トラ陣営をすごいとは思わないで
これは罠と思って見ていた方がいい
USAIDを騒ぐのも、とかげの尻尾切りのような気がする
悪を暴く、それがスムーズの場合、なんだか怪しい
それは巧妙に仕組まれた罠で
次への人間デジタル化を整える為だと思う
イーロンが無償で働いていてすごいと絶賛してるけど
それも人の心を研究しつくしたあちらの心理誘導作戦
トラもイーロンも裏にパトロンがいるパペットなので
いくら自社が赤字になっても潰れないのはその為
ソフトバンクも日本での役割があるので
普通の企業なら潰れている所が赤字でも潰れない
彼らはチームで動いている表の役者というだけ
政府がダメなら民間へというのがあちらの誘導作戦
民間企業の方が支配構造ピラミッドでは政府より上の存在
インフラが民間になった国は粗悪なのに高い料金になっている
そもそも紙幣を発行する世界の中央銀行からして民間企業で
日本国を始めアメリカも中国も株式会社になっているらしい
なのでトップは同じの正義も悪も茶番劇で
正義も悪も演じて大衆コントロールしているだけ
アメリカの発表なんて、真実は80%くらいは
ばらしたとしても核心は言わないと思う
正義作戦にはそれをばらして手下を犠牲にしてでも
達成したい別の世界統一政府という彼らのゴールがある
宇宙は、ナサが研究しているというのは嘘で
宇宙人が地球人にテクノロジーを
教えている機関だと思う
宇宙人は地球人より遥かに頭が良いので
地球人が宇宙を探索してるような映像をみせて
お金を合法的に巻上げる機関なので
宇宙人は攻めてこないし
逆に人工衛星で人類の支配間近
宇宙連合の決まりで宇宙人は直接的に
地球に関与できないというルールを
銀河連合などと繋がるスピ系が
口を揃えて言うのは
この世がメタバースという
最大の秘密隠しの詭弁だと思う
銀河連合も国連のように平和連合ではなく権威の設定
悪魔はハラハラドキドキを演出している役者で
神も悪魔もこの世の終末を演出するための共犯者だと思う
今がそのクライマックスの時代
この世を悪魔に支配させるのは、神にすがるようにする演出
そもそも聖書の神は一神教なのに「我々」と言っていて
生け贄を求めるから、本当に神なのかと疑問
救世主は、その「偽」救世主誘導に死んだとしても行かない
この世はゲームと目覚る自分自身という事なのかも
 
↓の小説で初めて聞いた言葉
だいたい離婚するので、そうかもなと思う
 
人間は誓うことはできない
「聖書」では十戒をはじめ誓いを戒めている。

 
 
↑より抜粋
 
弟子の唯円、遊女かえでとの恋
かえでは後に出家して唯円と一緒になる

恋人以外の人に呪いをおくらぬとは
恋人を愛するが故に他人を損うようにならないことだ。
恋の中にはこの我儘がある。
これが最も汚すのだ。
今度の騒ぎを起こしたのはこの我儘が種になったのだ。
お前は恋のために私をだまし
先輩や朋輩(ほうばい)衆に勤めを欠いた。

恋位排外的になりがちなものはないからな。
また多くの恋する人は他人を排することによって
2人の間を密接にしようとするものだ。
「彼のような人は嫌です」というと
「あなたは好きです」ということをひそかに
けれど一層つよく表現することになるのでな。
そこに甘味があるからな。
だが、罪なことだよ。
考えてごらん、他人を呪うことで
自分を楽しくしようとするのではないか。

そこに恋の間違いがあるのだ。
愛の働きには無限性がある。
愛は百人を愛すれば百分されるような量的なものではない。
甲を愛しているから、乙を愛されないというのは
真の愛ではない。
聖なる恋は他人を愛することによって
深くなるようなものでなくてはならない。

