2012年に読んだ時点ではピンとこなかった内容が

同じ内容なのに今響く

かなりの長文なので、1時間くらい余裕がある時にどうぞ

 

最終巻156ページより

 

対立、分裂、競争、感情的反応といった集団的行動のパターンは

爬虫類脳を通して月のマトリックスから送り込まれている。

従ってその影響圏から離れることが重要である。

「蜂の巣心理(ハイブ・マインド」(集団心理操作)による制御を断ち切るためには

「蜂の巣心理」が我々にさせないようにプログラムしていることをする必要がある。

「蜂の巣心理」が我々にしてほしいことを、集団的に拒否することによって

支配構造を乗り越えることができる。

そうすることで、我々は「蜂の巣心理」の周波数から、振動的に切断されることになる。

第一に我々は、感情的に反応するのをやめにして

飛び付く前に冷静に評価するように努める必要がある。

感情的に反応する前に10以上数えることも

爬虫類脳と「蜂の巣心理」のスイッチを切るためには、非常に効果的である。

私がPRS(プロブレム・リアクション・ソリューション)と呼ぶ大衆操作テクニックは

人々が確認したり、調査したり、思考することなく

反応するからこそ有効な手法である。

 

こうした感情的な反応はR複合体(爬虫類脳)に由来する。

この爬虫類脳が、我々を月のマトリックスの「蜂の巣心理」の

周波数帯域にチューニングして接続する。

生き残り(サバイバル)反応や原始的な感情反応の中枢である。

 

「蜂の巣心理」は、我々に平穏であってほしくない。

ならば、我々は平穏であるべきだ。

「蜂の巣心理」は、我々に親切であってほしくない。

ならば、我々は親切でなければならない。

「蜂の巣心理」は、我々に他者のことを考えてほしくない。

ならば、我々は他者のことを考えなければならない。

「蜂の巣心理」は、我々の行動が

他者にどのような結果をもたらすことになるのか共感してほしくない。

ならば、我々は共感しなければならない。

「蜂の巣心理」は、我々に協力せず競争してほしい。

ならば、我々は競争ではなく協力すべきだ。

「蜂の巣心理」は、ライオンが子羊と一緒に寝そべってほしくない

(全ての生き物が平和と調和にいてほしくない)

ならば、ライオンは子羊と寝そべるべきだ。

「蜂の巣心理」は、我々に正しいことをしてほしくない。

ただ、自分本位に正しいと思うことだけをしてほしい。

ならば、我々は、あらゆる状況において正しいこと

公平なことと知っていることをすべきことだ。

 

こうしたことを実行すれば、爬虫類人の「蜂の巣心理」と

プログラムから離脱できるだけでなく

この現実を、生きるための、経験するための、素晴らしい場所に変えることになる。

それは、エネルギー的な影響からしても、支配力を失うことからしても

爬虫類人が絶対に望んでいないことだ。

我々は平和な世界を望んでいるんだよね?

だったら、平和的になろう。

我々は思いやりに満ちた世界を望んでいるんだよね?

簡単だ、親切になればよい。

そんなに単純なことではない?

いや、単純なことだ。

 

人間は、まったく無意味なことに対して、神経を高ぶらせたり

落ち込んだりするのが得意である。

これが我々をコントロールする主な方法の一つである。

というよりも、我々が自らコントロールされているようなものであり

羊飼いすら必要ない。

重要でないことを思い悩むこと(爬虫類脳の活動だ)は

神経回路、思考派、電気信号の浪費である。

それ以外に何か活用することはないか考えるべきだ。

例えば、刻一刻と実現に向けて加速している警察国家に

どのように対処するかといった瑣末なことだ。

私自身がそうであり、重要でもないことによく悩まされていたので

自分の経験から述べることができる。

今の私は、そんな状態に陥りそうな危険があると、たいていの場合には

安全装置の回路遮断が作動するようになっている。

木を見て森を見るようにすれば、そして、まったく重要でない出来事や

状況の尽きることのないリストに関心を向け、感情的になり

エネルギーを浪費するのをやめれば、どれほど平穏な人生になるか

言葉では表現しきれないほどだ。

私の回路遮断器はこのように作動する。

 

「それで?」

 

これだけだ。他に必要ない。

ぜひ試してもらいたいが、この三文字と疑問符だけで

どれだけ人生に平和が訪れるか、その強力さに驚くに違いないと思う。

 

感情的な反応を引き起こす脳の部位は「理由」を扱わない。

反応あるのみだ。そこで「それで?」の出番になる。

「それで?」で、反応が中止される。

あるいは、感情回路が起動しかけていれば、それを遮断する。

 

まだ人体が生物的コンピュータ・システムであることを納得できない人がいるならば

脳の感情中枢(特に爬虫類脳の部分)を研究してみるとよい。

それが常に反応(リアクション、レスポンス)の指示を出していることが分かるだろう。

そうすると、人間の行動には、どれくらい根源意識が関与しているのかと疑問に思うかもしれない。

我々は「脳(頭)を使わずに行動する人がいる」と言う。

だが、それが実際に意味しているのは

物事を熟慮することが好きな新皮質と呼ばれる部分を使うことなく

爬虫類脳だけで反応しているということである。

 

この対照的な脳の部位には、実に重要な違いがある。

新皮質は「それで?だから何?何が問題なの?」と言う。

だが、爬虫類脳にとっては何でも重要である。

爬虫類脳は、想像を絶するほど神経質だ。

爬虫類脳が

個人および集団としての人間の行動に及ぼす作用は、いくら強調しても足りない。

感情的に反応したり、激怒したり、パニックに陥ったが

「後にして思えば」あれほど強く思い悩んだことが何の問題もなかったことを

理解できるという経験を人生で何度かしたことはないだろうか。

しばらく後でなくとも、数秒、数分後に、自分の言ったこと

したことに後悔し始め、自分が「過剰反応」したことに気付くこともある。

「過剰反応」は現実感覚が爬虫類脳のコントロール下にあることを意味しており

「後にして思えば」は物事を熟考している新皮質である。

 

