1日の朝の記事をみて 思いました
(因みにあのタイトルはオリジナルを変更して私が考えました)
個人を強くする仕組みってなかなか無いのかなと
私個人の今までを考えてみると
生まれた時から 新興宗教を親が信仰していて
その教えが
まずひとさま 親孝行 先祖供養
だったのです
物心ついたときから 自分は人と違う 普通ではない と思い 人の陰に隠れている子でした
カルトとは言えない ライトな宗教でしたが どこかで自分を否定するようになっていたかもしれません
今では死んだ祖先を拝んで読経しても 何にもならないと思っています
それはそこで少しキツイ修行をしたのです
だから気づきました
修行しても何もなかったです
ただ自分なりに傷ついただけでした
生まれて何10年もたってから やっとやめる決意をして 今年やめたばかりです
思えばミロスという奇妙なスピリチュアルまがいのものに引っ掛かったのも その土台が自分にあったのだと思います
目に見えないものを信じるというね
宗教をがんばってやってる時は 家族の言うことは耳に入りませんでした
自分は家族の幸せの為に苦労してやっているという気持ちでした
誰が自分の為にいろいろしてくれているか?
親はいろいろしてきてくれたので 生きているうちに 優しい言葉をかけたり 行楽に行ったり 美味しい食事を一緒に楽しんだりして 恩返ししたい
宗教の人よりは やっぱり家族
一番は夫にお世話になっているでしょう
なので家族の笑顔をふやす事をしようと思っています
真剣に修行して 傷ついてやっとそんな気持ちになれました
ミロスを家族に反対されている皆さま
反対するには反対するだけの理由があるのですよ
それを押し切って セミナーに来させている講師さん
家庭の平和って何でしょうか?
それを踏みにじっての絶対平和って何?
と思うわけです