遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ

梁塵秘抄より


サチコ意訳

1日の終わり

笑う子ども達の声を聞けば

平和やな 何も知らんととか思いながら

あーもっと私も楽しんで生きたいと思う


恋に盲目な人 その泣き笑いに

何してんのとか言いながら

やっぱりどこか羨ましい


無心で無邪気で 心のままで

それに 心が揺さぶられるのは 

なぜだろう

悩みがちな人 その人が気になるのは

なぜだろう


ちゃんと足りてる そう感じている私なのに。


きっと、私の奥の奥が 疼くのは

私も あんな風に 生きたいから

嫉妬? 

そんなキレイな包み紙でもなく

ただホントに チクッと 胸を刺す


1日の終わり

疲れた体と心に チクッと刺さる

生きていく 簡単じゃないから

よく頑張った 今日の私が

ほんの少し 痺れる 

神経毒に触れてしまった 夕暮れ


遊び 戯れ 自由で いられたら と。


。。・°°・°°・。。・°°・°°・。。・°°・°°・。。


子ども達とのアートな時間

大人達とのたわいもない話


結局 なんでも 人のすることだから

人としてはフラットでいい


子どもだからとか 大人だからとか

親子だから 役割があるから


ま、あるにはあるけど

それも

持ちつ持たれつでいいのかも

って

話したりした。


見立てる

アートには【見立て】という抽象がある。

雲をみて クジラにみえたり

絵の具の染みを見て 動物を見たり

見立てに正解はない。

それ自体は 本来 ただの雲や染みだから。


そこに 意味や意図を含ませてきたのが

文化だと思う。


日本の〇〇道には 特にこれが多い。

所作は所作だけど 

そこに 歓迎や礼や尊敬を 加えると

所作も 相手に対して変わる

寄り添いすぎない フィット感




ある程度 

それ以上は 突き詰めたり にじり寄ったり

は しない


感覚で捉える

目の前に出されたもの

漂う雰囲気

あるもので 料理する

名前やレシピは なけりゃなくていいみたいな


グリップ

掴む部分 肝は 大事

でも 細部は アメーバ 漂っていていい


全く逆 ズレ それはあそび

どう乗りこなすか?が おもしろい。


絵の具が 混ざったとき

出る色が なんかキレイ

カタチが おもしろい

風合いが エモーショナル

わからんは 余白のままで ステキ

ま、いいやん、😉も 楽しい



なかなか

このバランスで 相乗りしてくれる人は

今まで いなかったけど


最近、割といることが わかった。


子ども達も アーティストさんも

仕事も 友達や仲間達にも

ライフワークにも


きっと フラットな 認め合い


なんかなー


そして 

ちがうことに 悩みすぎない 寛容さ


親子であっても

そのうちできる を 急がない

まあ できないやろ を 突き詰めない


今 楽しくできることを 受けて

フラットに あそぶ


アートにも 人生にも きっと恋にも

痺れる ほんの少しの神経毒が 潜んでいて

無邪気な子ども達は 特に 

私をたまらなくさせる

きっと 戯れ 

それでも いい 私の世界