↑より抜粋
この章の目的はいわゆる「戦前の日本」つまり
大日本帝国が欧米列強と戦える国家になるために
思想・教育の分野でいかなる「改革」をしたかを
分析検討することであり、すでに仏教については分析した。
しかし、それだけでは不十分だ。
鴻雪爪(おおとりせっそう)の言う
「内教(ないきょう)」は仏教と神道(しんとう)だからだ。
そして、大日本帝国は
神道を国家神道に改変したというのが
常識となっている。
「国家神道」という言葉が一般的になったのは
何といっても歴史学者村上重良(しげよし)が
同名タイトルの「国家神道」という本を世に問うてからだろう。
その定義は村上重良自身が
百科事典の項目執筆者として書いているとおり
「近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上の国家宗教。
神社神道を一元的に再編成し
皇室神道と結び付けた祭祀(さいし)中心の宗教」で
「非宗教、超宗教の国家祭祀とされた」ものである。
しかし、とくに最近の若いヒトは知らないようだが
戦前つまり明治維新から昭和20年(1945)の敗戦まで
大日本帝国にあった「国家の宗教体制」は
じつは国家神道と呼ばれていなかったし
そもそも「国家神道」という言葉自体
一般的な日本語として存在すらしていなかった。
ではいつから存在するようになったかと言えば
まさに昭和20年、アメリカ(正式には連合国)
の占領下に入ってからなのである。
注意すべきは
日本いや戦前の大日本帝国と大戦争し原爆使用によって
ようやく勝利を収めたアメリカ合衆国の研究者らによって
この言葉は造られたということだ。
もちろんアメリカ人だから
日本の歴史に詳しくないなどと言うつもりはない。
優れた研究者も大勢いるし、それは偏見というものだろう。
しかし近代の戦争というものは軍事面にとどまらず
宣伝戦でもあり、イデオロギーの戦いでもある。
そうした国家戦略の観点から歴史が歪められることは珍しくない。
現代の日本でも中国あるいは韓国との関係にそれがある
と私は考えている。
ましてや戦争、つまり直前まで殺し合いをした相手の「定義」なのである。
ちなみに、今では当たり前のように使われており
「天皇制」という言葉も明治には存在せず
その体制を表現しようとすれば「国体」を使うしかなかった。
その状態から「天皇制」という言葉が生まれたのは、もちろん理由がある。
天皇制:天皇が君主として国家を統治する体制。
明治以降から第二次世界大戦の終戦に至る明治憲法下での体制。
広義には、象徴天皇制を含めていることもある。
大正末期に、日本共産党がはじめて用いたといわれる。
おわかりだろう。
戦前「天皇制」という言葉を口にすることは、それ自体「批判」だったのだ。
だから、昭和20年夏に連合国のポツダム宣言を受諾するか否か揉めた中で
軍部が最後まで主張したのは
「天皇制の存続」などでは無く「国体の護持」であった。
いつだったか時代劇の職人のセリフに
「権利」という言葉が出てきて目をまわしたが
もちろん江戸時代にそんな言葉は存在しない。
職人(町人)は士農工商の中で
「工」という分(分際)を守らねばならず
「お上」に逆らうことなど絶対に許されない。
それとは異なり
国家は王侯貴族の独占物では無く国民全体のものだ
という思想が生まれてこそ国家は国民の
「権利」を守らねばならないという発想が出てくる。
だから幕末まで日本語に「権利」は存在しなかった。
そこで先人は「right」という英語を
苦心惨憺(さんたん)して「権利」と訳したのである。
正確な用語を用いるのは正確な歴史認識のためにはぜひとも必要なことだ。
確かに「天皇制」という言葉が現代では「悪口」で無く
用語として定着したように
そうした言葉を用いた方が便利な場合も少なからずあるが
何度も言うように
「当時の人々の気分になって考える」ためには
このセンスは欠かせないものなのである。
では、そもそもアメリカ側の視点で見た
「国家神道」とは、さらに詳しく言えばどういうものなのか?
