地球には設計者がいると思う
人類を救世主を待ち望む
迷える子羊設定に故意にしていたとしたら
宗教は支配に利用されてきたと思う
神に祈るより、身近な人や自然、動物
自分自身の努力に感謝しない宗教は嫌い
宗教は神の権威で人を操作できる
宇宙人も神もゲームを彩る設定なのかも
そもそも、どの国の神話も似ているのは
名前を変えた同じ登場人物らしい
悉達多太子(しつだつたたいし)
釈迦の出家前の名
阿修羅(あしゅら)
帝釈天(たいしゃくてん)に歯向かった悪鬼神と
一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天界の神であった。
阿修羅が天界から追われて修羅界を形成した。
梵天(ぼんてん)
仏教の世界観において最高位の一つである梵天界の主
兜率天(とそつてん)
仏語。六欲天の第四天。
内院と外院があり
内院は将来仏となるべき
弥勒菩薩(みろくぼさつ)が住するとされ
外院は天衆の住む所とされる。
転輪王(てんりんおう)
古代インドの思想における理想的な王を指す概念。
地上をダルマ(法)によって統治し
王に求められる全ての条件を備えるという。
――――――
王家はどこから来たのだろう。
王家の人々はいったい何者なのだろう?
ある日、空より降り立ち
それだけでよかった。
そこからすべてがはじまったのだ。
ある日、空より降り立ち
すべてがうまくいっている間はそれでよい。
しかし、いったん平和な時が去り
人々の精神が、生活が不安におののくとき
不幸や悲劇の根源をさぐって
最後にはただ一つの問いに至る。
その問いはすでにむなしく答えは求め得ようもない。
お尋ねします。
梵天王(ぼんてんおう)よ。
この高貴な天上界に、なぜかかる破局が
こめられてあるのでしょうか。
ここに至る間に、僧たちに導かれるままに
様々な破滅と破壊のありさまをしさいに見てまいりました。
私は人間世界の様々な、おぞましい破壊の様相に
一貫する暗黒の原理を見極めたいものと念じて
実はここまでやってまいりました。
しかし、ここで私の見たものも
様々な破滅や死の相であったとは。
この天上界における兜率天(とそつてん)の深刻な
破局の原因はいったいいずこにあるのでしょうか。
それは太子、この天上界に対する阿修羅の侵略が
この兜率天空間の防衛すらすでに非常に困難にしているのだ。
知っていよう。
あの三面六臂(さんめんろっぴ)の異形の者たちだ。
どこからやってきたものか、全く分からない。
しかしその王は叡智に富み、勇猛、果断
彼の指揮する兵団の精強なること
全くわが天上界の天兵をもってしても
時に防戦も意のままにならぬほどだ。
この兜率天を守護する帝釈天王
(たいしゃくてんおう)との戦いもすでに
4億年におよばんとしていっこうに退く気配もない。
この阿修羅王こそ、宇宙の悪の本質と考えられよう。
しかしこの兜率天こそ
56億7千万年ののちに
理想の世界を開いて人類を救済す≪弥勒(みろく)≫の
今なおその時期を待ち続けている未来の栄光の都市であったのだが。
56億7千万年。
その長さの実際はどのようにしても
それを把握実感することは不可能だ。
ほとんど永劫に近い永きにわたって
この兜率天空間は
そしてその遥か彼方につらなる人類世界は
待ち続けなければならないのだった。
待ち続ける――
そのたとえようもない単調な作業だけが
やがて来る破滅に耐える唯一の方法であるとは。
≪弥勒≫の未来に対する待望に比べて
阿修羅の今に、明日は無かった。
――――――
なに故に梵天王の知ろしめす
この天上界に攻め入ったのか。
その望むところは何か。
そして阿修羅王よ。
王はどこからやってきたのだ。
王の棲む世界はいずこにあるのだ。
阿修羅王は両手を後にまわして腰をかがめ
あごをつき出した。
大きな双の目が皮肉の色をたたえて
生き生きと輝いた。
太子、56億7千万年ののちに
いったい何があるというのであろう?
どのような破滅がやってくるというのか。
太子には想像がつくか?
太子よ、こうは思わぬか。
弥勒はその破滅の実態を知っているからこそ
そうしてたとえようもない
永い永い時間を待ち続けているのであろう。
破滅の実態をよく予測し得るからこそ
人類を救済するのだ、などと言っているのであろうが。
それならなぜ破滅の様相を説明しないのだろうか?
説明したがいい。ついでに救いの方法も説いたらいい。
まことの救いの神なら実はその破滅の到来こそ
防ぐべきではないか。
阿修羅王は、氷のようは一べつを、太子の顔に当てた。
まだ破滅が来ないからであろう。
阿修羅王は声もなく笑った。
太子、私とてこの世界の従属物だ。
私の存在もこの世界の実相の一つにしか過ぎない。
この世界の荒廃(こうはい)は
この世界自体の内部に起因するものではない。
破滅や発展は単なる変化の部分的性質だ。
たとえ人間の死といえども、それは真の意味での消滅ではない。
生生流転(せいせいるてん)する一時の相に過ぎないのだ。
ところが今、この世界が直面している破滅の形態こそ
真の意味での破滅であり、もはやその後には
いかなる種類の変化も起り得ないのだ。
すべてのエネルギーが、最終的に熱エネルギーに変化し
それが徐々に宇宙空間に流出してついに
完全に平衡状態に達した熱的死がやってくるのだろう。
梵天王は私の警告に耳を貸そうともしない。
やがてこの世界の荒廃の原因が
私のひきいる阿修羅王の
そしてその所管するところの
凶悪に起因するなどと言いだすだろう。
それもよい。しかし梵天王は今こそ
転輪王(てんりんおう)の企図を知ることだ。
転輪王、というと
婆羅門(バラモン)にも説かれていよう。
王の王たる者。
すなわち化して因縁を転ずる自在な王のことだ。
この世の外にあって生成を看ることすでに一兆年の余という。
阿修羅王よ
あなたはその転輪王に会ったことがあるのか?
