中国の老荘思想と並ぶ

生きるのが楽になる思想を思い出したのでご紹介

中国の儒教はぎちぎちの縦社会の教えで

どんなに理不尽でも、目上を敬わなければいけない

士農工商のシステムを作った

権力者に都合のよい思想

日本と似てるけど、ちょっと違う

たとえば、親と子が同時に溺れていたとしたら

日本は子どもを先に助けると思うけど

親を先に助けるのが常識だという

仕事より親の死に目に会うのが優先という教えは

仕事優先が美徳だった日本よりはいいと思った

 

菜根譚は、政治の腐敗の末期の

今にも通じる普遍的な考え方

 

菜根譚(さいこんたん)とは

洪自誠(こう じせい)という

宋の時代の儒学者が書いた本です。

宋の時代は、日本がまだ平安時代の頃で

今から約1000年前に書かれました。
 

混迷する時代において

逆境をいかに乗り切るかを示した処世訓で

明代末期の内乱や政争が相次いだ時代において

形骸化した儒教道徳に

「道教」や「仏教」の要素を導き入れ

新しい命を吹き込みました。

 

内容は人生の指南書ともいえる名言が多く

日本では僧侶によって仏典に準ずる扱いも受けてきた。

実業家や政治家などにも愛読される人気の高い古典。

 

菜根譚の教え

菜根譚の教えは以下3つです。

 

1・良い人間関係を築く
「相手の小さな過ちを咎めない」

「相手の隠したいことを暴かない」

「相手の過去の過ちをいつまでも覚えておかない」を守れば

他人から恨まれることなく良い人間関係を築け、自分も成長します。

2・時間はあなたの心の持ちよう
時間は、その人の気持ちの持ちようで

長くもなり短くもなると 菜根譚の教えがあります。
また、場所も同様で、心の持ち方次第で

狭い部屋だった大きく見えたり、更に小さく見えたりするのです

3・心の雑念を消す
早朝や静かな夜に、自分と向き合う時間を作る習慣を取り入れましょう。

 

★★★★★★★★★

 

人のために計ってやることが、結局は自分の利益となってはね返ってくる。

 

下り坂に向かう兆しは最盛期に現れ、新しいものの胎動は衰退の極に生じる。

 

人間関係では、 好き嫌いの感情を表に出し過ぎてはならない。

善悪や賢愚を問わず、 みな受け入れていくだけの包容力を持ちたい。

 

成功は常に 苦心の日に在り。 

敗事は多く得意の時に 因ることを覚えるべし。

 

人の過失をとがめる人は、 心を動かすごとに

それがすべて自分を傷つける刃物となる。

 

彼が富の力でくるならば、 私は仁の徳をもって対抗し

彼が名誉でくるなら、 私は正しい道をもって対抗する。

 

太陽が沈んでしまっても、 それでもなお夕映えは美しく輝いている。

だから、人生の晩年に当たって、 君子たるものは

さらに精神を百倍にも奮い立たせて、 りっぱに生きるようにすべきである。

 

おいしい食べ物は、 自分の分を三分ぐらい減らして相手に譲ってやる。 

このような心がけこそ、 この世を生きていく上で

一つの極めて安らかで、 楽しい方法である。

 

人目につく所で わざわいを受けないようにしたいと思ったら

まず人目につかない所で、 罪を犯さないように心がけるべきである。

 

人が世の中を生きてゆく時には

自分から一歩をゆずることが、 よりすぐれた道である。

この一歩をゆずることが、 それがそのまま次の一歩を進める根本となる。

 

幸福は求めようとして、 求められるものではない。

常に喜びの気持ちをもって暮らすこと これが幸福を呼びこむ道である。

 

かりに悪事をはたらいても

人に知られることを恐れているなら、 まだ見所がある。

せっかく善行を積んでも

早く人に知られたいと願うようでは、 すでに悪の芽を宿している。

 

自分を反省する人にとっては

体験することのすべてが、 自分を向上させる栄養剤となる。

 

静寂な環境のなかで得られる心の静かさは、 ほんものの静かさではない。

活動のなかで心の静かさを保ってこそ、 最高のあり方を 体得した者といえよう。

 

この世はけっして、けがれてもいないし、 苦しみの海でもない。

そうさせているのは、 自分自身の心なのだ。

 