村上重良は次のように説明している。
明治維新にはじまる天皇絶対化は、帝国憲法の制定によって
ついに神聖不可侵な神としての天皇に到達した。
天皇の新たな属性として設定された神観念は
日本人の宗教を貫くシャマニズムに発する人神
生き神の観念とはかけはなれた、一神教的な神観念であり
ほとんどキリスト教の神観念に近いものであった。
天皇を絶対化して神とするという、近代天皇制国家の指導層の発想は
つよくキリスト教の影響を受けており
現人神となった天皇は、人間から隔絶した
絶対の真理と至高の道徳の体現者に仕立て上げられた。
つまり
「近代天皇制国家が政策的につくりだした事実上の国家宗教」は
天皇という「現人神(あらひとがみ)」を
キリスト教のように絶対的な信仰の対象としたと言うのである。
ちなみに、この宗教の特徴について村上は
「国家神道」において
「そのファナティック(狂信的)な復古の絶対化と排他性は
あきらかに神道の伝統とは異質であった」
と述べている。
この点についてはまったく賛成で、さらに私見を述べれば
その「熱狂的な復古主義」と「排他性」は
紛れも無く朱子学がもたらしたもので
従来の儒教を変質させたと同様に
日本の神道も変質させたということだろう。
本当にこの朱子という人物は後世に膨大な害毒を流した人物である。
昔「歴史if」の問題として
「朱子さえ歴史からいなくなれば東アジア世界はどんなに幸福だったか」
などと考えたこともあるが
よくよく考えてみれば本当に悪いのは
芸術や遊芸にうつつを抜かし国(北宋:ほくそう)を滅亡させた
「世紀のバカ殿」徽宗(きそう)皇帝であろう。
たとえ朱子が歴史からいなくなっても
徽宗が招いた靖康(せいこう)の変(1126年)以後の南宋は
必ず朱子のような哲学者を生んだに違いないからだ。
あくまで原因は徽宗で朱子は結果に過ぎないのである。
現代史を少しでもかじった人間なら
いやそれ以前に国民の常識として
「天皇は戦前現人神(あらひとがみ)であったが
戦後「人間宣言」をしてその信仰に終止符を打った」
という知識があるだろう。
つまり、その事実は逆に確かに戦前には
「現人神を信仰の対象とする国家神道」
なるものが存在した証拠だと多くの人は考えている。
ところが、ここ数年の間に、国家神道という用語は
戦前の状況を正確に表現したものでは無いし
現人神に対する絶対的な信仰など存在しなかった
などと主張する論者が現れた。
その主張はこの分野の第一人者である
新田均(にったひとし)皇學館(こうがっかん)大学教授の著した
『「現人神」「国家神道」という幻想』に詳しい。
世の中には新田の「皇學館大学教授」という肩書き
あるいは「神社新報社」という出版社名を見ただけで
「どうせ右翼だろう。天皇を擁護しようとする立場から
いい加減なことをデッチ上げているに違いない」
などと頭から偏見の目で見る人々がまだまだいるからである。
私の一方的偏見によれば、こういう見方をする人はいわゆる
「昭和一ケタ」生まれか、その世代に父母を持つ人
あるいは「昭和一ケタ」世代が書いた著作あるいは
主導した報道機関や教育機関に洗脳されてしまった人々である。
いや、じつは偏見というのは謙遜であって
これが真実だと私は確信している。
その証拠に国民作家司馬遼太郎も次のように言っている。
とくに「昭和一ケタ」の方にはぜひ読んで貰いたいので
少し長めに引用する。
たとえば、私は大正12年(1923)にうまれた。
「ボクの青少年期は、天皇ということはあまりいわれませんでしたよ」
と、昭和初年うまれの人に言っても
説明するのに大変な言語量が要る。
とくに、7、8歳あるいは10歳以下の昭和一ケタうまれの人たちに
そんなことを言うと、奇異な目でみられる。
齢の差はどれほどもないじゃないか、ということもあり
それにいまはともにジジイなのである。
ジジイ同士がたがいの小差を言いあうのも滑稽だが
じつは大差があるようで、昭和一ケタあたりにうまれた人達は
太平洋戦争が絶望的段階に入った昭和18年には
すでに中学生や女学生になっていただけに
精神の上で、最大の戦争被害者だったといっていい。
なにしろ、鋭敏な少年の感受性をもっている。
そういう少年たちが、天皇陛下のために
爆雷を抱いて敵の戦車にとびこめとか
竹ヤリでアメリカ兵を突き殺せなどといわれれば
それが絶対価値になってしまう。
それだけに、ゆりかえしもつよかったようだった。
私は、戦後、京都大学の担当記者になって
はじめてこの年齢層の人たちに大量にであったのだが
たとえば戦前史については“天皇制”というただ一点でとらえ
それをめぐっての賛否の論がはげしく、私などは見守るほかなかった。
ただ論者たちにとっての旧日本とは、明治以後でなく
少年期をすごした昭和18年ごろから敗戦までの
たった2、3年の陰惨な時代に代表されていた。
その時代の中学生にとって、「天皇」とは