太子よ、転輪王の姿を見たものは誰もいない。
どこにいるのかも知らない。
しかし、その名を知る者たちはひとしく
いつか必ず、それもあまり遠くない時代に
転輪王はこの世界に姿を現すに違いないと思っている。
その時、彼は偉大なる唯一の神として
また造物主として、まさに因縁を転ずるものとして
この世界を支配するだろう。
阿修羅王よ
その時現れ出て人間を救うのが弥勒ではないのだろうか。
弥勒が人間の世に現れるのは
今より56億7千万年ののち
末法の世というが。
太子、弥勒がそもそも何者なのか、誰も知らない。
兜率天浄土にあって末法の世を待つというが、太子。
弥勒が待っているものはそもそも人類の救済なのか
それとも末法それ自体なのか。
いったいどちらなのだ。
また、弥勒なるものを、果たしてそこまで信じて
なおかつ救世主として待望してよいものなのだろうか。
私ははなはだしくそれを疑い、兵をあげて梵天王に迫った。
弥勒なるものの存在に
世界の命運がかけられていると思ったからだ。
わからぬ
これだけは言えると思う。
思考コントロールを受けている、と。
――――――
悉達多太子はこの時
ふと、いつ、いかなる時代にあっても
人間のあわれさには変わりがないのではあるまいか、と思った。
何も知らされぬまま、何がどうなっているのかも分からぬままに
その生を終ってゆくのだろう。
弥勒は56億7千万年ののちに
この世にくだり来たって人々を救うという。
その救いかたは
この世のしくみそのものを変えてこの世自体を
神の国と同質のものになしてしまうという
積極的特色のあるものだった。
故に弥勒の到来は人々に待望された。
そこにあるものは人々が求めてやむことのない
神の王国だった。
それ故にこそ、人々をはげしい弥勒信仰にかり立て
それを説く波羅門の教えに耳を傾けさせたその力こそ
永い永いほとんど半永久的ともいえる
56億7千万年ののちに
姿を現すという一人の神の姿だった。
しかし56億7千万年という
その永遠にも似た闇の思想こそ
実は人々の心の奥底にひそむ
やりきれない絶望の反映であったともいえる。
おそらくこの世界の統一者である梵天でさえ知るまい。
かつてこの世界を訪れ
この世界が己の領域にあることを
宣言して去った異世界の住人。
この世界を外から支配するもの。
56億7千万年ののちに再びこの世界に現れて
すべてこの世界に住むものの命運を決しようとするもの。
それが弥勒と呼ばれるものだ。
弥勒はあなた方の世界で
いったい何を行なおうとする気なのであろう。
波羅門の説く下生経
(げしょうきょう)に描かれる理想郷は
人々の心を奪うに充分だ。
その理想郷のためにあなた方は何を捧げるつもりだ。
知恵か、生命か、それとも心か。
まだ時間はある。
ゆっくりと考えたがいい、太子。
太子は阿修羅王に向かって合掌すると
静かに背を向けて歩き出した。
しばらく歩いて振り返ると、阿修羅王の姿も
はためくオーロラも、夜空を切り裂く青い閃光も
すべてあとかたもなく消えていた。
すべては幻だったのだろうか。
太子の胸に、あの修羅と呼ぶにはそぐわない
あるいは誠に修羅と呼ぶにふさわしい一人の少女の姿が
焼金をあてたように鮮烈に灼きついていた。
――――――――――――
ナザレのイエス
先ほど、お前が説いていた最後の審判、という言葉だが。
あんな世迷いごとをどこから聞いてきた。
ローマ人に宗教はない。
すくなくともお前たちの言うような宗教はな。
それはあなた方の精神が衰えてしまっているからだ。
ローマはギリシャの神を踏襲(とうしゅう)しただけだ。
真の神はただ一つしかない。
太陽の神だの、月の神だの、雷の神だの、海の神だの
神がそんなにいろいろあってたまるものか!
さすがのセイントもこれには言葉につまった。
ローマ人にとって、神は恐れであるとともに
完全な一つの遊びでもある。
ローマ人は貧困を知らないし
現世的な不幸はかなり上手に処理することができたし
真の意味での救世主は
この頃はまだ必要なかったと言える。
その限りにおいてはローマ神は
生活に陰翳(いんえい)を加えるものであり
日常、生起する悲しみや苦しみに深刻さを加える
調味料であったと言っても過言ではない。
だからこの議論はしょせん2人の間でかみ合うはずがなかった。
最後の審判、というのは面白い考え方だが
ただ、何も知らない者たちはその点だけを心に止めて
お前の教えを恐れ、お前に従うのではないかな?
