ユダヤ人は、何千年もの昔
アスワンの僻地(へきち)で、金貸しの事業を営んでいた。
そして金貸し業は、ユダヤ共同体の経済
宗教生活に欠くことのできないものであった。

このころユダヤ人は、大っぴらに
黄金の神であるバール神を崇拝していたが
バール神の祭壇の前で行われた飲めや歌えやの祭礼が
あまりにも下劣でワイセツなものであったために
世間の人々に忌み嫌われ、地下にもぐることを強いられた。

バール神の偶像は溶かされ
ユダヤ人はそれをヤフすなわちエホバと改称した。
このようにしてユダヤ人は、世間に隠れて
バール神崇拝の祭儀の多くを続けたのである。

「ユダヤこそ古代世界でもっとも重要な文明であった」
というユダヤ人の強い主張にもかかわらず
実際のところ、パレスチナのユダヤ民族は
古代の記録の中ではそれほど注目されなかった。

事実を言えば
「ユダヤ文明など存在しなかった」ということである。
ただ、寄生体の増加による、健康な文明への悪影響があっただけである。
バビロンの運命は、その典型であった。

ラビ=ヘルツが
「バビロニアはペルシャのキュロス王に征服されたのち
ユダヤ自治、つまりユダヤ人自身による統治の中心となった」
と得意げに述べていることに注目してほしい。

国家を裏切ってキュロス王に明け渡した際に
ユダヤ人の演じた役割を、この記述ほど明らかにするものはない。

ユダヤ人は、バビロニア帝国を乗っ取ったばかりでなく
故国に帰るキュロス王に従って行き
ペルシャにも大きな居留地を築いたのである。

ペルシャ時代には事実上、自治が行なわれたので
律法学者という、よく組織が整った僧官支配階級の発展を許した。
律法学者とは、法典を学んだ者のことで
僧官としての明確な機能を果たしたわけではない。

この律法学者たちが僧官などではなく
ユダヤ自治共同体の支配者であったということである。

集会を開いてイエス・キリストに磔刑(たっけい)
を宣言したのは、この律法学者たちであった。

ペルシャ帝国でユダヤが影響を及ぼしはじめると
すぐにペルシャは、それ以前の文明社会がたどったのと
同じ道を歩むことになった。

「聖書」の中で
もっとも短い書編の一つに「エステル書」がある。
「聖書」の中でもっともユダヤ的であり
神について一言も述べられていない唯一の書でもある。

エステルの物語は
ユダヤのもっとも重要な宗教祭儀を生み出した。
つまり、ユダヤ人が異教徒に勝利をおさめたことを祝うプリム祭である。
勝利とは、エステルがハマンを処刑するのに成功したことを指す。

この時、ペルシャの王はアハシュエロス王であり
宰相(さいしょう)は、ハマンという実直で勤勉な非ユダヤ人であった。
ハマンは、ペルシャにおけるユダヤ人たちの勢力が増大するにつれ
彼らがひどく傲慢になっていくことに悩まされていた。

「エステル書」第3章8~9節には
次にように書かれている。

「ハマンはアハシュエロス王に言った。

『あなたの王国のすべての州にいる
諸民族の間に散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。
彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて
彼らは王の法令を守っていません。
彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。
もしも王さま、よろしければ、彼らを滅ぼせと書いてください』」

この要求は、王にはまことにもっともであると思われた。
そこで、ユダヤ問題が近い将来解決できる日のために
備えることをハマンに託した。

彼らは知らなかったが、王の最愛の妻エステルは
ハダッサという名の隠れユダヤ人であった。
彼女はモルデカイというユダヤ人指導者の姪(めい)であった。

王を彼女の魅力でたぶらかすため
モルデカイは姪をひそかに王城にもぐりこませていた。
こうしてユダヤ人娼婦が王妃になったのだ。

ユダヤ人は、すぐさま王の意図を察知し
モルデカイが宮殿に駆けつけた。
そこで、ユダヤ人の危機をエステルに知らせた。

エステルは大胆にも王に、自分がユダヤ人であることを告げ
あえて王にハマンの要求を果たすように言った。
王はエステルの女性としての魅力に抗しきれず
彼女の頼みなら何でもすると同意した。

