聖書からこの世の陰謀を解き明かす

日本人のキリスト教徒のブログを見てみると

本当にクリスチャンは

多神教を悪魔教と思っていて

神はただ一人と信じているらしい

本当に神が一人だとしてもなぜ聖書は

神が「我々」と言っているのか疑問に思わないのか?

神が一人なら

キリスト教でイエス・キリストを神として崇めるのは

キリストは神の子なのでおかしい

それとどちらも捏造入ってると思うけど

旧約聖書は本物で

新訳聖書は偽者と思っている

 

私はいろいろ知ってるから

神に救われるのは確定してるけど

知らないあなた達は救われないと

ものすごく上からの文章で

それ違うと指摘しても聞かなそう

そういう人に限って反論がすごいのか

コメント欄は閉じている

それにトランプ元大統領を

光側と思っているのでやはり

救世主待ち依存タイプ

 

あと宗教している人の違和感は

すぐ神のおかげとか神を持ち出すので

それが目の前の人の手柄だとしても

まず、その人に感謝しないのでタチが悪い

これぞ強力なバックを味方に付けた

マウンティング体質の人間の典型だと思うので

反面教師にしたい

 

 

以下7巻の抜粋は最後

 

我々がこれまでの歴史から知っているように

古文書はものの見事に消されてしまっているため

書物からの情報を期待することはできない。

古文書は、イタリア、イギリス、フランス

そしてロシアでは特に念入りに燃やし尽くされたのだ。

しかし、狂ったように我々の先祖の親たちの文化を壊滅させても

人々のハートや魂の奥深くにあるその文化を

焼き尽くすことなどできなかった。

 

我々は、自分たちの歴史を知らなければならない。

知り、そして敬わなければならない。

それだでではなく、我々が段階的に歩んだ

ヴェディズム、多神教、キリスト教という一連の歴史についても

理解することが不可欠だ。

これらの段階のうちひとつとして蔑視するべきではない。

これらのうちのどれかを否定するなら

我々は再び、我々自身を否定することになるのだ。

 

キリスト教に対しても

我々は理解と敬意をもって扱わねばならない。

そして他の宗教に対しても同じである。

そうすることではじめて

我々の歴史のすべての段階が

美しい未来への強固な礎(いしずえ)となるのだ。

知って理解しなければ、そうはならない。

未来を構築する際に

我々の歴史における各段階を教訓にしなければ

美しい未来への強固な礎にはならないのだ。

さもなくば、馬鹿げた世界に生きることになる。

 

様々な国で政府や国会議員たちがテロと闘っている。

そこでは

特定の人種や宗教への敵意を煽る行為を禁止する法律がつくられている。

そして同時に、まさにこれらの国々で

政治的な目的を達成するために

神の名における大規模なテロ行為が

容認されるかのような宗教的な教えが許可され

支持されているのである。

 

 

彼らの子どもの内に、遠い先祖の魂、気持ち

知識があることを一族の大人たちはすぐに理解した。

そして先祖の魂が宇宙空間でさまようことも

粉々に砕け散ることもなく、完全なる生として

永遠の生命が続いていることを誇らしく思った。

 

多神教はもとより

ヴェディズムを宗教と呼ぶことはなお難しい。

「生き方の文化」と言う方がより正しいだろう。

地上に存在した精神性の高い文明の

最も偉大な文化である。

この文明には、神を信じる必要がなかった。

 

この文明の人々は、神を知っていた。

この文明の人々は、神と触れ合って交信し、創造主の想いを理解していた。

この文明の人々は、草花やウジ虫や惑星の使命を知っていた。

この文明の人々は、今日も我々の魂の内でじっと眠っている。

そして陽気で生命の歓びにあふれた

この美しい惑星の創始者たち、ヴェドルシア人は、必ず目を覚ますのだ。

 

これは証拠のない、ただの言葉なんかではない。

証拠ならいくらでもある。

そのひとつが日本だ。

 

よく知られているように、16世紀にキリスト教徒は

かなり強力に自分達の思想を日本に布教しようと努めた。

一方で当時の日本の統治者は

キリスト教の伝道師たちの行動とその成り行きを観察した。

その結果、徳川幕府はキリスト教を禁じることにしたのだ。

 

日本には「神道」という民族的宗教があり

今日では最も多神教に近い国とも言える。

「神道」とは、「神々の道」という意味である。

神道では人間の役割りを

調和の中で自然と共存することである

としている。

 

では、どうだろう?

日本人の生き方はおぞましく、野蛮なものだろうか?