この頃、あちらこちらで現れるお前のような男は
皆、そのようなことを言う。
いつか天の神の裁きがくだって
心悪しき者は神の火によって焼き亡ぼされる
と言うのだ。
神の国はやがて我々の目の前に
美しい理想の国の実現となって現れてくるのだ。
苦しいオキテや、修業や、我が身を顧みて
神にゆるしをこう必要などいったいどこにあろう。
神はすべてを許したもうのだ。
エホバは人間をあわれみ、いかなる罪も許してくださるのだ。
祈ることだ。
神のみ心にかなった者だけが神の国へ行けるだと?
神は絶対に公平だ。
神のみ心はこの世界を幾つもうちにふくめても
なおみつることがないほど大きく広いのだ。
実はナザレの大工である一人の男の
大きな誤算がそこにあった。
なあ、おらあ、その最後の審判とかいう時に
神様に拾い上げてもらうよりも、酒呑んでた方がいいや。
だいいち、その最後の審判というのはいつのことなんだ?
知らねえな。
俺たちが生きているうちのことじゃねえだろう。
それじゃ、なんにもならねえじゃねえか。
いや、今のうちに俺たちが行ないを正して
神に祈っていれば、俺たちの子どもや孫たちが
その審判の時に助けてもらえるというわけだろう。
じゃ、俺は子どもがいねえから関係ねえや。
人々はざわざわと汐がひくように
露地やアーケードの奥へ消えていった。
散っていった人々は引き立てられていった
一人の男のことはもう完全に忘れてしまっていた。
イエスよ
お前の言う、その≪この世の終り≫
というのはいったいいつ頃やってくるのかね?
いつだかはっきりしたことは分からないが
近いうちだ。
それで?
お前はどうしろと言うのだ?
その≪最後の審判≫を迎えるために。
だから、皆、むろん俺もだが
その神の裁きを受ける
心の用意をしなければならないのだ。
どんな用意をだ。
だから、心を綺麗にして神にすがるんだよ。
祈るんだよ。
その祈りのもとになるのは懺悔だな。
ただそれだけではわからんな。
そんな曖昧なことを言っているから
人に訴えられるんだ。
ナザレのイエスよ。
お前は自分が救世主だと言ったそうではないか。
ああ、俺は救い主だ。
人は俺を予言者だと言うが、それは違う。
俺は予言者ではない。
予言者というのは人の生死
まだ見ぬ明日に横たわる運命について話すわけだが
俺はそんなことはしない。
俺は人を救うだけだ。
様々な罪から救い上げるだけだ。
お前は、すべての世の人々に代って
天なる神にその罪をあがなうのだ
と言ったそうだが。
そのとおりだ。
俺は救い主、天なる神の子だ。
だから俺はやがて来る神の裁きに対するあがないをするのだ。
お前たちに代って、お前たちの罪を清算してやるのだ。
いや、別にわしの罪を
お前に肩代わりしてもらいたいとは思わぬが。
ナザレのイエスよ。
お前が、自分を救い主だという
その自信めいたものの裏づけは何だ。
聞くところによれば、お前は奇跡をあらわすそうだが。
救い主は、すべての人につかえる
しもべの姿をとってあらわれ
人類の罪を背負って十字架の苦難を受け
自らを神の怒りに対するあがないの供物となし
それによって、わが魂をして
人々の神の国へいたる道しるべとなすのだ。
誰に教えられた?それを。
まさか、天なる主に直接、告げられたわけではあるまい。
予言者ヨハネにだ。
あの男はたしか
ヘロデ・アンティパス王によって
バルカで処刑されたはずだが。
いや、死んではいねえ。
ヨハネは死ぬわけがねえよ。
なぜ?
大天使ミカエルの友だちだからよ。
俺も引き会わせてもらった。
でも、俺は少し離れたところから
あいさつしただけだけれどもな。
会ったって?大天使ミカエルにか?
どこで会ったのだ、ミカエルに。
ヨルダン河の谷間で
彼は天からくだってきた。
神の国は
神のゆるしを受けた者だけが入ることができるのだ。
神の門ははなはだ広いのだが
そこを入ることのできる者が果して何人あるのか。
裁きは厳しいのだ。
な、なんと!
その男をはりつけにかけよ!
ユダヤ教の大司祭たちは、ほおひげを震わせて叫んだ。
総督閣下。
ただ今、我々の前でこの男に死を命じたまえ。
もっとも醜い死を、この男に死を!
ミカエルに会った
などと言わなければ放免もしてやれようものを。
バカなやつだ。
この男の言うことを、お前はどう思う?
心の病いか、と思われます。
ただこの男の言葉を信じ
この男を救世主とあがめる一派が貧民街に
特に近ごろかなり勢力をのばしているようでございます。
この地方の特殊な宗教問題に
ローマ代官が無用な関り合いを持つことにならぬよう
我々としても警戒し
またこの事件の処理も考えたいと思います。
のう、セイント。
あの男の言った言葉をどう思う?
彼が天使ミカエルに会ったという、あれでございますか。
さあ、なんとも。
しかし町役人どもが申すには
あの男、死を待つばかりの病人
また立つことのできぬ足なえなどを
たちまちのうちに元の健やかな体に戻し
あるいは風のように走らせもしたと。
これは役人の実際それを見た者がある
ということでございました。
いかがわしい魔術、妖術のたぐいであろうか?
