5月の満月🌕はウエサク満月 なのでしたね。


数日前、サナトクマラさんと、久々につながった。

理由がわかりました。


サナトクマラさんとは

貴船、鞍馬は好きで、そこからのご縁。

天尊信仰、修験の地、熊野古道もそうでした。



サナトクマラさんと話したこと


たとえば「好き」とか「大切」とか

人間の感情には、相手がいることが多い。

でも

相手はどうかわからないとか

相手は同じ温度ではないとか

ありますやん?


って聞いたんですね。


そのときのお返事です。

サナトクマラさんは笑って

我に人生相談か、と。


おまえが、その気持ち(感情)になるとき

どんな状態か?の方が大事だ。


良い感情 〝しあわせ〟な気持ちになるなら

それでいいではないか!

自分が、満たされ微笑んでいられる

〝しあわせ〟なエネルギー 何よりだ

それ以外には ない。


もちろん、押し付けは 良くはない。


人と人が出会い 出会えてよかった 

嬉しいと思える


相手から、その見返りが あってもなくても

それだけで いい。


そしてな、〝しあわせ〟を素直に表されたら

相手も〝しあわせ〟を感じるだろう。


それに対して、

相手がどう対応するかは 相手の問題。


サナトクマラさん 好きよ 私

う、う、ありがとう。

照れてるやん。

む、む、ま、そんなことだ。


そのときは、こんな感じでした。


本来、修験の方、不慣れなんだと思います。

愛の大きなサナトクマラさんなのです。


本題

ウエサク満月🌕に寄せて

サナトクマラさんより

↓↓↓



人は なぜ生まれて 久しく経つと

この大宇宙の愛を忘れてしまうのかの。


個 生命 魂 そのものに

授けられた愛を、だ。


他力で愛を測ろうとは 愚かな。

身の内に

産まれ出るずっと前から

どれだけの愛が 注がれ

秘められ 続いてきたか。


指先 つま先

御身の小さき小さき

そのカケラにさえ

愛はある


宇宙から地球が生じ

地球に 水が 草木が

そこから 生命の種が

生じた

日が月が 昼か夜が

幾重にも重なって

生き物が 人が

産まれてきた


この長き流れ 時の連なりこそが

確かな愛ではないか



他を慈しむことは

我と我が身を慈しむこと

それは

我以外のすべてを慈しむことに

自然とつながるだろうに。


だから

以前にも告げたように

まず

自分が満ち足りることが 大切だ

自分が微笑んでいられることが 大切だ


相手が どうだから 自分は・・・ではなく

自分は そう思う それだけだ


慈しみ 愛

そこから発するエネルギーは

すべてを包む

すべてに影響を及ぼす


〝わたしは しあわせ〟

相手が 周りが

どうあろうとも


そこに至れば

惑うことはなくなる



2020年 鞍馬寺にて