愛は純度の高い粒子であるから、本来、

形としてはさまざまなのだよ。


労働の対価(交換されるモノ)はお金とされる

そんな社会の中で、「愛」はどうか?



わたしにつながっているソウルグループ

ハイヤーセルフや宇宙的叡智の存在に問いかけた。

     そんなお話の自動書記の記録


愛という純度の高い粒子のお話


どなたか?お応えくださいませんか?


慈雨(ジウ)である。

質問の世界観が大きいため、ワタシが良いだろうと

あいなった。問うてみよ。


ジウさま。

どうした。

人間は関係性において

労働には、対価やポストがあります。

恋愛なら

両思い、付き合う、結婚みたいな、展開や

大好きだよ、を、交わし合い満たされた、とか

言葉も含めて

形がありますが


神々などが 私達に授けてくださる愛や

愛の中でも、親愛や友愛などは、

どんなモノを、交わし合うのでしょうか?


(ジウ)

前提として、我々でいうところの、

「何か」に対して「与える」こと。

もちろん、何も求めないこともあるが。

おそらく、人間もそうだと思うが。


愛に応える行為 好意で的な対応としては

智恵や言葉や時間だって、与えられる「愛」だろう。


表に出さない気持ちや形にしない気持ちにも

「愛」はちゃんとあるだろう。


人間は、それぞれがわかりやすいように

条件や対価や目安をつくり

感謝や愛を伝えてきたと思うが


労働ならば、1時間、〇〇をしたら、いくら

みたいなことも、

私好きだよ、僕も好きだよ、同じだね

みたいなことも

そうだろう。

わかるように、わかりやすく、

同じバランス、同じ質量で、とかな。


しかし、愛とは、本来、純度の高い

人間含万物に対して、浸透性の高い粒子なのだ。

波動や振動と言っても良いだろう。


万物は粒子の集合体だ。

粒子は

目に見えないが、ある。

形として捉えられないが、ある。

物にも、付着したりするし

気持ちにも、振動として、付着している。


その中で、愛は、人の営みにおいて

人を素直に、動かす、振動なのだ。


先に述べた

智恵や言葉や時間も、好意的な対応にも

振動や粒子の動きは、あるのだが

浸透性のことで言うなら


やはり、生き物は、欲求があるほど

吸収しやすい。

水、食べ物、空気のように、必要で欲しいから

吸収するのだ。

病気のときには、食べ物を何でもは、欲せないだろう。


人間は、愛を欲し、愛を捧げたい生き物だな。

欲しい、与えたい、どちらも欲求で

与えあう、交わしあう、も欲求。


そして

愛はは、粒子だからな

形にならないこと、見えないこと

何かにのせる(付着させる)こともあるのよ。


だが、人間は、対価、対等、わかりやすさに

慣れて、また、そうなる社会をつくってきた。

故に、愛はない、愛はある と 

わかりやすく判断したくなった。


友達が、君に合わない間に、君を思う

親が、明確な何かを与えられずとも、子を愛する

師が、その知恵を時間をかけて、伝える


対等で、わかりやすい対価ではなくとも


そこには、愛の粒子が、たくさんある。


恋人もそうかもしれんな。

好きと言わない、同じ好意が返らない

でも、何か、愛は漂っている

つまりは、感じる 伝わってくる その浸透性。

そんなことも、あるだろう。


悪意や敵意は、ぶつかったり投げられたりする。

ある意味、わかりやすい。


が、愛は、そうでもないかもしれんな。


我ら、神々やそれに近いような存在も

必ずしも、わかりやすい形で、愛を届けるモノ

ではない。


が、よく感じてみてほしい。

日々のあちこちに、純度の高い、愛の粒子を

注いでいるのだよ。

我らは、いつも、君を想い、君のそばにある。




ジウさま。

とても、聡明で、やさしく、見識も広く深い

ずっと、人である私にも、そうでなかったときにも

寄り添ってきた 私のソウルグループのメンバー。


ありがとう。