さ、それは。
大司祭たちはそう申しておりますな。
神に対する反逆であるとしてたいへん怒っております。
それ故にこそ
これ以上、イエスを野放しにしておくことは危険ですぞ。
神のみがそうした奇跡をあらわしうるのだろう。
その恐るべき能力こそ神以外のなにものでもあるまい。
だが、セイント。
神はそんなに簡単に
この世にあらわれるものなのであろうか?
パンのひとかけらをもって
多数の貧民の飢えをいやすことが
どうして神に結び付くのか、わしにはわからぬ。
神は人間の運命を支配し
この世界の天象とその変化によって
神は己の存在と意志を具現する。
神は人間とは遥かに隔絶したところにあって
もし神が直接その姿を人間の目に触れしめる必要のある時は
すなわち、おおいなる奇跡をおこなう、と。
奇跡はあらわれたではないか。
ナザレのイエスは救世主(メシア)というわけか。
総督、イエスを生かしてはなりません。
神とはこの男の言うような終わりの日の裁き
などというものの後にやってくるものではない。
終わりの日の裁き、すなわち、最後の審判
神の裁きとはそもそもなんだろうか?
神とは人を裁くものか?
神によって人間は生まれた。
人間は神意の発現だ。
しかしそののち、人間の考えることや行いが
いささか神の期待するものとは異なったものと
なってしまったのかもしれない。
だから神が人間を再評価して
造り直す時があるのかもしれない。
それが最後の審判ではないのか?
とんでもない、総督閣下。
神意は決して裁きなる形であらわれるものではない。
神は予言者をして、そのみこころのうちをのべたもう。
人々はその予言に従い、生活の計画をたてるのだ。
総督閣下、わしがどうも腑に落ちぬのは
この男の言う、その
≪神の裁きを待つために心を清く、行いを正せ≫
という言葉なのだが。
この言葉の中には実に恐ろしい脅迫がある。
最後の裁き、というような恐ろしい毒のある脅しを
この男は何も知らぬあわれな民衆につきつけるのだ。
恐怖のゆえに、この世に平和が訪れたとしても
それはもはや真の幸福とはほど遠いものでございましょう。
神とは決してそのような代しょう作用ではないはず。
総督閣下、もはやこの上、なんの調べが必要か。
罪状はかくも明白ではないか。
この男に速やかなる死をあたえよ!
――――――
ナザレのイエスよ。
一つ聞きたいことがある。
お前がこのエレサレムに入ってくれば
こうした事態が生ずるのは
お前にもじゅうぶんに分かっていたはずだ。
生きてこの城市を出られるとは思っていなかったろう。
それなのになぜやってきた?
生命の危険をおかしてまでここへやってきたのは
いったいなぜだ?
誰かにそそのかれたのか?
もしそうだとすれば、それは誰だ?
俺がこのエレサレムにやってきたのは
誰にそそのかされたのでも、命じられたのでもない。
俺はここへ来なければならなかったからだ。
俺が神の子であるということを皆に示すためには
俺は奇跡を示さなければならないだろう。
お前が神の子であるということを
人に納得させるために
いったいどんな奇跡を行なうというのかね?
そのことだよ、そのこと。
俺を死刑にしろ、と言ったやつがいた。
かまわん、俺はもっとも大きな奇跡をあらわすために
このエレサレムにやってきたのだ。
見せてやろう、お前たちに。
いや、このエレサレムのみんなに
まて、ローマ帝国のすみずみにまで
俺が真の神の子であることを見せてやろうじゃないか。
すると、お前は死刑になることを覚悟で
このエレサレムにやってきたというわけなのか?
総督、俺ははりつけになる。
俺は十字架の上で死ぬ。
その時、必ず大いなる奇跡があらわれ
人々は恐れおののき、地にひれ伏して
俺のこれまでの罪を神の前に懺悔して
ゆるしをこわねばならないだろう。
俺が神の子、救世主であることを疑う者のために
俺は自ら証明しなければならないのだ。
すでに時はきた。
さあ、俺を十字架にかけたがいい。
総督、それこそ望むところだ。
なあ、奇跡を見たくないか?
見たいだろう。俺がその奇跡を見せてやるから
俺が神の子だということを信じるんだぞ。
いいか。いや、俺がこんなことを言うことはねえ。
俺が黙っていたって
お前たちは嫌でも信じなければならないだろうよ。
人間は天の神エホバを恐れず
これを愛さなければならぬ、か。
そしてやがて地上に最後の審判の日がきて
神が人間を裁いてこの地上に天国をもたらすであろう、とな。
その日の来ることを信じてただ神にすがれ。とか。
救世主は来たれり、か!
2人は声を合わせて笑った。
彼は神による最後の裁きなどと称して
無知な良い民をまどわし
ゆえもない恐怖におとしいれ
その生活をはなはだしく破壊するにいたったこと。
さらに、ユダヤ教の古来の神とその教えを冒瀆し
かつ、無根の事実をもって教団を誹謗するなど
ユダヤ教大司祭に向けられた心理的攻撃の数々。
以上、2つの罪科によって、ローマ代官
エレサレム総督ポンティウ・ピラトゥスは
ナザレの大工、イエスを死刑に処する。
大司祭たちはいっせいに歓声を上げた。
ローマ万歳!ローマ皇帝万歳!パクス、ロマーナ!