しかし、人間の行動は、爬虫類脳の反応システムが、扁桃体と連動し

新皮質を圧倒しながら、決めている。

多くの場合、人々は考えていない。反応しているだけだ。

このため、人間は絶えず争うことになる。

それが集団的になると戦争であり

また、感情的反応や物事を熟慮しないことに由来するさまざまな恐怖になる。

 

 

兵士たちは、サバイバル本能が最高の警戒態勢にあるため

ほとんど常に爬虫類脳が完全支配した状態で戦場に赴くことになる。

殺すか殺されるかの世界で「我々は国を守っている」のだと…。

それは全て爬虫類脳と扁桃体の反応だ。

新皮質は、会ったこともなく、個人的に喧嘩したこともない人々と

なぜ戦っているのかと尋ねるだろう。

戦争の第一の犠牲者は「真実」だと言われるが、私は「新皮質」だと思う。

戦争に行くこと自体が敗北だ。

こうしたことを日常生活に当てはめれば、我々の頭の中のトカゲを落ち着かせるには

「それで?」がどれだけ大事か分かってもらえるだろう。

極めて有効なはずだ。

 

他の人から不快なことや事実でないことを言われると

動揺して防御的(サバイバル本能)になる。

だがそこで我々は、怒るか(爬虫類脳)

「それで?」と言うか(新皮質)、選ぶことができる。

何が問題なのか?

来週にはまた何か他のことを言われるかもしれない。

いったん一線を越えて爬虫類脳の被害妄想に入り込んでしまえば

我々は脱線してしまい、突如として無数の無意味なことが

生死に関わる重要性を帯びてくる。問題になり始めるのだ。

「それで?」の他に、もう一つ私には回路遮断器がある。

それは「誰か死んだ?」である。

そう問うことで、一見すると大惨事に思える(が実際にはそうではない)

ことでパニックが起きているときに、一瞬にして大局的に捉えることができるようになる。

あと10分で人生が終わるという死の床から眺めるような観点で

日々の出来事を見ることができたらよいことだろう。

何もかも極めて違ったものに見えるだろうが

問題はそうした観点を「今」持つことができるかどうかだ。

 

買い物で並んでいて女が割り込んできたら、問題だろうか?

そんなことはない。

10代の息子がカーペットの上に食べ物を落としたら、問題だろうか?

そんなことはない。

交差点で男に怒鳴られたら問題だろうか?

そんなことはない。

ならば「今」それを問題にするのはやめよう。

「それで?私にどんな損害があったのか。列で1分ぐらい余計に並ぶことか?」

「それで?大したことではない。雑巾を持ってきて。今度からもっと気をつけるように」

「それで?男が割り込んでくるなら、これからは30秒遅く家に帰ることにしよう」

 

もしも爬虫類脳が優勢になるに任せるならば、これらの状況でも

間違いなく激怒とストレスを噴出させることになる。

だが、新皮質のフィルタ―を通せば、非常に違ったものに見える。

激怒とストレスの代わりに、平穏と大局観がある。

爬虫類脳が支配的になることの主な影響として

我々はまともに考えることができなくなる。

完全に思考が停止すると言ってもよい。

感情的に取り乱したり、憤慨したときに、バカなことを言ってしまう原因はここにある。

爬虫類脳は呆れるほど愚かなため、経験から学ぶことができない。

その役目を果たすのは脳・心(マインド)の別の部分である。

儀式的行動、同じことの反復行動を司る部位は爬虫類脳であるが

その理由の一つがこの学習能力の欠如である。

学ばないならば、繰り返すしかない。

それ以外にどうしようもないだろう。

我々が爬虫類脳の反応システムの支配から自由にならない限り

何も変わらない。変わりようがないのだ。

古代のシンボルにある自らの尾を呑み込んでいる蛇は

爬虫類脳を完璧に示したイメージである。

月のマトリックスの「環の人(ルーピー)」たちのように

何度も何度もぐるぐる回り、同じことを繰り返す。

 

肉体は我々ではない。我々は根源意識である。

我々が自分だと思っている肉体ホログラムを通じて経験をしている根源意識が我々だ。

肉体は、我々が「世界」と呼ぶこの小さな周波数帯域を我々が経験するための乗り物である。

我々は肉体が自分だと思っているだけだ。

この虚偽に巻き込まれると、我々は肉体コンピュータの現実を生きることになり

本当の我々である根源意識(無限の可能性)への接続を失ってしまう。

人生は「苦闘」であるということは、肉体プログラムの領域

(月のマトリックスのプログラムの一部)のことである。

我々をプログラムの意志に隷属させる振動のコンクリートを突破することができれば

人生は「苦闘」である必要はない。

 

突破するための具体例をあげると、逆境で笑うこと、危険と脅迫に直面して笑うことである。

プログラムが望んでいない行動をすると、プログラムを打破できる。

プログラムの狙いは、我々を恐怖の状態に置いておくことである。

そうしておけば、恐ろしいものから我々を守ってくれる(と我々が信じている)存在に

我々はパワーを与えることになる。

「銀行に我々にマネーを与えよ。銀行を救済せよ。我々を救え!」

また、我々が常に将来に対して不安を抱えるようにしておく必要がある。

少なくとも、楽観主義や喜びを食い潰すぐらい、低レベルな鬱状態にしておく必要がある。

これが濃密な(とても重い、固いと感じる)振動の状態を生み出し

「あるもの全て」との意識的な接続から我々を切り離すことになる。

 

可能性が限られていると考えるほど、根源意識ではなくプログラムにハマり込むことになり

落胆や心配(恐怖の表れ)から生じるエネルギーの濃密さが

限られた選択肢(限られた可能性)という感覚へと我々を閉じ込める。悪循環だ。

常に「人間」のエネルギー場は、振動共鳴の次元での精神と感情の状態を反映しており

その振動共鳴が精神と感情の状態を生み出している。

医薬品や食品添加物(化学物質)のような低い振動の影響が

多動症や鬱病につながる仕組みはここにある。

問題の背後には科学反応があるように思えるが、化学反応は振動的反応が

物質的に表現されたものに過ぎない。

我々は、この原因と結果、結果と原因の循環を

根源意識を使って断ち切る必要がある。

その一つの方法が、笑うことだ。

自分でも他の人でもよいが、笑っているときに、深刻になることはできるだろうか?

