悪い事したら死んでから地獄行きとか脅すけど
魂だけで肉体が無いのに拷問されても痛くないのでは?
と宗教に勧誘された時や、そう言われた時反論のため
その矛盾を昔よく考えていた
辿りついたのは、来世にその地獄の環境に生まれ変わるのかも
と思ったけど、ある宗教ではこの宗教に入らないと
生まれ変わったら家畜か障害者か北朝鮮だと脅すので
それもその人に失礼で、なんだか違う気がするので
宇宙には善悪は無いそうなので
ただ感情を経験するために遊びに来ている
が正しいのかも
釈迦もこの世は幻想、夢のようなものと言ってるし
↑より抜粋
本当のプラス思考とは
絶望の底の底で光を見た人間の全身での驚きである。
そしてそこへ達するには
マイナス思考の極限まで降りていくことしか出発点はない。
私たちは今確かに地獄に生きている。
しかし私たちは死んで地獄に堕ちるのではない。
人はすべて地獄に生まれてくるのである。
しかし、その地獄の中で
私たちは時として思いがけない小さな歓びや友情や
見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いて見える時もある。
人として生れて良かった、と心から感謝するような瞬間さえある。
皆と共に笑い転げる時もある。
その一瞬を極楽というのだ。
極楽はあの世にあるのでもなく
天国や西方浄土(さいほうじょうど)にあるのでもない。
この世の地獄のただ中にこそあるのだ。
極楽とは地獄というこの世の闇の中に
キラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。
人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。
私がこれまで自殺を考える所まで追いつめられながら
なんとかそこから立ち直ることができたのは
この世はもともと無茶苦茶で、残酷で
苦しみや悲惨に満ち満ちているものなのだ
と思い返すことができたからだったと思う。
私の友人が選挙に出馬して、その時のスローガンに
「二度と飢えた子供たちの顔は見たくない」
というのがあったと記憶している。
私は「二度と飢えた大人たちの顔は見たくない」
それが本音です。
旧日本帝国の植民地であった朝鮮北部で敗戦を迎え
旧ソ連軍の軍政下で難民として過ごした一時期は
私に消えない記憶をいくつも残した。
敗戦と引き揚げの極限状態の中で
子供たちにとって大人は恐ろしい存在だった。
子供たちに同情して
朝鮮人や旧ソ連兵がくれた餅や黒パンや芋などを
大人たちにいきなり強い力で奪い取られる事がしばしばあったからだ。
「飢えた大人ほど怖いものはない」と
当時の子供たちは骨身にしみて思い知ったのである。
そして、密告があり、私刑があり、強姦があり、幼児たちが売られた。
しかし、そんな私たちの体験は、旧ソ連と国境を接していた
地方の開拓者たちのそれと比べれば、ものの数ではない。
あるシベリア帰りの先輩が
私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。
「冬の夜に、さあっと無数のシラミが
自分の体に這い寄ってくるのを感じると
思わず心が弾んだものだった。
それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。
シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。
明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな
とシラミたちを歓迎するような気持ちになったものだった。
あいだに寝ている男が死ぬと
両隣りの仲間にその死人の持ち物
靴や下着や腹巻や手袋なんかを分けあう権利があったからね」
しかし、後年、私を自殺から救ってくれたのは
「この世は地獄である」という感覚だけではない。
そのような悲惨な極限状態の中でさえも、信じられないことだが
人の善意というものがあり、正直さも、親切も、助け合いも
時に笑いも、幸福な瞬間も、自由さも、感動もあったという確かな記憶である。
大人の中にも、約束を守り、自分の食物を分けてくれる人も何人かはいた。
そんな相手に出会った時、私は仏様に会ったような気がしたものだ。
極楽は地獄の中に確かにあったのである。
私は少年の頃、旧日本帝国の植民地で敗戦を迎えた。