――――――
総督閣下、彼の行なった奇跡と称する
数々の行ないのうちのあるものは
確かに物事の道理にそぐわない
どのように考えても
その必然的ななりゆきを持たない
極めて不思議なものでございました。
それを彼は神の奇跡だという。
いつかはその奇跡がこの世のすべてを支配するのだ
と彼は言う。
彼は、2年前にすでに処刑されていなければならなかった。
どうやらもはや遅きに失した感がありますな。
それはこの予言者イスカリオテのユダが
すでに何度もピラトゥスに提言してきたことだった。
確かにユダの言う通りだったのかもしれない。
しかし、あの頃は彼が今のように
市民間に熱烈な信者を獲得できるように
なるだろうとはとても思えなかった。
彼の弟子たちは今どうしているのでしょうか?
彼が逮捕されたと聞くや
たちまちのうちに離散し
皆その行方をくらましたという。
やはり深遠な神の導きも
死の恐れにはかなわなかったとみえる。
この世の楽園が訪れる前に
自分が死んでしまったのでは
たまらないからだろうからな。
彼の弟子たちにとって、イエスという一人の男が
はたしてどれだけ分かっていたでしょうか。
彼の説く愛も神も、実は一つの暗号に過ぎないのです。
彼の説くすべての言葉は、人間の考え方
また願望とは全く別な発生点を持っているのです。
するとナザレのイエスの説く神はいったい誰のものなのだ。
誰のためのものなのだ?
さあ、私は実は彼に期待する所がはなはだ多かった。
ガリラヤのある小さな村で
説法中の彼をはじめてこの目で見た時
私は彼だけは、数多い靴をぬいで放れば予言者に当る
といわれるほど数多い無能ないつわりだけの予言者とは
明らかに違っていると思った。
なぜなら
彼の説くのは予言ではなかったからだ。
なぜなら、それは人間を不幸にすることはあっても
決して幸福にすることのない性質のものだったからです。
なぜ?
もし神が誠に最後の裁きを必要とするものなら
この世は滅びの道にこそ定めがあるものなのでしょうか。
ユダが右手を上げて遥かな夜空の輝きを指さした。
あの遠い夜の光りの雲。はっきりと申し上げて
私はあのようなものを見たのははじめてです。
北の果の海。また南の果の土地は永遠の雪や氷で閉され
そこではときおり不思議な光りの雲が美しく輝くのが見られると
あるフェニキアの舟乗りのおさに聞いたことがあります。
しかし、あれはどうやらそれとも違うようだ。
やはりあの光りはイエスの処刑に関係がある
というのか。
いや、あの光りがあの男の処刑につながりがあるとは
決して思えません。
イエスの処刑の前夜、あのような光りがあらわれたことは
これは全くの偶然でしょう。
あれは単なる、しかし極めて珍しい自然現象に過ぎないと思います。
あの光りに関するかぎり安心してよろしいでしょう。
市民には、ただちにそう伝えてみな寝につかせることです。
ユダ、のちの世の人々はイエスの処刑の前夜に
恐るべき奇跡があった、というであろうな。
のちの世の人々は、ナザレの男の処刑と
なにごとか恐ろしい出来事を結びつけて
さらにのちの世に伝えるでしょう。
――――――――――――
シッタータは暗い眼差しで
目の前のつらなっているロッカーの壁を見つめた。
この世界の破局の前兆が確かなものとなった時
我々は都市を見棄てた。
我々の偉大な神は我々を見守り、か。
シッタータはホイストの心理攻撃にはいつでも
対抗できるように心をかまえてホイストを見上げた。
訪ねたい事がある。
都市を見棄てなければならなかった
その理由はなんだ?
次に、ここへ
ナザレのイエスと称する男がやってこなかっただろうか。
答えはなかったが、シッタータは続けた。
今、私は天にそびえる巨大な都市をこの目で見た。
それは、おそらく、この無数のロッカーを個室とし
内部の受け皿に入っている記録カードを市民とする
仮想の都市の姿なのだろう。
外界に対して完全にシールドされ
いかなる自然の激変にも耐えられる。
しかも神はつねに彼らを見守っている。
頭上から声がふってきた。
その通りだ。
今、お前が見たという都市は
実はお前が一部の回路を破戒したために生じた虚像だ。
これはこのエリアへの来訪者に対して用いられるものだ。
来訪者は現実的に完全に同化しうるものだ。
それは完全な催眠効果で
来訪者は壮大な都市の中を歩きまわり生活し
たくさんの人々に会うのだ。
しかし、それが全くの幻想であり
自分は坐したまま、あるいは床にうち伏したまま
ただの数分を送っただけだとは
そののちも決して気がつかないだろう。
――――――
生理的なパターンだけが記号化されて保存され
それが人工肉体に封入されてあらわれたからといって
それが人間だ、いや生物だと言えるか!
シッタータは鉄さび色の嘔吐感をこらえながら言った。
お前自体がそうでないと言えるのか?
お前の故郷の星も、お前の生活も、また今
お前の目の前に繰り広げられている様々な出来事も
すべて幻想の所産でないと、お前は言いきれるか?
そのすべてのものが集団幻想による
仮構の世界に在るとしたら?
