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【当ブログはすべてフィクションであり、実在する一切の団体、人物等と全く関係ありません。】


<私が属している☓☓☓教では、私たち信者は
 はるか数千年前にイスラエルから東に逃れてきた古代ユダヤ民族の末裔で、

 特別な使命を持っている、と教えられています。
 その使命が☓☓☓教を信じ、広めることだというのですが、そんなことってあるのでしょうか。 >
 
ーーどくとるG、これは『選民思想』というやつですね。
 
ーー自分たちを「特別な存在」と思いたいのぢゃな。
「平々凡々たる自分」に対する
「劣等感」
の裏返しぢゃ。
 
何度もいっているが、
「欠乏感」
「劣等感」
につけ入るのが“彼ら”の得意技ぢゃからな。
 
とはいえ、古代ユダヤ民族うんぬんというのは、ワシは肯定も否定もしない。
大昔の日本には西から、南から、場合によっては北からも人が渡ってきたようぢゃ。
 
その中に古代ユダヤ人がおったとしても別に不思議な事はないし、
テレビのオカルト番組で垂れ流される
「日本ユダヤ同祖論」
も、偶然にしては一致点が多くて興味深い。娯楽としては面白いと思うな。
 
さて、そんなわけで仮にあなたにも古代ユダヤ民族の血が流れているとして、
 
「だからどうした」
という話ぢゃ。
 
支配者層になれるのか?
大金持ちになれるのか?
非ユダヤにはとうてい理解できない特別な教義を理解して、高次元にアセンションできるのか?
 
ぜ~んぶ、「劣等感」の裏返しぢゃろ?
 
ひと皮むけば、
「自分(信者)たちだけが美味しい思いができますよ」
という話なのぢゃ。


それにウットリしている自分を、信者たちを客観的に見てごらん。
まともな感性の持ち主なら、醒めると思うよ。
 
原始仏典のことばを贈ろう。
現在では大小さまざまな宗派に分かれている仏教だが、

その開祖であるお釈迦様の言葉のオリジナルと言われておる。
 
『生まれによってバラモンになるのではない。行いによってバラモンになるのだ。』
 
バラモンというのは、当時のインドで宗教と政治、経済を支配していた階層。
いわばスーパー貴族ぢゃ。
世襲制で、血族以外はバラモンになれない。
逆にどんなバカでも、人でなしでも、血族ならばバラモンになってしまう。
 
お釈迦様の言葉の意味は、カースト(身分)制度の批判ではない。
真理を探求し、慈悲を実践する者に大切なのは血だの民族だのではなく、
その人が生きる姿勢だ、と説いたのぢゃ。
 
古代ユダヤ民族がどれだけすばらしいか知らんが、
 
「古代ユダヤ民族だからすばらしい貴方」
と、
「すばらしい貴方が古代ユダヤ民族」
との間には、天と地の差があると思うよ。
 
--『選民思想』という毒酒に酔った人が、ひいては国までもが滅びる歴史を、
人類は経験してきましたよね。
そんな毒酒を平然とふるまう人や宗教には、何か魂胆があると警戒する必要がありますね。