そして言語に絶する混乱の中を
かろうじて生き延びて母国へ引き揚げ
なんとか今日まで暮らしてきた。
その時期の事を考えるたびに
私は思わず目を伏せ、声が小さくなってしまう。
あの非人間的な混乱の中で、旅券を持たない敗戦国の難民
そして旧植民地支配者の一員として過ごした2年間は
思い出したくない事ばかりである。
その中で、生き延びた者と
帰る事ができずに倒れ去った者とをわかつものは
いったい何だったのだろう。
強い信仰を持った人間か。
それとも体力や才覚に恵まれた者たちか。
いつも希望と前向きの積極性を失わなかった人々か。
私には心の中に深く押し隠しているものがある。
そうではない、という声がいつもどこからか聞こえてくるのだ。
悪い奴が生き残ったのさ
善い人間はみんな途中で脱落していったじゃないか。
そのことを忘れたのかね、と。
あの極限状態の中を脱落せずに生き残ったのは
人より強いエゴ、他人を押しのけてでも生きようという
利己的な生のエネルギーの持ち主たちではなかったのか。
そして人一倍身勝手で業の深い者たちだったのではなかったか。
南北をへだてる38度線の境界を
13歳の私は妹を背負い、弟の手を引いて走りに走った。
弟が力つきて倒れれば、迷わず置いて走り続けるつもりだった。
自己保存の無意識の生のエネルギーが
栄養失調の私の体を前へ前へとひた走らせたのだろう。
その弟は後年、40代半ばに癌で死んだ。
人と争う事を好まず、私に対しても
いつも一歩身を引いて接する、どこか大人びた弟だった。
10代にして心朽ちたり、という穏やかさが彼の特徴だった。
彼の突然の死に接して、私の心の中に浮かんだのは
どこで覚えたかは定かではないが、こういう短い言葉だった。
「善き者は逝く」
この世にしぶとく生き残ってきた者は
すべて「善き者」たちの死によって
生きながらえている罪深き者なのだ
という気がしてならない。
なんとも大変な時代だ、とは
もう耳にタコができるほど聞かされてきました。
しかし、そういう時代には
いったい何が生きていく上での大きな支えになるか。
お金、というふうに考える人もいます。
だけど、はたしてお金は頼りになるかどうか。
私の世代にとっては、とても大きな疑問でしょう。
戦争中から敗戦、そして敗戦から経済復興の戦後
この中でお金が頼りにならないものだということを
痛切に感じさせられたことが何度もありました。
いろんな蓄えがもうほとんど意味のないものになってしまって
闇市などでは物々交換のかたちで
日々の生活を支えなければならないような時代があったのです。
今の平和な時代に生まれ育ってきた人たちは
お金の価値がどれほど頼りないものであるか
ということについて受け止め方が
私たち旧世代の戦中戦後を体験した人間とは
大きく違うと思うのです。
私はかつての日本の植民地で敗戦を迎えました。
敗戦と同時に通用していた貨幣あるいは紙幣が
もうまったくただの紙屑になったという経験をしたのです。
当時のソ連軍の発行する軍票(ぐんぴょう)
というものを使って生きてきた記憶があります。
ぺらぺらの青い札、赤い札、の軍票でした。
昨日まで大事に蓄えていたお金が
まったく一文の価値も無くなって
紙屑になってしまったという体験をしてしまうと
現在通用しているお金が絶対だとは決して思えません。
物はどうか。
戦後、隠退蔵(いんたいぞう)物資などというのがあり
いろんなところで、いろんな物資が摘発されたりしたのですが
そうそう私たちの生活の中で物をため込むというわけにはいきません。
いろんな事をみんなが考えて、ふっと頭に浮かんできたのは
ひょっとしたら健康ということなのではないか、と思うのです。
世の中に変動があって、とんでもない時代になっても
一番頼りになるのは、たくましい体と健康である。
この考え方には一理あります。
必ずしも人間にとってはたくましい体だけが
その強い精神や、美しい魂を支えるものでない
ということも、最近では誰もがわかっていることだろうと思います。
価値が変動し、混乱していく中で、健康な体というのは
ひとつのよりどころにはなるでしょうが
健康な体、たくましい体だけがあればいいのかといえば
そうではないことは当然です。
人間には体という物体の中、もしくは皮膚と皮膚のあいだに
気概や精神、心というのでしょうか
そういう目には見えない何かが流れていて
ひとつの個体をつくっているのではないか、という気がするのです。
第二次世界大戦中