そんな…
現象は決して実態の投影ではない。
観測の技術も方法も、それを確認する手段はあるまい。
それでは不可知論に終始してしまうではないか。
不可知とは何か。
不可知というからにはすでに
認識を前提としているのか。
まて。
キー・パンチ・カードの中にある自分を
どのようにとらえているのか。
お前は眠っている間の
己の存在をどのようにとらえているのか。
眠っている時、か。死も、また。
シッタータは頭をふった。
――――――
シッタータよ。
このようなことを考えたことがあるか。
阿修羅王は暗い外の闇からシッタータの顔に視線を向けた。
私たちが何者かの命を受けて働いているのだ、と。
何者かの命を受けて?
そうだ。おりおなえは?
3人は互いに、暗い淵のような目の奥を見つめた。
これまで己では気づかなかった心の中の薄膜が一枚
音もなくはがれて、そこから思いもかけない
外界の姿がうっすらとのぞいていた。
遠い遠い昔から己の心を支え
世界を滅亡へと駆り立てるものに対して
果てしない戦いをいどんできたその背後に
戦いを命じ世界を破滅から
救うべく意図した超越者があろうとは
考えたことがあったか?これまで
時に思うことはあった。
いったい何者が我々をこのようなサイボーグに改造し
あの荒涼(こうりょう)とした
生物の影もない波さわぐ磯に放置したのか。
もちろんそこには何事か重大な意図が隠されているに違いない。
あるいは居たに違いない。
それがいったい何なのか、考えようとしても
私の記憶巣はそこだけが完全に空白になっているのだ。
いや、回路が断たれている、と言ったらよいかもしれない。
もし、あの帝釈天(たいしゃくてん)の言葉が
それを追求するものだとしたら
我々の記憶からそれを封じたものの意図は
完全に果されたものと言えるだろう。
阿修羅王はそれが何者なのか
少しでも心当たりはあるか?
阿修羅王はかすかに首をふった。
知っているような気もするのだが
おりおなえは?
おりおなえはしきりに首をかしげていたが
ためらいがちに口を開いた。
昔、善の神に対するに
悪の神のあることを信ずる民族のことを
聞いた事がある。
また、日の神に対して
夜の神を祀る習慣を持つ部族の村に
立ち寄った事がある。
善の神はすなわち日の神、太陽であり
これがやがて、天なる神、天の父という
思想に発展してゆくことを考えれば
悪の神、夜の神という設定は
単なる寓意以上の意味を持っていたと思うが
すると、悪の神、また夜の神を信じた人々は
太陽や天やその他、古代的信仰の中で
神と思われたもの以外のそれらと
全く正反対の意味を持つものの存在を知っていた
というのだな。
あるいは
我々の神は残念ながら
ことごとくあの破滅への陥穽(かんせい)でしかなかった。
その本質を知り、その破滅への過程から
人々を救い出そうとした誰かがいた、と考えられる。
阿修羅王、それがはたして
その超越者自身の姿なのか
あるいは、超越者の思想の投影なのか
それはわからない。
人の死や、罪や病い、貧困をつかさどるという神は
多くの民族の民間信仰の中に長い間、残っていた。
その多くの土俗の神たちの意味するところはいったいなんだろう?
そして、それらの神たちが、なに故、土俗の神として否定され
人間たちに忘れられていったのだろう。
たとえば、阿修羅王、あなた自身がそうだ。
私自身について言えば
おそらく私の存在にはそれら
世界の破滅を意図するある超越者に対する否定が
こめられていたからだろう。
それではそもそも
私をこの世界に送りこんだものは
いったい誰なのだ。
それも、破壊をはかるものの手が
この世界におよぶのと
ほとんど時期を同じくしてだ。
阿修羅王の存在は
シッタータのおこした新しい宗教の中に
組み込まれる事で人々の目から隠された。
破滅に対抗する、もう一方の超越者は
≪色即是空≫や≪彼岸≫なる言葉で
超越者の存在、そしてこの世界の置かれている
状況を人々の中に伝え残そうとしたのだと思う。
シッタータよ。
あなたはそれを、死や貧困からの脱出の意味でとらえた。
そこに人々の解脱の道を発見した。
それは実は誤りだった。
存在はなぜ空(くう)なのだ。
空は認識の拒否だ。
残された言葉は、ここで一転して
破滅を意図するものに対する
スクリーンに使われる事になった。
シッタータ、阿修羅王
おそらく超越者は最後の手段として
あなた方二人を遠い未来に送る事にしたのだろう。
すなわち、今、こうして二人は
この世界に破滅をもたらした者たちの
領域の入り口に立っているのだ。
阿修羅王が仏に帰依したという経典以外に
事実をカバーする方法がなかったのだろう。
そしてそれは見事に成功した。
遠い過去にはじまった滅びへの道は
ここで遥かな夜空の奥へと続いていた。
その道をたどって
かつて幾たびか滅びへの案内者が銀河系へ
太陽系へ、そして地球へとやってきたのだった。
遥かな超越者は、なにゆえか人類の発展を好まなかったようだ。
彼らは己の知らぬまに
将来の滅亡を約束する胚子を植え付けられ
その呪縛からついに脱しきれずに
廃墟の砂塵と化しさったのだった。
もはやすでに遅いのだ。
彼らは完全にその仕事をなし終え
残された3人のサイボーグに明日はないのだった。
――――――――――――
阿修羅王
とつぜん、今度はその声は阿修羅王の傍らで聞こえた。
阿修羅王は思わず数歩の距離をとびのいた。
何者だ
瞳をこらしても周囲には何ものの影もなく
ただ青い光がみちみちているばかりだった。
阿修羅王
シッタータは「彼岸」の意味が理解できたのだろうか?