エステルはただ
モルデカイやその他のユダヤ共謀者たちの処刑用に
ハマンが建設している絞首(こうしゅ)台が完成したら
代わりにそこでハマンを死刑にするよう、王に頼んだだけであった。

王は承知した。
そしてハマンが絞首刑に処されると
エステルは王を無理やり動かして、非ユダヤ人の臣下に対して
恐怖政治をはじめさせたのであった。

「王は、どの町にいるユダヤ人にも自分たちの命を守るために団結して
彼らを襲うかもしれない民や州の軍隊を子どもたちや女たちも含めて
残らず殺害し根絶やしにすることを許した。
また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した」
「エステル書」第8章11節

この節は、ユダヤ人の生来の残忍さをあらわしている。
ハマンのユダヤ人に対する行動は
政府の施策として計画されたが、ユダヤ人の反撃は
罪もない人々に対する野蛮な大量殺りくという形をとったのだ。

「王の命令とその法令が届いたどの州どの町でも
ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って祝日とした。
この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大勢いた。
それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである」
「エステル書」第8章17節

ハマンの10人の息子たちはみな絞首刑にした。
ハマンの家屋敷や財産はエステルの身内に与えられた。

そして非ユダヤ人の大虐殺がペルシャ帝国全体で行なわれた。
さらに生来の指導者たちが枯渇して国家を極度に弱体化させたために
ペルシャ帝国はその後すぐにアレキサンダー大王に
あっけなく征服されてしまったのである。

ハマンがユダヤ人を攻撃するにあたって
クジ、つまりプルを投げたので、勝利を得たユダヤ人は
非ユダヤ人に対する勝利を祝うためプリム
すなわちクジの日という名前をつけた。

エステル書の最後の節は
幸せいっぱいのユダヤ共同体の様子をあらわしている。

「それはユダヤ人モルデカイが
アハシュエロス王の次に位(くらい)し
ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され
自分の民の幸福を求め、自分の全同胞に平和を語ったからである」
「エステル書」第10章3節

こうしてエジプト、バビロンおよびペルシャの文明は
ユダヤの転覆(てんぷく)工作により崩壊したのである。
次にユダヤの寄生禍の矢面(やおもて)に立ったのは、ギリシャであった。

歴史上、ユダヤ人とギリシャ人ほど真っ向から対立した民族はない。
ユダヤ人はいつの時代もギリシャ文化に対して
大きな憎しみを抱いてきた。

アレキサンドリアは、ギリシャ帝国末期の知性の中心であり
その図書館は世界最大規模であった。
ユダヤ人がヘレニズム文明を解体させたのはここにおいてであった。
のちにユダヤ人は、この図書館を焼却してしまった。

というのも、アレキサンドリア図書館には
ユダヤ人の破壊活動についての
何百冊もの歴史的参考文献が収蔵されていたからである。

ギリシャ文明が衰退すると、ユダヤ人は今度はローマを汚染しはじめた。
ローマ帝国にユダヤ人が影響を及ぼす当初から
ローマ人は危機に気づいていたが、ユダヤ人が潜行する影響を
食い止める手立ては無いように見受けられた。

ローマ学者のウィリアムソンは、次のように述べている。

「分裂は人種間のものではなかった。
モーセの律法に忠誠を誓う者と、それを拒否する者との間の分裂であった。
あらゆる人種の者がもし望むならば(ユダヤ人にとって)
ユダヤ社会に受け入れられるだろう。
ただし、不可欠の条件として、割礼(かつれい)を受け入れるならば、である。
割礼のゆえにユダヤ人はローマ人に侮(あなど)られたのだが」

(割礼とは、男性器もしくは女性器の一部を切開あるいは切除
場合によっては性器口を封鎖する外科的施術を指す)