逢ってくださいと恋人がいってくる。
自分も飛んで行きたいほどに逢いたい。
けれど今日は朋輩が病気で寝ていて
自分が看護してやらねばならない時にはどうするか?
朋輩をほっておいて夢中になって逢いに行くのが普通の恋だ。

その時、その朋輩を看護するために逢いたさを忍び
また逢おうといってきた恋人も
では今日来ないで看護してあげて下さいといって
その忍耐と犠牲とによって
自分らの恋はより尊いものになったと思い
後では淋しさに堪えかねて
泣いて恋人のために祈るようならば聖なる恋といってもいい。

その時逢わなかったことは
恋を薄いものにしないで、かえって強い
たしかなものにするだろう。
それが祝福というものだ。

自分自身に呪いをおくらないとは
自分の魂の安息を乱さないことだ。
これが最も悪いことで、そして最も気のつかないことなのだ。

お前はお前の恋人に呪いをおくってはならない。

そこに恋と愛との区別がある。
その区別が見えるようになったのは
私の苦しい経験からだ。
恋の渦巻きの中心に立っている今のお前には
恋それ自身の実相(じっそう)が見えないのだ。
恋の中には呪いが含まれているのだ。
それは恋人の運命を幸福にすることを目的としない
否むしろ、時として恋人を犠牲にする
「私」の感情が含まれているものだ。
その感情は憎みと背を合わせている際どいものだ。

恋人同志は互いに呪いの息をかけ合いながら
互いに祝していると思っていることがあるのだ。
恋人を殺すものもあるのだ。
無理に死を強うるものさえある。
それを皆、愛の名によってするのだ。
愛は相手の運命を興味とする。
恋は相手の運命を幸せにするとは限らない。
かえではお前を幸せにしたか。
お前は乱れて苦しんでいるな。
そしてお前はかえでを幸せにしたか?

恋が互いの運命を傷つけないことはまれなのだ。
恋が罪になるのはそのためだ。
聖なる恋は恋人を隣人として愛せねばならない。
慈悲(じひ)で憐れまねばならない。
仏様が衆生(しゅじょう)を
見給(たま)うような眼で恋人に対せねばならない。
自分のものと思わずに、一人の仏の子として
赤の他人として・・・・・

・・・・・そうだ、できないのだ。
けれどもしなくてはならないのだ。
それが人間の恋なのだ。

やはり祈るほかはないのだよ。
仏様、私があの女を傷つけませんように。
彼女を愛するが故にとて、外の人々を損いませんように。
私自らを乱しませんように。
縁あらば2人を結びたまえ。

そのように祈ってくれ。
そして心をつくしてその祈りをふみ行おうと心がけよ。
後は仏様が助けて下さるだろう。
お慈悲深い仏様に何事も委(まか)せたてまつれ。
何もかも知っていらっしゃるのだよ。
お前の心の切なさも、悲しさもな。


師匠、親鸞臨終の場面

肉体的な苦痛というものは
大分人間を不安にするものだ。
地上の一番大きな直接な害悪だ。
多くの人間はこの害悪を避けるためには
魂の安否を忘れてしまうほどだ。
人間に与えられた刑罰だ。

わしの断末魔の苦しみが気にかかる。
わしはその苦しみに打ち勝たねばならない。
この最後の重荷を耐え忍ばねばならない。
何もかもじきにすむのだ。
その後には湖水のような安息が
わしの魂を待っているのだ。

死はすべてのものを浄めてくれる。
わしがこの世にいる間に結んだ恨みも
つくった過ちもみんな、ひとつのかなしい
とむらいの心地で和らげられてゆるされるであろう。

墓場に生いしげる草は汚ない記憶を埋めてしまうであろう。
わしの犯した悪は忘れられて
人は皆わしを善人であったというであろう。
わしもすべての呪いを解いてこの世を去りたい。
みなわしに親切なよい人であったと思い
その幸せを祈りつつ、さようならを告げたい。