ナチス・ドイツがユダヤ人を連行し
そして強制的な収容所をつくり
その中で、もっとも残虐な殺戮が行なわれたのが
アウシュヴィッツです。
その地獄から奇蹟の生還をしたフランクルという人が
そこで起こった事を記録にまとめ、世に出します。
それが日本では「夜と霧」というタイトルの本になり
多くの人々に、人間存在の残酷さと
その中で宝石のように光る生の尊厳を静かに訴えて
今でもロングセラーとして読まれ続けています。
ほとんどの人が死んで行く中で
フランクルがどのようにその極限状態を生き抜いて
奇蹟の生還を遂げたかということが、私にとっては興味の的だった。
いろんなことがあります。
その中に、ひとつだけ印象的なエピソードがあるのです。
精神科医だったフランクルは
人間がこの極限状態の中を耐えて
最後まで生き抜いていくためには、感動することが大事
喜怒哀楽の人間的な感情が大事だ、と考えるのです。
無感動のあとにくるのは死のみである。
ユーモアというのは単に暇つぶしの事でなく
ほんとに人間が人間性を失いかけるような局面の中では
人間の魂を支えていく大事なものだ
ということがよくわかります。
また、同じように
風景というものに対して非常に感受性の強い人間がいる。
そして、たとえば強制労働の中で
水たまりに映った冬の枯れ枝の風景を眺めて
あ、レンブラントの絵のようだ
なんていうことを考えたりする人がいる。
こういう感じ方をする人の方が実は
強制収容所の非人間的な生活の中ではむしろ強く
生き延びる事ができたのです。
このエピソードは、人間が健康とか体力だけで
厳しい条件に耐えられるものではない、ということを
如実に表現しているような気がしないでもありません。
かつては身体と心が自然にぴったり一致していたため
人間の学問とか文化の体系というものは
非常に大きなまとまった、全宇宙的な、総合的なものだったと思います。
たとえば、医学にしてもそうで、古代ギリシャの頃の医学
イスラムの医学、インドの医学、あるいは中国医学も
人間を生きた総体としてとらえていました。
全体のバランスの中で、バランスの乱れというものを
病気の原因として考えていたようです。
医学の祖といわれる古代ギリシャのヒポクラテスは
弟子たちに対して、2つの戒めを残しているそうです。
1つ目は、傷つけることなかれ
2つ目は、自然治癒力を崇めよ
これらのヒポクラテスの遺言ともいえる訓戒は
デカルトの二元論によって、科学至上主義となった
医学の前に姿を消したかに思えたのですが
ヒポクラテスの後輩たちは心のどこかに
その戒めを忘れずに守っていたようです。
略
相手の病気を心配したり
家族の生活を支えるために働きまわっているあいだは
自分の病気のことを一切考えなかったのではないでしょうか。
そうしているうちに癌も少しずつ姿を消していった
という事でしょう。
つまり
心が病気から離れて行った時、病からも解き放たれた
ということができるかもしれません。
こうなると心と体は深く関わり合い
人の命を支えている、あるいは形作っている
と言えるのではないでしょうか。
人間にとって喜びが大事だというのは、もう当然のことだ。
だから喜び療法などという治療法もあるわけです。
人間が心の底から喜ぶ、そして嬉しいという幸福感にひたる。
その時に、たとえばプラスの脳内ホルモンが出る。
そして心身が活性化され、自然治療力が高まっていく
というのは、一般によく言われることです。
確かに、喜ぶことによって人間の免疫力が高まったり
全身の自然治癒力が活性化したりする。
それは嘘ではないと思います。
しかし、喜ぶということだけが
人間の生命を活性化するものであるのかどうか。
つまり、喜ぶことが大事だ、明るい気持ちを持つ事が大事だ
前向きに物を考える事が大事だ、という考え方を是(ぜ)とすると
自然と人間は、その反対のものを「否(NO)」として考えがちです。
喜ぶことに対して、悲しむ事はマイナスである。
くよくよ悩んだり
深刻に物事を受け止めたりすることは、よくないことである。
笑う事は大切であるけれど
涙を流したり泣いたりすることはよくない。
というふうに考えがちです。
けれども、はたしてそうだろうか、と私は思います。
たとえば、人間が泣くということにしても
これは一方的に後ろ向きの弱々しい姿勢ではなく
泣くことによって
自分の魂が浄化される感じを受ける時もあるのです。
ですから、泣くという事を