このようにユダヤ人は、野蛮な「目には目を、歯には歯を」
というモーセの律法を受け入れる者でも
ユダヤ強盗団から排斥(はいせき)しなかったことがわかる。

国際的な闇社会の常として
ユダヤ人には絶対に明確な識別の徴(しるし)が必要であった。
つまり、ただちにユダヤ人の仲間であるとわかる
身体的符牒(ふちょう)が必要だったのである。

割礼が必須であるとユダヤ人が常に主張してきたのは
まさにこの理由のためである。

ローマ帝国の中で権力を握り、多くの奴隷を所有しはじめると
彼らが最初に行なったことは、所有物表示のバッヂとして
非ユダヤ人の奴隷に割礼することであった。

こうして非ユダヤ人が割礼されたことが
反ユダヤへとローマ人を奮い立たせたのである。

西暦315年、皇帝コンスタンティヌスは
ユダヤ人を排撃する最初の勅令(ちょくれい)を出し
その中で彼はユダヤ人を「あの恥ずべき一派」と表現した。

この時までユダヤ人は、ローマの法律は
自分たちには及ばないと考えユダヤ独自の法廷を開いていた。
長老たちの支配に背(そむ)くユダヤ人は厳しく処罰された。

ユダヤ行政権へのこのような干渉を受けて
ユダヤ人はコンスタンティヌス帝に反感を抱きローマから追い出した。
皇帝はコンスタンチノープルへ行き
(自分の名前から命名、トルコのイスタンブールの古い名)
そこにビザンチン帝国を建設した。

ユダヤ寄生体が非ユダヤ人宿主に対しての憎悪はとても凄まじく
ユダヤ人にとって最も重要なことは
この感情を相手に隠すことだとされるほどである。
それゆえにユダヤ人は、いつもオリーブの枝
(平和・和解の象徴)を携(たずさ)えあらわれる。

ユダヤ人の最初の挨拶は「シャローム」すなわち「平和」である。
ユダヤ人が業務や会合をひそかに行なわざるをえないのは
ユダヤ人の本当の感情を隠すこうした必要性からなのである。

バビロンが絶えたあとに幾世紀を経ても
ユダヤ人は「バビロンの売女(ばいた)」とののしり続け
しかし、ユダヤ人は、あらゆる国家の中でローマをもっと憎み
今日でさえもユダヤ人の敵に対する絶好のののしり言葉は
「ファシスト」である。

「ファシスト」は何を意味するのであろうか?

それはローマの裁判官が
犯罪者に罰を執行するのに用いた束桿(そっかん)
(ファスケス fasces)すなわち「束ね合わされた棒」
という言葉に由来する。

それは単に法律の規定、つまり残忍なユダヤ人の
モーセの律法と対立する非ユダヤ人の法律を意味するにすぎない。

にもかかわらず、今日、この単純かつ正確なファシズムの定義を
学生が学べる大学は世界に一つもない。

ユダヤ人教授は、学生たちに「ファシストというケダモノ」は
人間の中でもっとも恐ろしく邪悪なものであると教えるが
決してその先は説明しない。

ローマの没落に際して
ユダヤが演じた役割を指摘する歴史家はほんの少数しかいない。

さらに、ユダヤ人がローマ帝国で獲得した権力について
何らかでも示唆を与える歴史家はもっと少ない。

これらのないがしろにされている事実を発見できるのは
ユダヤ人自身が出版した本の中のみである。

この2000年間というもの、物事はさほど変化していない。
あらゆる国に依然として自由民主党という政党があり
この党は常にユダヤの野心を代表する。

もし我々が、ユダヤ人の宗教が昔も今も
黄金であることを理解するならばエルサレムのユダヤ神殿は
依然としてバール神すなわち黄金の仔牛崇拝の総本山だった。

しかし、バール神はいまや「エホバ」と呼ばれてはいたが
ローマの元老(げんろう)院議員の中には黄金取り引きを
禁じようとする者もいたが、ユダヤ勢力に打ち倒されただけであった。

 

つづく