日々の日常の中で
必ず1回は
あの巡礼の日のことを思い出す





カミーノは帰ってきてから
その経験の偉大さに
気がつくのかと思っていたけれど

ふと、彼とカミーノについて
語っていたら


実はこうなんじゃないか、という
結論に落ち着いた


そのことを綴ろうと思う
と、その前に
ちょっとカミーノでの経験を。


カミーノ(巡礼)では
毎日
来る日も来る日も
シンプルな生活をする
それは自分の体とカバン1つで
生きていくということ


今日行きたいと思った街まで
ひたすらに歩き
疲れたら
目に留まったカフェで休憩をする



たまにその場で出会った人と
ご飯を共にしたり
一緒に歩きながら
お互いの話をしたりする



そして街についたら
その日泊まろうと決めた宿を探す

そしてチェックインをして
ベッドの位置を決め
早速シャワーに入る

寝床を決め
バックパックを降ろした時の
安堵感



あぁ、今日も歩ききったんだ。
頑張ったぞ、自分。

なんて自負したり

そして、シャワーを浴びた瞬間の
その日の疲労を
そのまま汗と共に洗い流してくれる
あの、快楽

さらに手洗いで洗濯をする
今日一日共に過ごした
服に感謝を伝える
丁寧に、丁寧に
泥を落としていく



そしてスーパーに出かけ
体のことを考えながら
食材を必要な分だけ
購入する

たくさん持つと
後に自分が苦しい思いをするから
その日必要な分だけ
厳選して買う

そして1日歩ききった自分を讃え
明日へのエネルギーを補給する


一人で食べる日もあれば
仲間と食べる日もある

決めるのは全て自分次第


そうやって大切な一日一日を
終えて行く。


シンプルなのに
ひとつひとつに意味があり
ひとつひとつに心を込めて
生きる

シンプルに、生きる。

しかし
シンプルに生きていても
雨の降る日もあるし
風の日も
霧の日もある


頑張っても
怪我をしたり
体調を崩したりする日もある

どんな人だって
どんなに強くたって

やっぱり人は
完璧じゃない


でも、だからこそ
泥臭く生きていくんだと思う

時に助け合って
励ましあって生きていく

カミーノではそれら
たくさんのことを経験する
まるで人生の縮図のようである




さて、前置きが長くなったが
ここまで話してきて
結局二人でどういう結論となったのか、

















''カミーノから帰ってきてから
よりカミーノの偉大さに気づく''

ということだが、


何故か考えていくと




それは、





頭の中で整理する時間があるからだと思う


終えたばかりのあの頃は
必死過ぎて
たくさんのこと(経験)が起こり過ぎて
整理できていなかった


しかし、一年以上経った今
ひとつ1つをゆっくり
安心して思い返すことができる


あの出来事は
あぁだったんじゃないか
こういう意味があったんじゃないかと
様々な角度から
思考することができる


だから、日が経つほど偉大さに気付くと
思ったんだと思う


しかし、どうだろうか



日々の生活は
偉大じゃないのか?








そんなことない







日々の生活だって
本当は偉大で
かけがえのないもので

ちゃんと生きている




じゃあ何故私たちは
日常に埋もれてしまうのか
潰れてしまうのか



それは世の中が豊かゆえに
様々な出来事が
どんどん上乗せされているからだと思う


根幹は
カミーノと同じ

しかし
カミーノみたいに
必死にならなくても
どこにでもいけるし
なんでも食べられるし
カバンはひとつじゃなくてもいい

日常では
''取捨選択する''必要が低いから
だんだんと埋もれていき
見えづらくなってしまう


本当はカミーノと何も変わらない

カミーノは生き方がシンプルが故
わかりやすかっただけなんだ


辛いことも
楽しいことも
痛みも
快楽も
わかりやすかった


ならば
日々の生活をもっとシンプルに
考えて行ければ
ひとつひとつの行動に
意味を持たせられれば

偉大になるのではないだろうか、と。



幸いにも私は
カミーノでとても大きな出会いがあった

きっと同じように
考え生きていくことができる人

シンプルな体験をしたからこそ
応用編のようなこの日常も

ワクワクしながら
生きていくことができる人





カミーノを通して
''気付く'' ''考える"ことができるから


今も楽しい


これからも楽しめる



だから埋もれずに
自分に負けずに生きていける



ただ、たまに疲れちゃうから

そこは助け合おう
そしていつまでも旅して
ワクワクしよう



それが私たちが出した
結論だった


…気がする。笑