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親切とは、




親を切ると書く。



∑(°∀° )



nat!



コピペ⤵︎ ⤵︎

>という漢字を解体すると、『木』+『立』+『見』 になりますよね?
なりません。
「親」という字に「立(りつ)」は含まれていません。
「親」という字は、右旁の「」が意味のカテゴリーを示し、
左旁の[辛+木]は「シン」という字音を表す発音記号です(*)。

もともとの意味は“対象に近づいて見る”です。
そこから“近づく”、“近い”、さらに“親しむ”、“親しい”となります。
市村正親さんの名は「まさちか」と読みますね。
昔の人で北畠親房(~ちかふさ)もあります。

“他人に任せず、自分で対象に近づいて処理する”ということから、「みずから」という意味に使うようになりました。
「親展」の「親」はこれです。

自分に「近い」ものは親類ですから、親類のことを「親(しん)」と言うようになりました。
「大義 親(しん)を滅す」の「親」はこの意味です。

さらに親族の中の「父親」「母親」を指す用法が生まれました。

というわけで、「親」という字が出来たとき“おや”という意味はなかったのですから、“…子どもを見る”などという解説は意味をなしません。


(*)
「親」という字の左旁は[辛]+[木]ですが (『朝日新聞』の題字の「新」の左旁参照)、
「辛」という字の第一画は、本来は短い横棒です。

「立(りつ)」という字の[一]の上に乗っかっているのは、「大小」の「大」です。
それが「立」の形になるのは、「奇」が「竒」になり、「崎」が「﨑」になるのと同じです。

明朝体、それも常用漢字の新字体から、字源を論じることはどだい無理です。
漢和辞典を御覧下さい。
たとえば、「界」の上、「佃」の右は田畑の「田」ですが、「思」の上、「細」の右は全然別のもので、赤ちゃんの“ひよめき”です。
本来「囟」であったものが崩れて「田」の形になってしまったものです。






ホーーー( ˙◊˙ )。


そうだったんだ~。


てか、昔の人の物事を見る目というのは実に繊細極まりないよね。


切 「きる」から身近にって、
言われてみれば直にあてないと、くっつく程近づかないと切れないものね。


何よりも身近にあって初めて切れるんだね。


(゜ё゜)フカイ〜





てか、ネタから離れつつありますので、この辺で時を戻そう♪ 


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あなたが感じた親切?



そうだな…。



前記に異なるけど、



誰に言われるでもなく、恩を着せるでもなく毎週2回のゴミ置き場の網を片付けてくれる近所の人の親切とか、



「駅まで行くけど何か買ってくるものある?」



って、私やおばあちゃんに聞いてくれる娘の優しさとか。



やっぱ、言われなくてもやる行為(好意)が「親切」だよね。









フム((¯ω¯*))フム