他人の過ちには寛大であれ。

しかし、自分の過ちには、 厳しくなければならない。

自分の苦しみには歯をくいしばれ。

しかし、他人の苦しみを、 見過ごしてはならない。

 

せっかちで心が粗雑だと、一つの事さえ成し遂げられない。

なごやかで平静だと、多くの幸いが自然に集まる。

 

逆境にあるときは、身の回りのものすべてが良薬となり

節操も行動も、知らぬまに磨かれていく。

 

小人からは、むしろ憎まれたほうがよい。

 

怠け心が生じたときは、自分よりすぐれた人物のことを考えよ。

 

常に喜びの気持をもって暮らすことが、幸福を呼びこむ道である。

 

分に過ぎた幸運は、人生の落とし穴だ。

 

人格が主人で、才能は召使いにすぎない。

 

最も高遠な真理というものは、最も平凡なものの中に宿っており

至難な事柄は最も平易なものの中から出てくる。

 

他人に恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいけない。

他人に怨まれるようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である。

 

物事が失敗した後には、逆に成功するものである。

だから、自分の思い通りにならない時でも

やたらに手を放ち投げ出してはいけない。

 

他人に施した恩は忘れてもいいが

人から施された恩は忘れてはならない。

 

古人の書物を読んでいながら、聖賢の精神にふれなかったならば

それは単なる文字の奴隷であるにすぎない。

 

家庭にある時の戒めとして二語ある。

それは『ただ思いやりが深くさえあれば、家族の心はおだやかであり

ただ倹約さえすれば費用は十分に足りる』という二語である。

 

自分の心情の動きというものは

平穏な状態もあり、乱れる状態もある。であるから

どうして他人にだけいつも平穏な状態でいることを望めようか。

 

他に先がけて開いた花は、散るのもまた早い。

 

完全な名誉、立派な節操という評判は、独り占めしてはならない。

そのいくらかを他人に譲り与えれば

危害を遠ざけ、身をまっとうすることができる。

不名誉な行為や評価は、それをすべて他人に押しつけてはならない。

そのわずかでも自分が引き受ければ

自分の才能をひけらかすことなく人徳を養うことになる。

 

耳にはいつも聞きづらい忠言や諌言を聞き

心にはいつも受け入れがたいことがあって、それではじめて

道徳に進み、行動を正しくするための砥石となるのである。

もし、言葉がすべて耳に心地よく、ことがらがすべて心に快適であれば

それは、この人生を自ら猛毒の中に埋没させてしまうようなものである。

 

肝臓が病むと目が見えなくなり、腎臓が病むと耳が聞こえなくなる。

このように、病は他人からは見えないところで始まり

やがては誰でもが見えるところに現れる。

だから、人の上に立つ者は、人前で罪を受けたくないなら

先ずは人から見えないところでも罪を犯さないようにすべきである。

 

人を教えて善をさせようとするとき、あまり高すぎてはならない。

その人が、それを実行することができるかどうかの程度を考えて

実行できるようにしなければならない。

 

人と共にして失敗した責任を分かち合うのはよいが

成功した功績は共有しようとしてはならない。

共有しようとすると、仲たがいの心が生じてくる。

 

身分不相応な幸運や正当な理由のない授かりものなどいうものは

天が人を釣り上げる甘い餌であるか、さもなければ人の世の落し穴である。

 

花は半開を看、酒は微酔に飲む、此の中に大いに佳趣あり。

 

多情の女は男狂いの果てに尼になり

のぼせやすい男は思いつめて仏道にはいる。

かくして神聖なるべき寺院が

いつもみだらな女やよこしまな男どもの集まる巣窟となる。

 

人に与える恩恵は、最初はわずかにして次第に手厚くしていくのがよい。

はじめに手厚くしておいて後でわずかにすれば

人ははじめに受けた恩恵さえ忘れて不満に思うものだ。

威厳を示すには、最初は厳しく接して次第にゆるめていくのがよい。

はじめに優しくしておいて後から厳しくすれば

人は不当に辛く当たられたと感じて怨みを抱く

 

晩年に差し掛かってからこそ

君子たるものは精神を百倍して気力を充実させて生きなければならない。