笑いは、尊大でもったいぶったシャボン玉を破壊させ

我々自身の人生のことを深刻に捉えすぎるのを防いでくれる。

 

 

笑いは、凝り固まった状態を砕き、エネルギーが流れるように自由にしてくれる。

支配構造は、笑いを恐れている。

笑いがあると、権力や支配といった感覚が消え失せるからだ。

権力を持つ人物に怒りと敵意で反応すれば

かなりの程度、彼らの土俵で戦っていることになる。

彼らは、理想を言えば、疑問もなくおとなしく従うことを望んでいるが

次善の策として、怒りをもって立ち向かってくれてもよいと思っている。

怒ってくれれば、彼らの領域内でゲームが展開されていることになるからだ。

だが、深刻な表情で

「権力」をふりかざそうとしている制服の男の前で笑い転げたらどうなるだろうか?

私は実際にそうしたことがあるが、彼らはどうしたらよいか困っていた。

まるでズボンがずり落ちたように、彼らの権力は消えてしまった。

支配構造はまったくバカげているのだから

我々はそれを何か深刻なことのように捉えるのはやめなければならない。

我々自身についてもそうだ。

これが我々を自由へと解放する認識の大変化である。

我々は、我々がどのように、なぜ、誰によって

何によってコントロールされているのかを知る必要がある。

だが、そうして知ったことにどんな反応をするかで

支配されたままでいるか

恐怖・不安・ストレスによる束縛を拒絶するかが、決まる。

 

 

もっと、リラックスしよう。

我々は「あるもの全て」であり

この現実の中で経験をしている「全ての可能性」だ。

そのことを祝福し、喜びを表現しよう。

地球は不愉快で気分の悪い場所かもしれないし、抑圧と支配が基盤になってもいるが

一夜にして気に入らないことを全て変えることができないならば

(ただし、我々が現実というものを完全に理解すれば、それも可能だ)

少なくとも、我々は気に入らないものと我々の「関係」を変えることはできる。

グラスは、半分満たされているとも、半分空であるともいえる。

憂鬱で恐ろしい状況とも言えるし、バカげている面白い状況だとも言える。

どっちかを選ぶだけだ。観点の問題である。

 

 

プログラムは我々にあれこれしろと命令し

いろいろしなければならない状況を作り上げるが

プログラムを超えた向こうには、ただ存在するだけで大いに喜びがある。

その喜びを多く見出すほど、我々は月のマトリックスから離れていく。

月のマトリックスは

その喜びを抑圧することに特に狙いを定めて設計されているからだ。

 

我々が、月のマトリックスのプログラムと爬虫類脳とは反対のこと

考え、行動し、感じれば、その我々の認知を行動に与える影響力を薄めることになる。

そして、月が実際に虚偽の現実を投影し、人間の知覚の影響を及ぼしていることを

知ること(感じることができれば感じること)も、それと同じ効果をもたらすだろう。

それによって、月と心(マインド)の接続は、隠れた意識下の領域(非物質宇宙)

から引き出され、意識的な気付きへと表面化する。

その過程で、意識下の影響力は失われていく。

潜在意識(波形)は、その秘密を、顕在意識のホログラムのレベルに表すことになる。

それは意識下(サブリミナル)に訴えかける商業広告と同じ原理である。

意識下に植え付けられたものは、誰かがそれを指摘してくれるまで、気付くことができない。

だが、いったん誰かが指摘した後に、同じ映像を見れば、そこが真っ先に目につくようになる。

潜在意識での操作から顕在意識に移ったため、思考と行動に作用できなくなるのである。

 

本書に書いてあることからすれば、全ては失われ

我々に勝算がまったくないと思えるかもしれない。

だが、全ては失われていない。

それとはほど遠い状態だ。

ここには、支配、破壊、奴隷化を追求している存在だけでなく

他の勢力も活動している。

「彼ら」は、大規模な変化(今の所、イメージできる人がほとんどいないぐらいの大きな変化)

を人間の現実にもたらす、巨大な変容の力(勢力)の一部である。

その一部は、我々が「地球外生命体」と呼ぶ存在(私は次元間存在と呼ぶのを好む)であり

一部は、人類の覚醒を手助けしている純粋な根源意識の現れである。

爬虫類人の干渉、ハイテク戦争

月によって引き起こされた非物質宇宙のエネルギー的な分裂(裂け目)は

さまざまな対立、無知、苦悶、不協和をもたらしてきたが、今、癒される段階に入っている。

現時点では(しばらく先までは)そんなふうに見えないかもしれない。

だが、最終的にはそうなる。

爬虫類人の操作は終焉を迎えることになっている。

だが、それを、座って、見て、待っているだけでよいというほど単純なものでもない。

我々全員には貢献すべきことがたくさんあり、それを多くするほど

分裂から表出する世界から、バランスと調和から表出する世界へと置き換わる変容も

衝撃・外傷(トラウマ)の少ないものになる。

 

現在起きていること全てのベースには、私が「真実の振動」と呼ぶ胎動、エネルギーの変化がある。

恒星(太陽など)とブラックホールを介して、大幅に高く速い振動・響きのエネルギーが

非物質宇宙へと注ぎ込まれており、それを迎え入れる態勢へと自らを開放した人々を目覚めさせている。

そのエネルギーには、先進の情報と拡張された認識が、符号として込められている。

いったんその周波数に同調(チューニング)すると、二度と前と同じにはならない。

そして、その後も、真実の振動が、エネルギー的なバリア・障害物を解体し

自己と世界に関する錯覚と秘密のヴェールを取り去るにつれて、継続的に進んでいく。

人々は文字通り催眠状態から目覚めており、振動の領域(非物質宇宙)に生じた分裂によって

バラバラの断片と化した現実との接続を切り離している。

爬虫類人が介入し、莫大なエネルギー的不調和をもたらしたのも

全て非物質宇宙のレベルだった。

その不調和が、遺伝子操作された我々の肉体コンピュータを介し

我々が「肉体(物質)の生命」と呼ぶホログラムの不協和となって解読されてきた。

非物質宇宙において真実の振動により分裂がバランスを取り戻しており

我々には、その調和と拡張された認識を、ホログラムの現実へと解読する機会が与えられている。

 