畏敬(いけい)以上に恐怖の名称だったろう。
それは少年をして竹ヤリで敵兵を殺させ
少年もまた死ぬという存在だったのである。
ちなみに、「国家神道」の著者村上重良も
昭和一ケタ(昭和3年)の生まれである。
いわゆる戦後のマスコミ界、教育界、学界は
まさに司馬遼太郎が指摘しているように
「ゆりかえし」に毒された人々の天下であった。
若い人はご存じないかもしれないが
つい最近まで「岩波書店(あるいは朝日新聞)は
良心的な出版物や新聞を出しているが
皇學館とか神社新報社などは右翼の巣窟で悪である」
などという偏見を持つ人々が大勢いた。
私は著者が「昭和一ケタ」生まれで
刊行が朝日社か岩波書店だったらもうそれだけで
「この本はまたデタラメを書いているんだな」と思ってしまう。
もちろん偏見だ。
しかしそこで読むことを止めたら彼らと「同類」になってしまう。
中身はちゃんと読む。
ほとんどの場合失望するが「嘘のつき方」の勉強にはなるし(笑)
まれに「昭和一ケタにもちゃんとした人はいるんだな」と思うこともある。
しかし、歴史を執筆することが仕事でなかったら
おそらくそうした本は読まなかっただろう。
この文章を読んで「それは言い過ぎではないか」と思ったあなた。
第一章「近現代史を歪める人々」を読んで思い出してください。
日本の「良心的歴史学者」が書いた岩波新書の「昭和史」には
「朝鮮戦争は韓国の奇襲によって始まった」などという
デタラメの極致が書かれていたことを。
そして、その歴史学者は元軍人だから
常識的に考えたら到底犯すはずの無い「ミス」であったことを。
つまり、これはミスでは無くあきらかに捏造であったにもかかわらず
この人物はいまだに歴史学界で糾弾もされず
それどころか権威として認められていることを
どうか思い出していただきたい。
ちなみに韓国では、古文書のデータという客観的証拠から
「日本の植民地時代、韓国人はこれまで言われたほど
収奪(しゅうだつ)されていたわけでは無い」
という新説を出した専門学者が、その結論が
「親日的」であるという理由で徹底的にマスコミに批判された。
そんな批判をするくせに彼らは肝心のデータを見さえしなかった。
それが韓国の現状である。
日本も朝日新聞社、岩波書店が「良心的言論機関」として
昔のように力を持ち続けていたら、韓国のようになっていただろう。
いわゆる「従軍慰安婦問題」の発端となった「強制連行」について
デタラメの報道を何十年もタレ流していたのは
朝日新聞社であったことを考えるべきだろう。
アドルフ・ヒトラーにせよ、毛沢東にせよ
北朝鮮の金日成(キムイルソン)
正日(ジョンイル)、正恩(ジョンウン)らの
独裁ファミリーにせよ、一つの思想を強制し
人民をコントロールしようとする人間あるいは組織は
必ず「子供の教科書」から洗脳工作を始める。
幼いころから始めれば始めるほど、洗脳は効果があるからだ。
この見方に異論のある人間はいないだろう。
それゆえ、もし大日本帝国が
「現人神崇拝」を国民に強制することを意図していたのなら
当然歴史教科書や道徳の教科書に、天皇は現人神である
という記述が早くから登場するはずである。
考えてみれば、この教科書の分析および
各時代における比較検討は「国家神道」の著者である
村上重良あたりがすでに行なっているべきものなのだが
不思議なことに村上も村上説の継承者である学者たちも誰もやっていない。
平成になって新田均皇學館大学教授が初めて行なった。
盲点になっていたのである。
そして、読者も予想されるとおり、その結論は驚くべきものだった。
なんと現人神(現御神)という単語が
初めて初等教科書に登場するのは明治でも無く大正でも無く
昭和それも昭和16年になってからなのだ。
大正生まれの司馬遼太郎が
「ボクの青少年期は、天皇ということはあまりいわれませんでしたよ」
と言うはずである。
略
昭和16年、日本はアメリカとの大戦争に踏み切った。
一方で中国と大戦争しているのに、この上アメリカ
(正確には英米仏などの連合国)と大戦争したら勝てるわけがない。
しかし「アメリカと戦争したら負ける」とは誰も言えなかった。
「言えばそうなる」からである。
だからすでに述べたとおり
それに近いことを言った海軍大将山本五十六は命を狙われた。
一方で軍部もマスコミも冷静な判断は伝えずに
勝てる勝てると大合唱した。
その結果どうなったかはご存じのとおりである。
そして、これだけ痛い目に遭ったにもかかわらず
言霊信仰が日本人の深層心理にずっと残存しており
歴史的事象を動かしているという教育はまったくなされていない。
口幅ったい言い方で恐縮だが
そういうことを初めて日本史上本格的に指摘したのは私である。
言霊という信仰を、歴史教育の中できちんと学ばせない限り
こうしたミスは永遠に繰り返されるだろう。
略
江戸時代になると、とくに庶民の罪人の首を斬るのは
