2021年になっても

北朝鮮の脅威と戦う為の改憲を力説している著者…

今の戦争はミサイルや核で環境を汚染するので

その報復をやっても、お互い自滅だと思うんだけど

その後の事までは考えないの?

 

そもそもこの本で言う

日本が近代国家の仲間入りしなくても

今がもし100年前から

日本人が英語をしゃべる国なら

逆に勉強科目が減って便利で何も問題ない

日本語を残しているとしたら

この終末に日本語が暗号で

何か意図があると思う

ただ、教材が売れてお金になるのも狙い?

 

 

↑より抜粋

 

国民道徳協会の訳した

「教育勅語(ちょくご)現代語訳」の最大の問題点は

これを出したのが明治天皇で

にもかかわらず天皇の言葉であることが

今一つ不明瞭であることだ。

確かに原文も文中には「天皇」という言葉は無い。

あるのは「朕(ちん)」天皇の自称である。

これを「私」とし皇祖皇宗(こうそこうそう)を

「私達の祖先」とするのは

現代語訳としては一応問題無いし

タイトルに「教育勅語」とあるのだから

天皇の言葉であることは明瞭ではないか

と言えば確かにその通りである。

 

しかし、それではなぜ天皇が

「国民各々(おのおの)が

努力して自らを磨かねばならない」

とわざわざ言う必要があったのかわからない。

現代語訳は解説文では無いから

そこまで踏み込めないと言えばその通りなのだが

せめて訳文の中に

「天皇として私は」などと入れておけば

ここに語られている教育理念が

天皇の権威を源泉としたものであることが明確になる。

 

根本の問題は

「なぜ国民は勉強しなければならないか?」である。

その必要があってこそ国家は

教育制度を整える必要も出てくる。

すべての根本はここにある。

ほんの数十年前まで

「ウチの息子は職人になるんだから

学校なんか行かなくていい」

という親が存在した。

江戸時代ならもっといた。

寺子屋に通う子供も大勢いたが

それは主に町人の世界で

読み書きそろばんができた方が社会生活に有利だからだ。

百姓の息子は教育など受けなくても生きていけた。

要するに

士農工商のように身分が定まっている社会は

小中学校あるいは高校や大学など必要無い。

 

これに対して

たとえばフランスではキリスト教に基づく

平等思想が王制を打倒し共和国となった。

共和国になってみると

すべての国民は平等だということで

上流階級に独占されていた教育が一般にも開放された。

開放されてみると

人々は上流階級だけで教育を独占し

国民を愚かなままにしておくことも

支配の有力な手段であり

国民国家としてはむしろ

国民の教育を受ける権利を

大切にしていかねばならないと気がついた。

 

ドイツでも、近代化のきっかけは

マルチン・ルターの宗教改革

(ローマ法王庁への反抗)であり

具体的には聖書を

ラテン語からドイツ語に訳すことだった。

ドイツ人はそのドイツ語訳によって

ローマ法王庁の主張がいかにデタラメかを知った。

まさに「知は力なり」だ。

しかし、その力を身につけるにはやはり

ドイツ語の読み書きができなければならない。

できるだけ多くの人間がそれを知ることこそ

神の下の平等の達成につながる。

そのためには国民が誰でも学ぶことのできる

できれば無料の学校がいる。

義務教育という考え方は

西洋ではこういうところから出てきたのである。

 

かつて文字とは読めない人にとっては

「暗号」だったという事実を忘れてしまった。

詩人石川啄木は妻に読めないローマ字で

秘密を日記に書いたが、そういうことを

人類最大の規模でやっていたのがローマ法王庁であった。

そうした「機密ファイル」を

一般国民にも読めるようにしたのが宗教改革で

それを徹底させるためには

自国民の識字率を上げなければいけない。

だからこそ「小学校」という発想が出てきたのだ。

 

そして、こうした国民国家が一度成立してみると

そういう国家は発展しやすく

戦争にも強いということがわかった。

工業化一つ取ってみても

現場の労働者が算数ができる国とできない国の

どちらが有利かわかるだろう。

こうした欧米列強が

「近代化」できなかった国々を次々に自国領土とし

植民地にしていくなかで、遅ればせながら

近代化を達成しようとしたのが日本であり

その国家としてのグランドデザインを定めたのが

帝国憲法であり、皇室典範だった。

 