彼が「波羅門」の教えに満たされぬものを感じ
さらにその幾つかの言葉に強い疑念を抱いた時は
私は嬉しかった。
その疑惑の糸をたぐれば、道はここまで続いているのだ。
私たちはお前たち3人を選んで永い眠りにつけ
私がお前たちを必要とする時までそっとしておくことにした。
お前たちの心の中に、頼むべき幾つかの言葉を封じこめて。
阿修羅王、「色(しき)」はすなわち存在。
「空(くう)」はすなわちディラックの海。
「空即是色」すなわち、マイナス・エネルギーの海が
すべての存在の母胎であることに気がついてくれたことであろう。
阿修羅王、「彼岸」とは
誠におよび難い超越者そのもの
あるいは超越者の世界のことだ。
「彼岸」という言葉の意味にひそむ
絶望的ともいえる隔絶のひびきをなんと聞いた?
阿修羅王
シッタータはその道をさし示す一つの道標だった。
おりおなえはその道標に記される文字をそらんじていた。
そして、阿修羅王、お前は
わたしは?
阿修羅王
今、私はこの世界の、流れてやむことない変化の
ついに傍観者にしか過ぎなかったことを
しみじみと想いかえしているのだ。
遥かな遠い昔に、人々の心にささやいた幾つかの言葉が
やがて来る破滅を予感していることに
どれだけの人が注意をはらっただろうか。
そのようなかたちでしか
破滅を予告することができなかったのが残念だ。
阿修羅王は、青い平原に向かって叫んだ。
なぜはっきりとそう言わなかった。
破滅の意図をもって世界を動かしているある存在に
さとられたくなかったからだ。
しかし、彼らは間もなくそれに気づいた。
それ故に彼らは、私の予告をことごとく消してしまった。
もともと、不幸や悲劇の迫ってくることなど信じたくもないし
覚えていたくもないのが人類だからな。
消極的な対策など、なんの延命策にもならなかった。
日照りには次の豊作を願って祭壇をかざり
嵐や洪水には
いたずらに堤を高くして田畑を守ることのみを思い
また、病いの流行には医師を養成し
多量の薬物を作ることだけしか考えなかった。
やがて大陸はしだいに干上がり
砂漠は内陸を覆うにしたがって
人々はその都市を地下に移した。
もはや陸地も海も、彼らの食料を提供する場所ではなかったから
それらが次第に荒れ果て、喪われてゆこうとも
少しも憂うにはあたらないと判断したからだ。
火星にも金星にも
やがて太陽系一円に人類は進出したが
それとて彼らの生産力を増大することには
ついにならなかった。
人々はようやく破局に近づきつつあることを知った。
彼らはロボットを作り
自分たちの体を精巧なサイボーグと化して
荒涼たる太陽系の辺境へと脱出路を求めて行った。
しかしどうだ。その結果は、阿修羅王
この世界の破滅を意図するものたちはついに勝ったのだ。
いや、勝つのが当然だったかもしれない。
阿修羅王は小さく首をふった。
お前は何者だ。何者なのだ?
その時、声は阿修羅王の胸をつらぬいた。
私は転輪王だ。
その言葉が阿修羅王の心に定着するまでに
何秒か、かかった。
転輪王?
かつて、「波羅門」の僧たちはそう呼んだ。
転輪王―
世界を動かす王の王たる者。
その王について、かつて阿修羅王は
シッタータに説明したことがあった。
転輪王、というと波羅門にも説かれていよう。
王の王たる者
すなわち化して因縁を転ずる自在な王のことだ。
この世の外にあって生成を看ることすでに一兆年の余という
今、そのシッタータの姿はなく、転輪王は目の前に在った。
転輪王よ。
あなたが実はアンドロメダ星雲の中の一つの
惑星の上に在り、ここから世界を支配し
幾多、惑星の興亡、盛衰を管理し掌握していたのだな。
その組織も、機関も
今はすべて崩壊、離散してしまった。
私はこの世界が私の力のおよばないものに変貌してゆくのを
この生きるものの影とてない丘の傾斜からじっと見つめてきた。
弥勒なるものがこの世界に現れ
56億7千万年ののちに世を救うと。
人々はそれを信じ、あの喜見城
(きけんじょう)の奥に像を飾ったのを見た。
また弥勒がアトランティス王国に
実際の支配者として乗り込んでゆくのも見た。
ナザレのイエスなる男をして、天上の神と信じさせ
様々な奇跡を行なうのもここから見た。
阿修羅王、優れた私の部下たちの中にも
彼らの言葉を信じて
世界の荒廃を阿修羅王の乱入のせいだと
考えるものがでてきた。
帝釈天も、梵天王もみな
弥勒のもたらす浄土を願って荒廃と戦いぬいた。
ただしその荒廃がなにゆえ生起したものかを
知ろうとはせずに、だ。
阿修羅王は、ここまでに至る長い道程と時間とを想った。
それははじめも終わりもない
永い永い旅の一部であるかのように
阿修羅王には思えた。
転輪王よ。一つだけ訪ねたい。
なんだ?