弱さとか、日本的な情緒とか、エモーショナルな発想とか
感情的であるというふうに考えるだけでなく
本当に泣くべき時に泣く、全身をなげうって慟哭する
今の日本人には少なくなったと思いますが
実はそのような事が大事なのではないか、と考える事があります。
喜ぶのと同じように、本当に悲しむ事が大事なのです。
そういう悲しみによって逆に
いきいきと活性化させられていく命もある。
心もある。私はそう信じているのです。
亡くなった遠藤周作さんの言葉の中で
印象に残っているものがあります。
痛みとか苦しみを自分ひとりだけが抱え込んで
他の人たちには分かってもらえないという孤独感の中にある時
その人間の痛みや苦しみは2倍にも3倍にもなる
というふうに遠藤さんは言っておられました。
自分の今の痛み、この苦しみ、そして絶望感は
看護婦さんにも分かってもらえない。
もちろん、お医者さんにも分からない。
自分の兄弟にも、両親にも伝わらない。
まして周りの他人や友人たちには絶対分かってもらえない。
この痛みや苦しみは自分だけが抱えているのだ
自分だけがそれに耐えなければならない
他人には絶対それを理解してもらえないのだ、と思った時に
その痛みや苦しみは2倍にも3倍にもなる。
本当にそうだと思います。
では、そういう時に、私たちは何ができるか。
他人の痛みを自分の痛みのように感じる事はできるけれども
代わってあげることはできないのです。
代わってあげることはできないけれども
相手の痛みを自分の痛みのように感じる事はできる。
相手の悲しみや絶望感を、自分の悲しみや絶望として
感じることは人間だったら必ず自然にできるはずです。
それができるということが大事なのではないか、と思います。
そういう時の悲しみや絶望は
それを感じとっている人間の命にとって
決してマイナスではなく、むしろそれを感じることによって
いま目の前に苦しんでいる人から
何かを自分が分けてもらっているのではないか
と思ったりするのです。
現実にはプラス思考だけでは救われない世界があります。
そして、実はプラス思考と対(つい)をなして
大きなマイナス思考という重要な世界がある。
そのマイナス思考のどん底の中からしか
本当のプラス思考はつかめないというのが
私の考え方なのです。
暗闇の中で光を探し求めている人間こそが、一筋の光を見て
心が震えるほどの感動を覚えることができるのですから。
その光が見えた時の喜びこそが啓示のような働きをするのです。
人工照明でキラキラと輝いている世界に一年じゅういる人が
光を見たところで
別に驚きもしなければ感動も無いのではないでしょうか。
10年ほど前に、ある実業家と対談した時に
「今、宗教があまり関心を持たれていないというけれど
それはいい事なんじゃないかと思う」
とその人は言われました。
なぜならば、宗教が本当に強い力を持ち
宗教者の言葉がキラキラと輝いて
人々がそれに帰依した時代というのは
民衆が最も悲惨な生活をしている時期であったのだから、と。
先の実業家は現代を
宗教にあまり関心が払われない平和な時代だと
肯定的に受け止めていたようです。
しかし、それはかたちの上の平和であって、むしろ
実は今の方がはるかに悲惨な
目に見えない心の内戦というものが
激烈に展開されているとはいえないでしょうか。
平和だ、などとは到底言えない。
目には見えないものの、世紀末の今はまさに
蓮如(れんにょ)が立ち上がった時代
応仁の乱の前夜と同じ状況ではないでしょうか。
親鸞(しんらん)から数世紀を経た蓮如の時代。
それは親鸞の説いた真宗の思想は、まったく泥にまみれ
ねじ曲げられ、ほとんど地に堕ちた時代でした。
歪んだ宗教が流布されて、指導者を崇める生き仏信仰や
金品を多く出せば出すほど極楽浄土が約束されると説く
布施頼みの信仰がはびこり
地獄を描いて無用な恐怖を煽り立てて
人々を信仰に導く教団もありました。
宗教界全体が堕落し、人々は誤った信仰に導かれて
無常の時代の中を必死に足掻いていました。
それを見るに見かねて立ち上がったのが蓮如です。
火が燃え立つような怒りを彼はおぼえたに違いない。
間違った信仰を広めるようなヤカラは
八つ裂きにしても飽き足らないというような
およそ宗教家らしからぬ激しい言葉まで吐いています。
惰眠をむさぼる既成教団や新興のカルト教団に
真正面から対峙しながら親鸞の思想の正しい伝道者として
蓮如は無常観の中をさまよい
打ちひしがれている民衆に向かって積極的に働きかけつづけました。