太陽が放射する光子は、脳とDNAに直に作用する。

DNAに浸透し、脳の視覚中枢を刺激する符号(コード)の運び屋である。

その符号が変わるとき(実際に、今、変わっている)

何もかもが変わることになる。

我々の現実感覚もまるごと変わらざるをえない。

人間として観察・経験している者にとっては、世界は劇的に変化していくことになる。

それも、よい方向にである。

ただし、まだ数年間は、よくなるようには思えないだろう。(2010年現在)

この変化は、徐々になされる必要がある。

もしも変化があまりに速く起きれば、分裂のエネルギーに

同調している人々のガスケット(心)を吹き飛ばしてしまう。

(英語の「ガスケットを吹き飛ばす」には、エンジンから蒸気が漏れる

カンカンに怒らせるという意味がある)

確かに、橋を架けるべき振動の裂け目はある。

だが、「真実の振動」に対抗し、その作用を抑圧しようとして

動作中の月のマトリックスのファイアウォール(振動・デジタルの符号)が

ほどかれ(解除され)、非常に高速にものごとが動き始めるタイミングが到来する。

人々が月のマトリックスの振動の抑圧から解放されると

遥かに強力な振動を保持することができるようになり

変容のスピードも劇的に加速できる状態になる。

 

「真実の振動」は惑星全体に作用している。

特に磁場の性質を変えることで作用している。

まさにそのことを示すように、この本を書き終えようとしていたときに目にした調査には

カナダにある地球の磁北極がロシアの方向に毎年約40マイル(64キロメートル)

移動しており、それは地球の核で生じている磁気変化によるものであると示唆されていた。

私は、その変化は、振動の「標準」を変えつつある

太陽とブラックホールの相互作用に由来していると言っておく。

それを裏付けるかのように、太陽の黒点活動は現代の科学者が知っている範囲で

最も長期的な休止状態にあり、太陽風は記録開始以来最も弱まっており

太陽の磁気軸は「異常な角度に傾斜」していると報告されている。

太陽は変化している。

ということは、地球も変化せざるをえないわけだ。

 

こうしたエネルギー変容が起きているこの時代に

オーウェル的な地球国家が押し付けられようとしているのは理由がある。

爬虫類人は非物質宇宙をのぞき込むことができ

「時間の環」のタイムラインをある程度先に進むことができるため

こうした変化がやってくることを知っていた。

それで、何千年も前からこの時代に備えていたのである。

そして、これが「未来」に関する予言の出所でもある。

全てはどこに向かっているのか、そして、いつなのかという知識だ。

そもそも、急速に姿を現している警察国家の目的は、支配の強化・拡大ではない。

基本的な動機は、すでに手に入れている支配を維持することにある。

人間の覚醒によって支配が崩れるのを防ぐためである。

そこで、この変容に蓋をかぶせておこうとしている。

振動的な蓋のことだ。

そして、できるだけ多くの人間が

「真実の振動」の影響・作用を受けないように止めているのである。

 

これこそが、マイクロチップ、化学物質満載の食品・飲料

さまざまな形態のマインド・コントロール

(特に注目すべきはアラスカのH●ARPプロジェクト)の本当の理由である。

こうして、我々を自由にする覚醒を阻止するための必死の努力として

(まさに今、必死になっている)、低い振動の思考パターンを放送し

人間の自己認識・世界認識に影響を与えている。

世界中で下層大気に噴霧されているケムトレイルには、金属その他の成分

(ナノ・テクノロジーなど)が含まれているが

これには、電離層で跳ね返って地表面に達するH●ARPの

放送信号に最も伝導性の高いエネルギー場を生み出す意図がある。

 

ヨーロッパ合同原子核研究機関が建造した

大型ハドロン加速衝突器(セルン)もこの計画の一部である。

これは世界最大・最高エネルギーの粒子加速器で、スイスとフランスの国境の地下にある

27キロメートルの環状トンネルで構成されている。

粒子を衝突させる「原子粉砕機」であると説明されており

端から端まで1000個以上の円筒状の磁石が配置されているという。

2009年11月にセルンは、1兆1800億電子ボルトの粒子のビームを作り出し

陽子加速の記録を破ったと発表し、さらに最大7兆電子ボルトまで達する計画があると述べた。

この計画には1万人の科学者が従事しており、最大の科学者集団は米国から参加している。

これは自然の法則の最奥を理解するために、「ビッグ・バン」と言われている

(あくまで「言われている」だけだ)瞬間に起きたことを確認する目的の実験であり

何十億ドルもの「金に糸目はつけない」コストをかけて建設されたという話になっている。

だが、そんな話は事実の隠蔽に過ぎない。

 

この施設も、H●ARPなど世界中のテクノロジー拠点(衛星ネットワークを含む)

と連動しており、「真実の振動」の作用を妨害するために

この現実を操縦し不調和をもたらしている。

WWW(ワールド・ワイド・ウェブ、インターネット)は

セルンの研究員だった粒子物理学者が発明したものであり

これもまた作り出された集団的現実である。

マイクロチップ計画の主たる目的は、肉体コンピュータにアクセスし

「真実の振動」の周波数の範囲内で送受信する能力を操ることである。

飲食物の添加物や電磁気、マイクロ派の汚染により

身体を電気化学的に不安定にしているのも同じ理由である。

 

今、我々は、「真実の振動」と同期(シンクロ)しつつある人々

(遥かに大きな知識、気付き、潜在能力の拡張)と

分裂の群れに残ったままの人々との間で、道が分岐していくのを目撃している。

この2種類の人々は、同じ「物質」の世界に住んでいながらも

まったく異なる二つの現実に接続している。

そして、この違いは、いっそう明確になりつつある。

変容にシンクロする選択をした人々は、大きな困難なくしてはいられないだろうが

大幅に拡大した認識、洞察力、創造力を経験することになる。

爬虫類人の「蜂の巣心理」の支配下にある分裂の人々は

彼らが同調しているエネルギー構築物が、非物質宇宙に存在しなくなるにつれ

ますますロボット的になり、恐怖とストレスを感じるようになる。

 

このホログラムの現実は非物質宇宙からの情報を解読したものに過ぎないため

非物質宇宙に存在しないものは、このホログラムの現実にも表出することができない。

覚醒しつつある人々と、分裂の人々を、どうやって見分ければよいのだろうか?