この世界の破滅をはかるものたちとは
いったい何者なのだ?
そしてどこからやってきたのだ?
説明する前に
お前はこの世界の果を考えたことがあるか?
考えたことはある。
果てと言うか、宇宙の膨張速度が
光速に達したところが限界であり
宇宙全体の質量のために空間は閉ざされ
一個の球の内部を構成する、と
しかし、それでは完全な説明にはならない。
閉ざされた内側ということは
無限の外の広がりの一部を構成している
に過ぎないからだ。
大宇宙は一千億の渦状星雲を容(い)れる。
もとより膨張か、収縮か
あるいはその反覆かは問うところではない。
なんの説明にもなりはしない。
阿修羅王は心の中でつぶやいた。
時もまた同じだ。
閉ざされた内側の世界を構成する時間は
すなわち無限の外の広がりを構成する
時間の一部に過ぎないからだ。
2千億年の昔、原初の時点から時は流れはじめ
2千億光年のかなたでその流れはやむ。
しかしそれはまことの無限を構成するいわば
超時間のほんのささいな切片の一つに過ぎないのだ。
その声はおしなべて
流離興亡を見極めたものの痛恨に満ちていた。
されば転輪王よ。今一つ答えてほしい。
あの「シ」とは何者か?
超時間を支配する絶対者のことか?
阿修羅王、私はある時、幻を見た。
しかしそれが本当に幻だったのか
それとも疲れた心に描いた翳(かげ)だったのか
あるいは全くそんなものを見はしなかったのか
すでに定かではない。
だがその内容だけは今でもはっきりと覚えている。
阿修羅王、それを今お前の心に映してみよう。
この幻の語る意味は
お前と私ではおそらく
はなはだ異なるに違いない。
それならそれでよい。
ここまでやってきたお前が
もときた道を戻ってゆこうとも
また、これよりさらにはるかな
これまでとは比べようもない困難な道を
さらに進もうと志そうとも
それはお前が自分で選ぶがよかろう。
暗黒と光とが交錯し、時おり
すさまじい閃光が走った。
再び暗黒と光が模様を描いていた。
やがて本当の暗黒がやってきた。
いっさいの光は絶え果て
動いているのか、止まっているのかさえわからなかった。
永い永い時間が経っていた。
それがいつかエネルギーを消耗しつくして
消滅しさるまでにひとしい時間であろうと思われた。
阿修羅王は一個の渦状星雲となって浮いていた。
すでに星間物質も喪われ
恒星の多くはエネルギーを放ちつくして
冷たく固い形骸と化していた。
突然、再び自分が恐ろしい速さで
空間を突進していることに気がついた。
それは実際に自分が光よりも早く移動しているのか
それとも己を容れた世界全体が運動しているのか
はっきりしなかった。
その世界のどこかに、シッタータやおりおなえが
明らかに存在していることを感じていた。
やはり彼らもここへ来ていたのだな。
阿修羅王は彼らが、自分を見守っていることを知った。
存在はすべてここから始まるのだ。
2人の声が聞こえた。
阿修羅王が気づいた時
すべては黄昏(たそがれ)のように
不思議な薄明(はくめい)につつまれ
心にしみる静けさが凝結(ぎょうけつ)していた。
すでに生死も、時の流れすらも阿修羅王の内部に在った。
阿修羅王は、すでに己が変転の内部に在りながら
すでに、その変転をはるかに越えていることを知った。
今、阿修羅王は己が転輪王であることを知った。
この世界の変転は実は
さらに大いなる変転の一部に過ぎないのであり
それすらさらに広大なるものの変転を形成する
微細な転回の一つにしか過ぎないというのか。
しからば「シ」はどこにいるのか。
真の超越にいたる道はいったいどこにあるのか。
しかしこの時阿修羅王には
どこにあっても変転の相は
常に一つしかないような気がした。
突然激しい喪失感が阿修羅王を襲った。
進むも退くもこれから先は一人だった。
すでに還る道もなく
あらたな百億、千億の日月が
阿修羅王の前にあるだけだった。
かえしては寄せる海。
輝く千億の星々は波間にのぼり
夜明けの薄明とともに広漠(こうばく)たる
波頭(なみがしら)の果に沈む。
寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せる波また波の上を
急ぐことを知らない時の流れだけが
夜を迎え、昼を迎え、また夜を迎え。
その幾千億の昼と夜
阿修羅王はそこへ還りたいと思った。
そこにある安らぎと静けさが
切なく懐かしかった。
だが、すでに還る道もなく
新たな百億の、千億の日つきが
阿修羅王の前にあるだけだった。
1973年4月に刊行された新装版より
あとがき 映画監督 押井守 2010年3月10日
対象を持たぬ情熱、というものがあるように思います。
そしてそれは、情熱を寄せるべき対象が存在しない
あらかじめ喪われているからこそ
よりいっそう激しい想いとなるのではないか。
そう思えてなりません。
喪失という感覚こそが
実はもっとも激しい情熱を人にもたらすのではないか。
この壮大な物語の終局に読者に提示される「喪失」こそは
ただその想いを共有する者にとってのみ情熱の宣言たりうる。
そう思えてならないのです。