そして、悲しみのえぐられた傷口を癒すために
肉声で語り、その手をさしのべます。
人間の傷を癒す言葉には2つあります。
ひとつは励ましであり、ひとつは慰めです。
人間はまだ立ち上がれる余力と気力があるときに励まされると
再び強く立ち上がることができる。
ところが、もう立ち上がれない
自分はもう駄目だと覚悟してしまった人間には
励ましの言葉など上滑りしていくだけです。
「がんばれ」という言葉は戦中、戦後の言葉です。
私たちはこの50年間、ずっと
「がんばれ、がんばれ」と言われ続きてきた。
しかし、「がんばれ」と言われるほど辛くなる状況もある。
その時に大事なことは何か。
それは励ましではなく慰めであり、もっと言えば
慈悲の「悲」という言葉です。
何も言わずに無言で涙をボロボロと流して呻き声をあげる。
何の役に立つかと思われそうですが
これが大きな役割を果たすような場合があるのです。
孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできない。
そういう時にどうするか。
そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。
その人の手に手を重ねて涙をこぼす。
それだけでもいい。
深いため息をつくこともそうだ。
熱伝導の法則ではないけれど、手の温もりとともに
閉ざされた悲哀や痛みが他人に伝わって拡散していくこともある。
仮に、息子が刑に服することになったとしましょう。
慈愛に満ちた父親であれば
「がんばれ!自分の罪を償って再起して
社会に帰ってこい。私たちはいつまでも待ってるぞ。」
と励ますかもしれない。
では、古風な母親であったらどうか。
「なぜこんな事になったの?これからどうするの?」
などと、問いつめるようなことはいっさい言わないだろう。
ただ黙って側で涙を流して息子の顔を見つめているだけかもしれない。
おまえがもしも地獄に堕ちて行くんだったら
自分も一緒について行くよ、という気持ちで手に手を重ねて
うなだれているかもしれない。
実は、こうしたことが人間の心の奥底にいちばん届くのです。
がんばれと言っても効かないギリギリの立場の人間は
それでしか救われない。
それを「悲」といいます。
蓮如という人は
生来この「悲」という感情がものすごく豊かな人物でした。
蓮如の文章は活字だけで読んではつまらないかもしれません。
月並みな言葉ばかりだし、繰り返しも多い。
手垢のついた表現もある。
一見、平凡で陳腐な文章です。
しかし、声に出して読んでみると、その音楽的な
ポリフォニックな構成が圧倒的な色彩を持って心に響いてくる。
つまり、皆が一緒に声を出して読んだり
肉声で聞かせてもらうことによって
はじめて生きてくる文章です。
常に輝いている文章ではありません。
それが、もう立ち上がることができないような
心の状態で接した時に突然
異様なほどの力でいきいきと人に迫ってくるのです。
蓮如はこみ上げてくる人々の熱い思いや悲しみ
涙などを決して無視しない人でした。
それがどれほど大きな力を持つかということが
よく分かっていた人でした。
蓮如自身が抱えていた悲しみの量というのは
桁外れのものだったろうと思います。
人々の魂の救済という意味で今こそ、そのような
「悲」の思想が必要とされる時代なのかもしれないと思うのです。
それは
「どうして自分はこの人のために何もしてあげられないのか。
みすみすこの人が去り行くのを見殺しにしてしまうのか。
この内戦の最中でどうしてその惨禍を止めることができないのか」
と、おのれの無力さに涙し、声をあげて呻くような悲しみです。
人はそういう悲しみを大事にしなければならない。
科学的かつ合理的なアプローチだけで
人間の心をどうこうしようというのは
言うだけ無駄な話ではないでしょうか。
人間の「情」とか「悲」
ルサンチマンなどを軽蔑するのではなく
あるいは恐れるのではなく
人間の真の知性を育てる土壌としての感情
情念というものを豊かに育てることこそが
今の私たちにとっての大きな課題なのではないかと思われてなりません。
1998年4月刊行
↓なんとなくお金儲けでは?と思ってた事
この映画のレンタルが出た当時
観てる時は全然泣かなかったけど
最後に息子の語りにホロリとさせられた作品
最後だけ印象に残っている映画
この本を読んでる時、この歌の冒頭がふっと浮かんだ