行動で見分ければよい。言葉ではない。

その人は正しいことをやっているだろうか。

それとも「私、私、私…」と自分にとって正しい(都合のよい)

と思うことをしているだけだろうか?

「私にどんな利点がある?」と言って、心・分裂の認知の箱に入ったままでありながら

自分のことを「かなり覚醒している」と思っている人たちがいるのを私は知っている。

 

今は、本当に大きな変化の時代である。

そんなふうに言えば、マヤ暦と2012年の予測のことかと思われるかもしれない。

2012年で一つの大きな人間のエネルギー周期が終わり

別の時代が始まるという話である。

だが、私はそう思っていない。

2012年に関して主張されていることを、蛇を崇拝している中米のマヤ人が

本当に予言していたという証拠は、言われているほど確かなものではまったくなく

私自身は2012年の大袈裟な宣伝は大がかりな目くらましだと感じている。

「真実の振動」による変容は進行中であり、常に勢いを増している。

そんな状況で、私は、臨界点は2012年より数年後の、おそらく2016年

もしくはその直後の数年ではないかと思っている。

その間にも、覚醒する人々と、分裂の人々の違いが、いっそうあからさまになっていくのを

我々は目にすることになるだろう。

 

一方では、支配構造は、もはや何をしても無駄と思えるところまで

暴政を推し進めていくだろうが、それと同時に、さらに数を増した人々が

月のマトリックスの作られた現実の操作と錯覚を見抜くようになるだろう。

そして最終的に臨界点を迎え、支配構造は陥落する。

非物質宇宙で存在しなくなったならば、この現実で存在することはできない。

今、「真実の振動」が、非物質宇宙で掛けられた錠をこじ開けている。

こうして、非物質宇宙での爬虫類人の暴政は終わることになる。

全ては非物質宇宙から投影され、操作されている。

我々も例外ではなく、皆、いわゆる「内なる自己」

あるいは潜在意識を通じて、非物質宇宙で活動している。

「内に入っていく」と言われるのは、それだ。

「多次元的な自己」の中のそうしたレベルこそが

我々が非物質宇宙と相互作用しているレベルであり

このホログラム世界で

我々が頭の中のスクリーンに解読している映画を修正できるレベルである。

たとえるならば、映画館の映写室で映画を変えているようなものである。

スクリーンに映ってしまってからでは変えることはできない。

終わった話になってしまう。

 

予防接種を受けた者と受けない者、就職している人と失業している人

持てる者と持たざる者、宗教、所得階層の違い、工作されたテロ

架空の悪役の恐怖によって、我々を分断する試みが数多くなされるだろう。

十分な数の人々が力を合わせ、こうした策略にハマらなければ

陰謀は予定のスピードで進行することができない。

陰謀の進行スピードを減速できればできるほど「真実の振動」が

その仕事を終える頃には、過酷さは緩和されていることだろう。

我々にはこの困難に対処する力がある。

だが、十分な数の人がその力を行使する選択をするだろうか?

それはまもなく分かることだろう。

これから何が起きようとしているのか、熟考するのは怖いことかもしれないが

これは別の観点から捉える必要がある。

これほどのことが起きようとしているこの時代に

なぜ我々は「ここに」いるのだろうか?

という疑問がある。

なぜ我々は、こんな経験をするために、ここにいる選択をしたのだろうか?

五感の現実の振動の枠内にある人には理解しがたいかもしれないが

我々は自ら選択してここにいる。

銃突きつけて「この肉体に宿れ、さもなくば撃つぞ」

と脅すような存在は異次元にはいない。

自由選択なのである。

映画「マトリックス」で、預言者(オラクル)がネオに言う。

 

あなたは、すでに選択しているの。

そのことを、今、理解しなければいけないのよ。

(略)選択するためにここに来たわけじゃないの。

選択は先に済んでいる。

どうしてその選択をしたのか、理解しようとしてここにいるの。

 

これがなかなか理解できないのは、その選択をしたレベルの自分が

その選択を実際に経験しているレベルの自分とは同じではないからである。

この臨死体験者の言葉を読むと

そんな決定をしたときの意識状態が想像できるのではないかと思う。

 

わたしは誕生日、先祖、子供、妻と、最初から何もかも一緒になって同時にやってきた。

私に関する全て、私の周りの全員に関する全てが分かった。

皆が今何を考えているのか、あのとき何を考えていたのか

前に何が起きていたのか、今何が起きているのか、全てが分かった。

時間はなかった。

出来事の順序もなく、限界もなく、距離もなく、期間もなく

時間も、場所もなかった。

私は望むがままに、どこであろうと同時に存在することができた。

 

この地球という小さな現実にごく短期間滞在している間に何が起きようとも

我々は常に「あるもの全て」であり、「ありうるもの全て」である。

我々が経験していると思っている「物質」の現実は

一つの観点(注目の仕方)に過ぎない。

それだけだ。

五感の現実に注目・集中することで、我々は他の全てから分離・孤立した存在の

「小さな私」という感覚を持つようになる。

これからの時代、そんな「小さな私」モードのままでいるならば

非常に厳しい人生になる。

だが、「私」から「私を経験している、あるもの全て」へと

観点を移動することができれば、全ては変わる。

まずは何よりも、人類の覚醒に貢献し、支配構造がしかけた罠

落とし穴を避けることに貢献するために

適切な場所、適切なタイミングにいることができるよう

我々を導き、ひらめきを与えてくれる

根源意識のレベルに意識的にアクセスすることが出発点である。

 

経験が自分自身であると思っている人々と比べると

自分は経験を味わっている永遠なる根源意識であるという認識を持っておけば

どんな経験であろうと、経験が感情に与える衝撃を和らげることもできる。

「なぜ我々はここにいるのか?」、「なぜ我々はその選択をしたのか?」

という原点に立ち帰ることだ。

単に店で働いたり、バスを運転したり、事務所を経営するためでなかったことは確かだ。

こうした職業は、我々が「ここに」いる間の経験であるが

多くの人々が「ここに」いる主たる理由ではない。

「ここに」いる本当の動機は、この現実を何千年もの間、奴隷状態に拘束してきた

支配構造を暴露・解体することを経験し、また、それに貢献することなのである。

大部分の人々が目を背けたくなる困難というのは

実は信じられないほど貴重なチャンスの贈り物だ。

この現実はハイジャックされてきたが、無力から全能へと

「小さな私」から「全知の私」へと我々が自己認識を再定義していくことでのみ

そのハイジャックを解除することができる。

これは何よりも重大な課題である。

全てはこの自己認識の変化から始まる。

 

