日本では2011年に出た本だけど
その時よりは意味が分かるようになってきた
6巻53ページより
「物質的現実」の本当の性質を理解し始めると
どれほど完全に人類が惑わされてきたか
今もなお、騙され続けているかに気付くことになる。
また、少数者が「現実」の何たるかを知り
大半は知らないという状況で、いかにして少数者が
大勢をこれほど全面的に支配できるのかも理解できる。
我々は、宇宙の仮想現実(バーチャルリアリティ)
ゲームのようなものを体験しており
人間の肉体は我々をそのゲームに接続するコンピュータ・システムである。
それはあたかも、コンピュータがソフトウェアの入ったディスクを読み込み
ディスプレイに画像として表示するようなものである。
この肉体コンピュータ(心)マインドが
意識と「ゲーム」を仲介するインターフェイスである。
この仕組みはインターネットにたとえるのが非常に妥当なため
私はこの現実界を「宇宙インターネット」と呼んでいる。
世界中のどこであってもコンピュータでWWW
(ワールド・ワイド・ウェブ、世界規模の蜘蛛の巣)
にログオン(参入)すると、同じ集合的現実に接続される。
どんな情報を利用するかはさまざまであるが
同じ集合の「世界」であることには違いない。
我々の仮想現実の宇宙も同様である。
肉体コンピュータ(心)は、我々(根源意識)コンシャスネスが
宇宙インターネットに「ログオン」するためのインターフェイスである。
宇宙インターネットは、情報で築き上げられた振動の構築物であり
肉体コンピュータはそれを(錯覚ではあるが)「物質的現実」へと解読する。
誕生するということは、根源意識がオンライン状態になることと言える。
インターネットとはどんなものかと人に聞けば
画像や文字や色や写真のあるウェブサイトだと言うだろう。
確かにそうだが、そうした形態でインターネットが存在するのは
コンピュータの画面の上だけである。
それを除けば、インターネットとは
電気回路であり、数字的なコードなのである。
同様に、テレビとは何かと誰かに聞いたなら
スクリーン上で動く画像のことだと言うだろう。
確かにそうだが、やはりそうした形態で
テレビが存在するのはスクリーンの上だけである。
それ以外のテレビは、電気回路であり
数学的なコードであり、振動場などである。
我々の五感の現実も、これと同じだ。
我々が体験しているような「固形(立体)」
あるいは「三次元」の形態で「世界」が存在するのは
スクリーンに相当する脳内のコンピュータ・システムの上だけである。
そのシステムが、エネルギー的、電気的、デジタル的な情報を解読し
人物、場所、光景といった事物へと変換しているのである。
インターネットとは何か?情報である。
コンピュータによって、色、形、言葉、写真に複合される情報である。
五感の現実とは何か?やはり情報である。
肉体・脳というコンピュータによって
色、形、言葉、写真に複合される情報である。
実際にインターネットそのものを感覚器官や
脳に埋め込んだマイクロチップをインターフェイスとして
もっとリアルな経験のできる仮想現実にする計画もある。
技術の進歩により、ますます我々が経験する現実を
そのまま模倣するようになっており
脳のコンピュータに接続することさえできる状態になっている。
脳もコンピュータなので、2台のコンピュータを接続するのと同じなのだ。
アルバート・アインシュタインは、現実のことを
「[一時的なものではなく]永続的ではあるが、錯覚だ」
と言ったが、まさにその通りである。
実際には、振動、電気、電磁気、化学、デジタルの情報であり
それを我々は、見かけだけ三次元の立体に思えるものに複合しているのである。
この錯覚が永続的なのは、そうした複合作業が常時行われているためである。
コンピュータが行き交う情報を常時解読しているのと同じである。
アインシュタインは述べた
「人は我々が「宇宙」と呼ぶ全体の一部であり
時間と空間の制約を受けている。
人は、その他の全てから切り離された自分自身として
考えたり、感じたり、自己を経験する。
これは一種の光学的な幻想にとらわれた意識である。
この幻想は、我々にとって一種の監獄であり
我々を、個人的な欲望や身の回りの
わずかな人々だけに愛情を感じるように限定する。
我々の課題は、全ての生き物
美しい自然の全体を抱く思いやりの環を広げることで
この監獄から我々自身を解放することにある。」
我々は物質世界(と思っているところ)に住んでいるが
そのようなものは存在しない。
私は頭がおかしくなっているのだろうか?