れっきとした武士のやるべきことでは無いという
「ケガレ忌避信仰」の公家文化に武士たちも染まってしまったのだ。
そして僧兵の武蔵坊弁慶の存在を見てもわかるように
自分たちを守るためには兵器で人を殺傷した仏教界も
こうした流れの中で公家化した。
家康が僧侶に本来の戒律を守らせたこと
5代将軍綱吉が出した生類憐みの令が
それに拍車をかけたのは言うまでも無い。
この法令は日本人に人命および
生命を尊重する感覚を植え付けたという効もあったが
それ以上に本来は朝廷側の文化であった「ケガレ忌避信仰」を
日本中に広めるという効果もあった。
そこで幕末だ。
外国人が大挙してやってきた。
とくにイギリスは容赦の無いやり方でアジア諸国を植民地化していく。
中国もやられた。次は日本の番だ。
この江戸時代の平和ボケで徹底的に緩んでしまった日本を
また軍事的に立て直す必要があると
明治のリーダーたちは考えたのである。
さて、「サムライの国」であるはずの日本だが
じつは同時に「平安貴族の国」でもあることが
おわかりいただけたと思う。
この文化的体質は遡れば「縄文文化(動物を殺す文化)」と
「弥生文化(植物で生きる、動物を殺さない文化)」
の対立まで行き着く。
世界に類を見ない、幕府と朝廷の
約700年にわたる併存も根底にはこれがある。
だから、明治は大変だった。
様々ないきさつで「弥生王」である天皇が
新生国家(大日本帝国)の中心となったからだ。
「動物を殺さず、軍事力をケガレとして蔑視する弥生王」が
国のリーダーとなって、戦争で国権を拡張している
欧米列強と戦わなくてはならなくなったからである。
そこで軍隊そのものの改革だけではダメで
リーダーも含めた精神の改革が必要となった。
武器がいかにリニューアルされても
それを使う人間に「戦う心」が無ければどうしようもない。
しかし、日本は江戸時代、恒久平和を目指した徳川家康と
その子孫が戦国の気風を一掃し
平和国家を建設することに成功していたので
それを「戦う国家」に変えることはますます困難であった。
幕末から明治にかけて国民の「戦う心」を
喚起し団結させたのは皮肉なことに朱子学であった。
皮肉と言うのは、これまで散々述べたとおり
朱子学は「亡国の哲学」であり、さらに独善的の権化であり
異民族や異文化に対してきわめて強い排他性を持っていたがゆえに
攘夷という「異国と戦う心」を日本民族に植え付ける効果はあった。
この点は朝鮮国、清国も同じだったのだが
科挙(朱子学試験)で官僚を選んでいた両国は
朱子学の独善性に支配され、近代化
(欧米列強に学ぶこと)ができずに亡国への道を歩むことになった。
日本もこのあたりで完全に朱子学と訣別すればよかったのだが
日本においては天皇の権威を保つためには
欠くことのできない神道と朱子学が
江戸時代に合体していたので捨てることもままならず
そのうちその「毒」が日本全体に回ってしまい
昭和20年(1945)の大破綻を招いたということだ。
だから司馬遼太郎が紹介しているように
敗戦のおり練達の中国学者が
「朱子学が国を滅ぼした」と言ったのである。
つづく
文明開化とは、キリスト教化されることだった。
— U (@wayofthewind) July 4, 2015
そして二度に及ぶ大戦へ。
戦争を画策するのは、キリスト教財閥なのだから。
麻生も石破もクリスチャン。
リチャードもベンジャミンも、クリスチャンネーム(笑)
ここはキリスト教世界だったのさ!
キリストの子孫が新しい英国王に?( ゚д゚)
— U (@wayofthewind) June 6, 2020
なんか明治維新で急に皇(すめら)を持ち出してきたのと同じシナリオの焼き直しに見えるなあ。
グレゴリー=見張る者
クリスチャンネームはコードネームでもある(笑)
すべてはミッションのために?https://t.co/IP0834K0CU
DS側っすからね。
— ⛩ カンパーニュ⛩️ (@lovetaiwansan) December 16, 2022
天皇即位の儀式やってるけど、天皇は日本人ではなく渡来人(在日外国人)で、最初の天皇である神武天皇(今の天皇の先祖)がやった『神武東征』のルート↓を見ると海を渡ってきた外国人(渡来人)が九州を出発して近畿を征服する物語である事が分かる。 pic.twitter.com/ACjFyeRx1o
— 一 (@hajimephilo3) October 22, 2019
古事記は神話が多く中でも出雲神話が多い。
— 辻風@読書 歴史多め (@tsujikaze1600) February 9, 2022
日本書紀は神話が少なく出雲神話自体が書いていない。
古事記と日本書紀では神武東征のルートもエピソードも若干違う。#読書好きな人と繋がりたい #歴史 #古事記 #日本書紀 #熊野 pic.twitter.com/s0Df3n5X5W