いったんそうした自己認識のレベルに自らを開放すれば

「私は何をしているのか?」という疑問を持つこともなくなる。

自分で分かるからだ。

正しいことをするために、わざわざ勇気を奮い立たせる必要もない。

正しいと分かっているのだから、それを単純に実行するだけだ。

これからなされるべきことにとって、この変化は不可欠である。

まもなく、こうした精神、態度、反応が大量に必要になる。

かなりすごいドライブになりそうだ。

本来の自己の真実に目覚めると、世界はかなり違って見えるようになる。

そして、我々の前に置かれた(我々が自ら置いた)難題も

ずっと違って見えるようになる。

観点を変えてみれば、全ては変わる。

やってみてほしい。

自分の肉体、自分の名前、鏡に映った姿を、自分だと認識するのをやめてみよう。

それらは自分自身ではなく、経験だと思って見てみよう。

永遠の根源意識、あるもの全て、これまであったもの全て

これからありうるもの全てである本当の自分を認識した上で

人生や世界を観察してみよう。

 

 

なぜ、あなたは、自分のしたいことをしていないのだろうか?

あなたがしたい「と心で考えている」ことは

それをしたくてあなたが「ここに」やってきたことと一致しているだろうか?

これらは全て、心から抜け出し、高レベルの認識へと入っていく

総合プロセスの一部である。

高レベルの認識は、我々を操られた錯覚から自由にし

個人および集団の自由に最も有効な貢献ができるように導いてくれる。

それから、我々は自分に起きることに責任を取る必要がある。

それは、他の人々が我々にしたこと(素晴らしいこと、そうでないこと、いずれも)

の影響を受け取るのとまったく同じである。

何もかもが「そうなるようになっている」わけではない。

よいことも悪いことも、我々は選択をし、結果を受け取っている。

我々は、我々のエネルギー場に付着するものを、我々の経験へと引き寄せている。

 

だから、自分に起きたことを他人のせいにするのはよくない。

他人のせいにするのは、こう言っているのと同じだ。

「私には自分の人生を支配する力がない。私の人生は、彼が、彼女が、環境が支配している!」

我々は自分の経験することを引き寄せている。

だから、我々に責任がある。

この責任を受け入れると、我々は力を取り戻すことになる。

そして、我々自身を変えることにより、好ましくないことを変える力を

潜在的に持っていることを自覚することになる。

我々のエネルギー場への振動の影響は尽きることがない。

 

占星術的な影響があり、個人の心構えの影響があり

人生に人、場所、経験を引き込むために特定の意味を持った符号化情報がある。

我々は何をするためにここにいるのか

何を経験するためにここにいるのか、それ次第だ。

だが、最も重要なポイントは

幸運とか不運といったものは、存在しないということである。

我々が引き寄せるもの、引き寄せないものがあるだけだ。

物事に対する依存や、ものや形といった錯覚から自由になることができるように

全てを失うことが必要なこともある。

「自由とは何も失うものがないということ」と歌詞にあるようにだ。

より素晴らしいところに突破していくには

往々にして、最悪の暗い境遇にいるときである。

こんなことわざがある。

 

毛虫は、命が尽きたと思った。その瞬間、蝶になった。

 

これから迎える時代には、全ての責任を引き受けることが非常に大事である。

そして、夜明け前が最も暗い時代であることを忘れないことも大事である。

そして、我々は名前の付いた肉体・心ではなく

無限の意識であるという、自己認識を堅持していく必要がある。

 

この時代が持つもう一つの大きな意味は

我々が孤独でなかったことが確証されることになるだろう。

地球の中、地球の周囲には、人類ではないさまざまな種族・集団が活動しており

我々はいずれそうした存在の一部と交流することになる。

爬虫類人のように悪意の策略を持っている存在もいれば

この変容を手助けするためにやってきた善意の存在もある。

また、我々に対して中立的な存在もいる。

我々とそっくりな外見をしているため

気付かれることなく地球の人々に混じって歩いていることもある。

 

地球外生命体、次元間生命体に関して言えば

それと同じ「瞬間」を経験する過程に人類はいる。

生命と現実に関する人々の認識が、驚異的に変貌するときを迎えつつある。

それは、すでに多くの人で始まっている。

実際に政府がいつ「公表」するかについては

政府の姿勢の大転換は公表の方向に進んでいるようだが

本当に何が起きているのか真実が分かると思って期待して待っていても無駄だ。

地球外生命体に関する「情報公開」は

人類の自由や啓発のためではなく、支配計画に都合のいいものになる。

想定されているシナリオは数多くあるが

その一つが「ブルー・ビーム計画」という名称で知られている。

具体的には、衛星から投影するホログラム技術を使い

「宇宙人の来訪」を偽装することや

世界の各宗教の神格が、一つの真実、一つの宗教へと

「団結」する様子を演出することも含まれている。

演出された「宇宙人の侵略」という話は

世界政府と世界軍を実現するためのPRS(プロブレム・リアクション・ソリューション)

としてありうるという意味で、心に留めておく必要がある。

 

何十年も前から秘密軍事基地には存在している反重力の「空飛ぶ円盤」を使えば

ホログラム技術を使うまでもなく、空飛ぶ円盤ショーを上映することも可能である。

UFOは必ずしも宇宙人が飛ばしているとは限らない。

もう一つの手法としては、「公表」された地球外生命体の集団との「交渉」や

交流のために地球を代表する必要があると称して

やはり世界の権力を一つに集中する理由にする可能性がある。

いろいろな方法が考えられるが、真実に向かうものでないことは確かだ。

また、政府が「公表」する非人間生命体には、さまざまなタイプがありうるが

決してウロコのついたタイプが言及されることはないだろう。

 