しかし

法律で国民が教育を受ける権利を保証しても

肝心の国民が

「ウチの息子は職人になるんだから

学校なんか行かなくてもいい」

という態度では

いつまでたっても欧米列強には追いつけない。

法律で「そうしろ」などと命じても

長年の伝統は変えられない。

 

だが、日本には「切り札」があった。

もちろん天皇である。

「天皇絶対」というのは

帝国憲法が作った概念では無い。

憲法はそれを追認強化しただけだ。

これは江戸時代以来、吉田松陰らを経て

日本人の心のなかに確立していた信仰なのである。

ならば、その「絶対者の命令」いや

「おさとし」として「国民よ、勉学するのだぞ」

と、国民にメッセージを与えればいい。

それが教育勅語なのである。

 

また、この現代語訳の批判者が一番問題にするのは

「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて

国の平和と安全に奉仕しなければなりません」

というくだりのようだ。

ここの原文を直訳すれば

「有事の際、国民は必ず国家のために馳せ参じ

天皇家のために戦わねばならない」となる。

 

つまり、批判者たちは

「天皇家の擁護」と書いてあるのを

「国の平和と安全」に書き換えたと批判しているわけだ。

ただ、ここから先がわからない。

「だから教育勅語は

現代の教育方針として使用すべきではない」

と言うなら私も賛成する。

確かに「使える」部分も無いとは言わないが

現代の日本国にはこの文言はそぐわないだろう。

しかし、そもそも「国の平和と安全」で無く

「天皇の擁護」を強調しているのが問題で

制定当初からこんなものは価値が無いと

決めつけている論者もいるようだが

そういう方々には歴史というものが

まったくわかっていらっしゃらないな

と申し上げる他は無い。

 

 

儒教社会には一市民が武器を取って

国のために戦うという考え方も無い。

戦争するのは士の仕事であり農工商はそもそも

国家のことにかかわってはならないのだ。

徴兵されたのならともかく

国が侵略されたからといって

ただちに武器を取って戦う義務は無い。

逃げて良いのである。

しかし、それでは近代国家はできない。

日本国も、朝鮮や中国ほどでは無いけれども

儒教の影響を強く受けた社会である。

だから国民国家の国民は

国を守るために武器を取って戦うべきだ

という常識が無い。

常識が無いところに、新たにそれを植え付けるためには

やはり天皇の権威に頼るしか無かった。

つまり、この当時は天皇

あるいは天皇家を守れという言い方でしか

一般国民に国を守らせる方法が無いのだ。

 

儒教は男女平等では無い。

徹底的な男尊女卑だから

科挙も「誰でも」受験できると述べたが

この中に女子は入っていない。

妻は夫に絶対的に従うべきものであり

「夫婦相和(あいわ)」などということは絶対に無い。

もちろん夫は妻を労らなければいけないのだが

それは決して平等ということでは無い。

 

前近代社会では女性とは

男性にとって欲望を抱かせる「悪」である。

イスラム教にもそういうところがあるが

儒教でも紀元前から

「男女七歳にして席を同じゅうせず」であった。

こんな世界では、男女共学の小学校など

はなから無理な話だ。

朱子学中毒患者の巣窟であった

朝鮮国も琉球王国も

男女共学など絶対に認めなかった。

それを徹底させたのはじつは日本人なのである。

この教育勅語は天皇の権威を持って

儒教が2千年以上正しいとしていた

男尊女卑の壁を破ったのである。

それだけでも評価すべきだと私は思うし

それがまさに歴史的評価ということだ。

 

こういう論者のなかにはこの教育勅語を

「儒教的」だと批判している人もいると聞いた。

漢文で書いてあると

何でも儒教だと思い込むんじゃなかろうか。

聖徳太子の「憲法十七条」も「和」という

儒教ではまったく重要視されていない概念を

もっとも大切にしているから

儒教とはかけ離れたものなのだが

日本史の専門学者の中でも

昔は結構「儒教的」だと評していた人がいた。

そもそも儒教が根本的にわかっていないのである。

 