そんなことはない。
街路、風景、空港、自動車、星、人々といった物質的現実は
「そこに」は存在しない。
我々の頭の中で上映されている3D映画のようなものだ。
このことは、映画「マトリックス」3部作の
ネオとモーフィスの対話において見事に表現されている。
ネオは、自分が経験していると思っている
「物質世界」が現実ではないことの確認を求める。
それに対し、モーフィスはこう答える。
「現実とは何だ?どう定義している?
感じることができるもの、匂うこと、味わうこと
見ることができるものを現実と言っているのなら答えは単純だ。
現実とは、お前の脳が解釈している電気信号のことだ。」
まさにその通りである。
今日の仮想現実技術は、同じ感覚プロセス
脳の解読プロセスを採用している。
この事実は、爬虫類人もハイブリッド血筋の最上層部も知っているが
人類一般には、宗教と科学の支配を通じて
意図的・組織的に隠蔽されてきた。
人間の肉体は(我々のレベルからすると)
信じられないほど高度に発達したコンピュータシステムであり
五感は「可視光線」という周波数帯域の範囲内の
エネルギー場に周波数を合わせる(チューニングする)
ためのアンテナのような働きをする。
脳だけでなく、身体の遺伝子構造の全体がコンピュータであり
送受信機であり、「光」に符号化された情報を読み取り
解読しては、脳内の「スクリーン」上の画像に変換している。
略
無限なる意識という形態では
「私」が「物質の肉体」に「入る」ことはない。
また、死に際して、肉体を「去る」こともない。
もちろん、象徴的な意味でたとえることは便利である。
コンピュータの前に座り、インターネットにログオンする時
キーボードを打つあなたは、インターネットのどこに行くわけではない。
コンピュータが情報を読み取り
それをあなたが読める形の文章や画像に変換し
それが画面の変化になって現れるのを椅子に座って眺めているだけである。
あなたが観察しているものは、動いているように見えるが
あなた自身が動いているわけではない。
この現実も、それと同じである。
根源意識は、この現実を肉体コンピュータという
「レンズ」を通じて経験している。
根源意識はどこにも出かけたりしない。
いつものところに存在するだけで
コンピュータ(レンズ、望遠鏡)が死ぬときも
我々(根源意識)は、いつも我々がいるところに存在する。
そのレンズを通じて眺めることが終わるため
この現実が変わるだけである。
しばらくインターネットをした後で
パソコンの電源を切ったとしても、我々がいる場所は
インターネットをしていた時と同じ場所である。
我々は、ワールド・ワイド・ウェブを眺めているだけで
実際に出向いていくわけではない。
だが、仮想現実の宇宙は、極めて真に迫っているため
根源意識は幻惑され、わけが分からなくなってしまい
そのゲームの内側に存在すると信じ込んでしまうのである。
こうして五感にばかり注意が向くようになり
人々は心と身体の現実に捕獲されてしまうのである。
肉体が死ぬと、レンズは機能を停止する。
そしてレンズがあったために
忘れさせられていたことを根源意識は思い出し始める。
もっとも、仮想現実経験の刷り込みはかなり強力であり
肉体が亡くなった後でも、現実の感覚に影響を及ぼし続けることもある。
我々が「死」と呼んでいるのは
レンズを通じて眺めることが終わることを意味するに過ぎない。
「死」によって望遠鏡を手放すことになる。
こうゆう話に興味深々
この世が仮想現実なら善も悪も表裏一体
ここには出てこないけどマザーテレサもあちら側