 

足も頭も非常に軽くなる時代だ。

これから数年、「真実の振動」がカーテンを開け

これまで隠されていたことを明らかにすると

本当にいろいろなことが起きるからである。

仰天するような出来事に、現実を変容させる出来事

操られたものもあれば、本物もあるだろう。

それを見分けるのは大変なことである。

鋭い直感が必要とされるところだ。

頭は実に簡単に騙される。

「地球外生命体」問題に関する政府の態度が急に変わり

また、主流マスコミもその話題を多く取り上げるようになった様子からしても

近い内に何かが起こるだろう。

いつ、どこで、どうやって起きるのか、確かなことはまだ分からない。

ブルガリアの科学者フィリポフは

「人類は、今後10~15年で確実に宇宙人と直に接触する」と述べた。

それより早くなるだろうと私は思う。

 

 

リベリアの女性の抗議運動で重要なのは、最初から最後までずっと

平和と非暴力を貫いたことである。

支配構造は、その不正義に反応して暴動してほしいと思っており

実に多くの人々がこの罠にハマっている。

世界中に完全な警察国家を築くための理由が欲しいのである。

暴動は常に扇動工作員が誘導している。

自暴自棄になって暴動に参加する人は

彼らが欲しがっている理由を自ら進んで与えることになる。

 

暴動で既存の秩序に挑戦できると思い込んでいる愚かな者たちがいるが

すでに舞台裏には

その暴動に火をつける役目の扇動工作員と役に立つバカが待機している。

既存の秩序を作ったのは、新しい秩序を作ろとしているのと同じ

イルミナティ血筋のネットワークである。

いつものことながら、彼らはそれを実現するために、我々の協力を必要としている。

目の前の状況に反応して暴動・略奪することを選び

他の人々にも暴動・略奪を勧めることは、

しかけられた罠へとまっしぐらに歩いていることを意味するということを

彼らは誰にも気付いてほしくない。

政府と軍の扇動工作員はそうした事情を知った上でやるだろう。

だが、役に立つバカには分からないだろう。

分かった頃には手遅れだ。

彼らが望む混乱には、夜間外出禁止令を伴う警察国家の導入

裁判なき投獄、市街地への軍隊の配置

私を含め多くの人が昔から警告してきた「反体制派」に対する

強制収容所の活用で対処されるだろう。

これを阻止する唯一の方法は、彼らが望むような形で反応しないことである。

国に対しても、互いに対しても、暴力と敵意で反応しないことだ。

歴史的にどれだけの数の暴力革命が

新たな暴政に置き換わるだけの結果に終わったことだろうか?

暴力によって破壊されたものは

同じ暴力というエネルギーで置き換えられるしかない。

当然そうなるものだ。

自らの覚醒した永遠なる根源意識は暴動しない。

略奪もしない。

そのことをジョン・レノンは歌

(レヴォリューション」(革命)に完璧に表現している。

 

 

また、マーティン・ルーサー・キングも暴動について見事な見解を述べている。

 

暴動の限界というのは

道徳的な問題は別にしても、勝つことがないことだ。

そして、参加者もそれを知っている。

従って、暴動は、革命ではない。

敗北を招く、反動である。

感情のはけ口にはなるが、その後には必ず虚しさがくる。

 

これは平和的な非暴力で成功した革命家の言葉である。

確かに最後には彼は殺された。

だが、彼が非暴力と固い意志で築いたものが拡大し

人種差別を終わらせた。

我々は錯覚の経験をしている永遠なる根源意識であるから

何が正しいのかという問題と比べると

肉体的な生命は重要ではない。

死は最大の錯覚である。

私は、独裁者の奴隷として錯覚の歳月を何年か生き延びるよりは

自分が正しいと知っていることを行い

死期が早まるほうがずっとよいと思う。

 

だが、このバカバカしい状態を終わらせるには、そこまでする必要はない。

奴隷になっている人々は何十億もいる。

比べて奴隷にしているのは一握りだ。

抜け出す方法は、明らかだろう。

我々は、助け合い、愛、思いやり、共感で力を合わせる必要がある。

我々は、宗教、政治思想、人種、文化、所得階層といった

我々を分断する、作られた無意味なものを脇に置いておく必要がある。

それぞれの信条を捨てなければならないという意味ではない。

それが原因で分断されないようにという意味である。

我々は一緒にこの状況に陥っている。

だから、互いから盗むのではなく、略奪・暴動するのではなく

他の人に何か起きていても

「私の問題ではない」と言って見て見ぬふりをするのでもなく

困難に一緒に立ち向かう必要がある。

彼らは我々全員を奴隷にしようとしているのだ。

そしてナチスがドイツで行ったように、さまざまな集団を一つずつ狙い撃ちにしている。

このドイツの牧師の有名な言葉を覚えておいてほしい。

今、まさに生かすべき言葉だ。

 

最初、彼らは、ユダヤ人のところに来た。

私はユダヤ人ではなかったので、何もしなかった。

次に、彼らは、共産主義者のところに来た。

私は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。

それから、彼らは、労働組合運動家のところに来た。

私は労働組合運動家ではなかったので、何もしなかった。

そして、彼らは、私のところに来た。

そのときには、私のために意見を言ってくれる人は誰も残っていなかった。

 

我々全員に影響が及ぶこと、最も基本的な自由の喪失を掲げて、結束しよう。

今、基本的な自由が失われつつあるならば

我々の子供や孫は、どんな世界に住むことになるだろうか?

そう考えたとき、何もしないでいるとか

政府の望む通りに暴動して、この時代を過ごすことができるだろうか?