現に我々は、多神教時代の人間の暮らしは

野蛮なものだったと教えられてきたではないか。

でも、これは嘘なのだ。すべてが真逆なのだ。

 

多くの日本人が詩を綴り

自然に対し心を震わせている。

日本の生け花には、まさに全世界が魅了されている。

しかしこの芸術は

プロフェッショナルな生け花の芸術家だけのものではない。

ほぼすべての家で生け花を見ることができるのだ。

 

日本人には、我が子に対する独特な接し方がある。

そして、大人たちは子どもが完全に

自由でいられるよう最大限の努力をする。

こういうと

詩人や芸術家の国の話と思われるかもしれないが

そうではない。

 

日本の技術は最も発展した国々をも凌いでいる。

電子工学でも自動車製造の分野でも

日本人と競い合うのは困難だ。

そもそも我々は、日本のような多神教でありながらも

近代的な国を話題にする際

多神教のほんの一要素についてしか話していない。

 

では、もしこれが完全な多神教の文化であった場合

その中にいる人は

いったいどのようなタイプの人間になるのだろうか?

ひとつだけはっきりしているのは

現代の人間よりも

知識や精神性のレベルが各段に高かっただろうということだ。

 

しかし、真逆のことを吹き込んで

私たちを騙したいと切に求める人たちがいたのだ。

日本が例外でもなく、唯一の例なのでもない。

何千年もの大昔から我々の時代まで

アルキメデスやソクラテス、デモクリトス、ヘラクレイトス

プラトン、アリストテレスといった天才的詩人

哲学者、学者たちの名前が伝えられてきている。

彼らはキリストが誕生するよりも

200年から600年前に生きていた。

 

どこで生きていたか?

それは同じようにその当時多神教だった国、ギリシャだ。

日本、ギリシャ、ローマ、エジプトといった国の

古代の寺院などの建築物、古典芸術、祭や伝統的習慣は

それらの国の民の文化レベルの高さを

今日もはっきりと証明しているのだ。

 

では、ロシアの歴史学者たちは

同じ時代のルーシについて

いったいどんな情報を提供できるのだろう?

何ひとつ提供できはしない。

しかしながら、ヴェディズムのルーシに

芸術家たる人々や詩人たる人々

そして絶対に誰も攻撃することはなかったが

武器を操る腕が非常に優れていた

栄誉ある勇者たちが暮らしていたという

目に見える証拠を、どうやって見つければよいのだろう。

 

(アナスタシア)

ええ、できる。だって証拠は数限りなくあるもの

 

じゃあ教えてくれ、どこを発掘すればいいんだ?

 

どうしてすぐに発掘しなきゃいけないという発想になるの?

ヴェドルシア人の文化の証拠は、数多くの住居にある。

今日の人々が建てている家に注意を払ってみて。

そしてそれらと

あなたが今住んでいる農村に建っている

家々とを比べてみて。

その農村の古い家のほとんどは、彫刻模様で飾られている。

あなたも博物館都市であるスズダリで

もっと古い時代の家を見たことがあるはず。

つまり、自国の民族の過去の作品を遡れば遡るほど

より美しくつくられた住居を見ることができる、ということ。

 

他にもいろんな博物館で

美しく彫刻が施された紡ぎ車や取っ手つきのカップ

その他の生活用品を見ることができる。

それらは300年とか500年前に

普段の生活で使われていた物。

遠い昔に遡るほど

職人たちの芸術作品は優れたものになっているでしょう。

何千何百年にも渡る

これほど膨大な数の民衆の作品が見られる国は

世界のどこにもない。

一部の芸術家たちが

高官たちに注文されてつくっていたのではなく

まさに民衆全員がつくっていたの。

 

自分で判断してみて。

博物館でごく普通の紡ぎ車を見ても

それを皇帝や女帝、高官のものだとは思わないでしょう。

それらは普通の家庭にあったものだもの。

だけど当時のヴェドルシアにおいては

普通の民衆が、垣根を含め、家中に愛をこめ

窓枠に沿ってレースの模様の彫刻を施したり

家にあるすべての道具に絵を描いたり

職人たちだけが行った仕事にしては

考えられないほどの数だから。

ヴェドルシア人のすべての家庭が

自分たちの手で飾りを施していたの。

民衆の全員が創作活動に励んでいた。

そしてこのことは、民衆の暮らしが豊かだったことを意味する。

創作に費やすためには、多くの時間が必要。

 

歴史学者たちは

古代の人々が自分にあてがわれた土地で休むことなく

働き続けたと事実と異なることを言っている。

もしそれが事実なのだとしたら

古代の人々には創作にかける時間なんかなかったはず。

でも時間はあった。それに

闘いでヴェドルシアの勇者たちが

武器を自在に操っていた証拠に関しても

彼らが斧であれほど美しい御殿にすることができたのであれば

上手に手首を使って

芸術家のように武器を自在に操ることだって

できたはずだと思わない?