後に軍部が強調した言葉に

「お前たちは天皇陛下の赤子(せきし)である」

というものがあった。

なぜ(赤ん坊)なのかと言えば

これも儒教を超えるためである。

「忠孝」などと一口に言うが

本来の儒教には優先順位がある。

軍人の親が病気なら

司令官であっても故郷に帰らなければいけない。

それが最優先ということであり

皇帝ですらそれを止めることができない。

もし止めたら

千載(せんざい)の後まで非難されるだろう。

皇帝は「忠」の対象であっても

「孝」の対象では無いからだ。

それが儒教社会というものである。

 

しかしそれでは近代国家はできない。

近代国家とは「私の問題」である「孝」より

「公の問題」である「忠」が

優先される社会でなければならない。

ここで国民すべてが

天皇の「子供」であると考えたらどうだろう。

天皇はすべての国民の親ということになり

天皇に対する「忠」は

親に対する「孝」と同義になる。

こうなれば

戦争の最中に兵士が親孝行のために家に帰る

などということも防止できる。

つまり、近代国家ができるわけだ。

これも二千年以上儒教社会が守り続けてきた

「孝優先(公軽視)」という価値観を

天皇の権威を持って見事に改変したということだ。

それゆえ日本は

近代国家への道を踏み出すことができたのである。

 

 

ここで、もう一度

教育勅語をじっくり見ていただきたいのだが

そこには儒教の根深い悪弊である

男女差別に関する言葉が一つも無い。

国民はすべて教育を受ける必要がある

と述べている。

だからこそ津田梅子も新島八重も、男どもの

「女子には教育はいらん」と言う偏見に対し

「陛下もそれを奨励されています」という形で

堂々と大学設立を主張し

それを完遂することができたのだ。

これらはすべて教育勅語の功績ではないか。

 

つまり、日本の教育近代化に

教育勅語は画期的な貢献をしたのに

その功績はまったく忘れ去られている。

また、左翼あるいはリベラルが批判してやまない

「有事の際は天皇家のために戦え」

というところも、これ以前に日本人は

「公」のために戦う

という感覚を持っていなかったのだから

こういう表現しかできなかった

ということが忘れられている。

だからまず明治はそれを形成する必要があった。

あの時点で天皇抜きで

日本国のために戦えと言っても誰もついてこない。

だからこそ、天皇を持ち出す必要があった。

そしてそれが一定の役割を果たしたからこそ

我々は今「公」という感覚を当たり前だと思っている。

それは教育勅語や帝国憲法が

日本人に定着させたものである。

 

大日本帝国憲法は

1889年(明治22)2月11日発布された。

この2月11という日付は

「日本書紀」に記載されている

紀元前660年(神武天皇元年)

1月1日に神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で

即位したとする故事に基づくもので

それを新暦に換算した「紀元節」という

国家の祝日に合わせて発布したものである。

ちなみに「紀元節」は

1945年(昭和20)の敗戦の影響で廃止されたが

現在「建国記念の日」として復活している。

そして1890年(明治23)11月29日に施行され

天皇臨席のもと初の帝国議会が開かれた。

 

地方制度の改革も、ドイツ人顧問モッセの助言を得て

山県有朋(やまがたありとも)を中心に進められ

政府の強い統制のもとではあるが

地域の有力者を担い手とする地方自治制が制度的に確立した。

 

「軍部」を作った山県有朋は

「軍人は政治に関与してはならない」

という信念の持ち主であった。

だから伊藤が憲法で目指した

「天皇の絶対化(神格化では無い)」

に協力するとともに

その絶対者である天皇の名で軍人勅論を出させた。

「軍人は政治に関与するな」

と天皇の命令を出したということだ。

今、意外と忘れられていることは、戦前の軍人たちは

この軍人勅論を根拠に選挙権を与えられなかったことである。

明治国家のプランナーたちの

「軍人は政治に関与させない」という強い意志は

そういうところでも感じ取れる。

 

あらためて繰り返せば、これら一連の法や勅は

まず天皇を絶対者として位置づけ

その天皇の命令をもって、日本にあるいは儒教社会に

それまで無かった国家の運営に参加する

「国民」を作り上げることにあった。

もちろん、それは同時に

儒教社会では成立し得ない「平等」

そしてきわめて軽視されがちな

「公」という概念を育成する目的もあった。

それがうまくいったからこそ、我々日本人のほとんどは

絶対神の下の平等を信じるキリスト教徒でも無いのに

万人平等だと固く信じているし

「公」の概念も身につけている。

このあたりは「アントニーの法則」を

もう一度思い出していただきたいところだ。

 

この巻おわり