私にはできない。

我々は、互いを支え合うために、共同体や集団としてまとまっていく必要がある。

そして、支配構造に協力するのをやめる必要がある。戦うのではない。

彼らの悪夢は、我々の非協力である。

どのような形態であれ、我々自身の奴隷化に服従しないことである。

これが大規模になされると、支配構造は対処できない。

 

 

平和的なものであれば、集団抗議活動も選択肢である。

だが、それは非暴力・非協力の運動のためのものであって

それ自体が主目的となってはならない。

戦争にしても、グローバル化にしても

世界中でどれほどたくさんの集団抗議活動が展開されてきたことだろうか。

それで何が変わっただろうか。

何もかも今まで通りに動いている。

横断幕を掲げて行進し、終わったらお疲れ様と言い合って

酒を飲んで楽しんでいる場合ではない。

本当に変化をもたらすことをやり始めなければならない。

抗議するならば、「非協力」に目標を定める必要がある。

現在のところ、良識と正義のために責務を果たそうと立ち上がるだけの

十分な決意を固めた人々はまだ少数である。

だが、今後の可能性には限りがない。

制服を着た使い捨て要員なくして、戦争はありえない。

政府、銀行、企業、メディア等々を包含している支配構造そのものも同じだ。

こうした支配・操作の機関・制度は、いずれも我々の協力なしに機能することができない。

我々の協力がなければ、トランプで作った家のように、脆く崩壊する。

このあまりにも明白な事実に、心が開き、破水するまでに

どれほど事態が悪化する必要があるだろうか?

 

頂点が上にいることができるのは、ピラミッドの他の部分が支えているからである。

基礎なしに頂点はありえない。

我々は、力のないところを仰ぎ見るように操られている。

そして、本当は力があるところに無力さを感じている。

ピラミッドについても、地球社会についても、我々の「力」の認識は、あべこべだ。

それは、人類が、無知と恐怖によって行動できないように冷凍されているためである。

無知な者は、自らの窮状が理解できない。

理解できる人の大部分は、(恐怖で)順調なお通じができなくなっている。

わずかな数の人間が極めて多数を奴隷化・支配できるのは

まさにその組み合わせがあるからだ。

我々は今、この無知を解消する時代に本格的に差し掛かっている。

陰謀の覆いがはがれ始めており、それが日常の経験で感じ取れる時代になっている。

だが、目を背けて逃げていたり、凍り付くだけならば

本当のことを知っても何も役にも立たない。

 

私は、散歩に出るとき、ボニー・タイラーの音楽をよく聞く。

彼女は素晴らしいヒット曲を出しているが

その一つが「ヒーロー」である。

とてもよい歌だが、これを聞くたびに

人類の自由にとって最大の脅威を思い浮かべる。

 

私にはヒーローが必要なの。

世が明けるまで、諦めないでヒーローを待っているわ

 

といった歌詞である。

 

 

人々はヒーローを待ち望んでいる。

辞書では、ヒーローは、こう定義してある。

 

①神話・伝説で、偉大な勇気と強さを授けられた男(しばしば神の家系)で

勇敢な功績を讃えられ、神々の力添えを得る。

 

②勇気ある偉業または目的の崇高さのために注目される人物。

特に自らの命を危険にさらしたり、犠牲にする人。

 

辞書はこのように言っているが、私は別の定義をしておこう。

ヒーローとは、あなたのことだ。

「私に何ができる?」と聞いている、小さな存在のあなたのことだ。

潜在的には我々全員がヒーローである。

我々は「一つ」から生じているのだから、全員が神聖な家系である。

我々には誰でも偉大な強さと勇気が授けられている。

起動されるのを待っているだけだ。

そして、我々は誰でも「目的の崇高さ」に献身することができる。

それを選択するかどうかだけだ。

どうしていつもヒーローは誰か他の人でなければならないのだろうか?

 

内なるヒーローを呼び起こすには、数が必要だ。

人々が待ち望んでいるヒーローになる人々が必要だ。

それも大きな人数が必要である。

これは、実を言えば、いわゆる「ヒーロー」のイメージとはまったく違う。

我々の最も高い無限の状態には、そもそも恐怖というものがない。

存在しない恐怖を克服する必要はない。

だから、勇気も必要ない。

人類の社会は、もともと生み出すことのできる数の「ヒーロー」を生み出していない。

人々が、結果を計算に入れてしまうことで、恐怖に閉じ込められているからである。

 

人々が、他の何よりも「正しいこと」を優先すれば、この世界は正しくなる。

正しいことをすればどんな結果を招くだろうかという恐怖よりも

正しいことを優先するということだ。

ひどく病的で神経質で悪意を持つ少数の人々が

その意志を世界中に押し付けているのは、正しいことだろうか?

正しくない。

では、彼らがそうしているのを

ぶらぶらと過ごして許しているのは、正しいことだろうか?

正しくない。

何が起きているのか、少なくとも概略は理解していながら

何もしないことは正しいことだろうか?

では、なすべき正しいこととは、何か?

その質問を我々は自分自身にする必要がある。

質問には答えが必要である。

自らの行動(行動しないこと)を正当化するための

ごまかしの言葉遊びや、認知的不協和音は必要ない。

本書随筆中にも

工作された銀行破たんの問題を理由に、世界中央銀行が画策されている。

世界軍(世界占領軍)が配置されつつあり、日々、自由が消えている。

そんなときに、我々は、あとどれぐらい

「夜明けまでヒーローを待ち続ける」のだろうか?

全てが計画通りに完成するまでだろうか?

 

今すぐヒーローになってはどうだろう?

 

自分に何ができるか教えてもらう必要はない。

自分でできることは自分で分かる。

後は、それを実行するか、それとも、肉体・心(マインド)が

震えながらハンドルを握ったままに任せるかの選択である。

本当に意識のある人々は必ず「ヒーロー」になる。

自分で正しいと知っていることを行っているだけだが

人間たちから見ると「ヒーロー」に見えるのである。

本当はヒーローではない。意識があるだけだ。

本来の自己意識の状態に近いだけである。

さて、あなたが探しているヒーローは、どこにいるだろうか?

鏡を見てみよう。

前からずっとそこにいたのだ。

 

我々はライオンであり、子羊ではない。

ライオンは寄せ集められることを拒否する。

起き上がり、目を覚まし、正常な状態に戻そう。

我々は羊のふりをしたライオンである。

だが、羊のふりをする必要はない。

我々の中にいるライオンは

いつでも我々が自由に解き放つ選択をすれば、目を覚ます。

詩人のパーシー・シェリーが書いた通りだ。

 

まどろみから醒めた獅子のごとく起ち上れ

制圧不可能な人数となって

眠っている間につながれた鎖を震わせ

露のように大地に振り落とせ

あなたがたは多勢だ 相手は無勢だ