日本の千年前は平安時代で、もう日本は

天皇、貴族に支配されていたので

キリスト教は不要だったという事だろうか?

キリストも聖徳太子も馬小屋で生まれたという

そもそも何で馬小屋?

イエスの誕生日はクリスマスイブの寒い時期で

馬小屋で生むには、寒いので無理なので

時期は捏造とどこかで読んだ

ちなみに聖徳太子は

西暦574年2月7日生まれで

622年4月8日に死去

キリストの死んだ日は西暦30年4月7日

釈迦の誕生日は西暦563年4月8日

神話は名前を変え

どこの国も似ているというけど

なんとなく繋がってるような気がする

 

マンガのワンピースが思い浮かぶ

この世界は「ひとつなぎの大秘宝」

手塚治虫さんは自動書記みたいに

自分の意思とは関係なく

アイディアが次々頭の中に浮かぶので

描くのが間に合わないほどだったと言う。

ワンピース作者もそうなのかも?

 

 

以下6巻より

 

わずか千年前のルーシは多神教だった。

少しではあるけれど

多神教はまだ神のヴェド文化の意味を残していた。

たくさんの公

彼らが治めている小さな領地

そしてその後、大きな領地が出現した時から

統治者たちには軍隊よりも強い力が必要になった。

その力とは、従順に服従するタイプの人間をつくる力。

 

神官の急使たちは

ここでも公である統治者たちを助けにやってきて

適した宗教を提示した。

公たちは、新しい宗教の本質を気に入った。

そこに新しいものなんてほとんどなかったのだけれど。

すべてが5千年前のエジプトにあったまま。

 

公はファラオと同じように

神の腹心だと考えられていた。

新しい宗教のオカルトの聖職者が彼の助言者たち。

そしてこれもエジプトと同じ。

それ以外のすべての人々は、単なる奴隷に過ぎない。

 

けれど、まだヴェド文化の祭を記憶している人々の自由な頭に

奴隷であるという概念を植え付けるのは簡単ではなかった。

そこで神官は、再び公たちに助け舟を出した。

そして彼の兵士たちは

どこかの多神教徒たちの間では

人間を神への生贄にすることが増えている

という嘘の噂を流して回ったの。

動物だけではなく、美しい娘や青年

幼い子どもたちをも、多神教徒たちが

神々への生贄に捧げているかのように伝えられた。

この嘘の噂も今日まで残っている。

この噂は、徐々に多神教の人々の怒りを募らせた。

反対に、生贄を厳しく禁じる新しい宗教が

ルーシの民に薦められていた。

そしてその宗教は、平等と同胞愛について語っているものだった。

もちろん、公たちはその教義の対象外。

そうやって少しずつ、新しい宗教が多神教のルーシに根付いていったの。

その後、一人の公がその宗教を

唯一の真なる宗教であるという命を出し

ルーシをキリスト教の国と名付け、その他の宗教を禁じた。

 

たった千年前までは

私たちの先祖は、多神教徒だった。

私たち一人ひとりが

本当に神を歓ばせるために動物や人間が捧げられていたのかを

今、自分に問いかけてみるといい。

多神教の人々が人間を神の生贄に捧げていたのなら

憤慨せずに批判を歓迎し

新しい宗教を受け入れる代わりに

噂で伝えられていた内容を

そのまま熱心に繰り返そうとする方が論理的よ。

でも人々は憤慨した、なぜか?

それはもちろん、多神教の人々が抱くどんな意図にも

動物を、ましてや人間を生贄にすることなど受け入れていなかったから。

 

これが、多神教のルーシの人々による生贄の行為を伝える文献を

今まで誰一人として提示できていない理由。

キリスト教年代史の作者だけが生贄のことを言っている。

でも、彼らは多神教のルーシで暮らしたことがない。

多神教のルーシの言葉さえ知らない。

それにあの多神教のルーシの巻物や年代記はいったいどこにいったの?

一部は隠され、一部はローマと同じように炎に焼かれた。

そういった文献の中で

彼らに対して反抗的なことが書かれていたのか

そして何について伝えていたのかは

読まなくとも今日の一人ひとりが推測できる。

その文献が残されていれば

多神教への非難の嘘を暴いたことでしょう。

そしてヴェディズムの叡智を伝えることができたでしょう。

多神教のルーシの人々はみんな

生贄を捧げることを知らなかっただけではなく

肉もまったく食べなかった。

そんなことは考えすらしなかった。

多神教の人々は動物と仲良く暮らしていたの。

彼らの日々の食事は多彩だったにもかかわらず

そのすべてが植物性のものだけだった。

古代ロシア料理で

肉が出てくるレシピをひとつでも挙げられる人はいない。

 

 

肉食は、遊牧民たちによって世界に持ち込まれたもの。

砂漠や荒野では十分な食糧を見つけることができなかった。

だから遊牧民たちは家畜を殺していた。

彼らは、遊牧生活の辛さを共にし

家財道具を運び、ミルクで養ってくれ

衣服のための毛を与えてくれた動物たちの肉を食べていた。

 

こうして私たちの祖先の文化は破壊され

ルーシは宗教にどっぷりと浸かっていた。

それが本来の、キリスト自身の教えだけのものであれば

今日の生き方は異なるものだったかもしれない。

でも、神官は、キリストの宗教に罠を組み込んだ。

ひとつの宗教に様々な異なる解釈が与えられるようになり

キリスト教世界がたくさんの宗派に分割され

互いに衝突するようになった。

 

最高神官は、ルーシに対してかなりの労力を費やした。

地球の他の場所では、この行いを見て

宣教師たちを領域に入れさせなかった国がある。

日本、中国、そしてインドはキリスト教化しなかった。

でも、最高神官は他の方法で彼らを服従させた。

オカルティズムの千年紀は、千年前に到来した。

世界中の人々がそれを生き

そして今もまだ、その中で生きている。