先行するビジネスモデルがある。野球だ。野球もまた育てるよりも刈り取ることを優先して滅びつつある。地上波の全国放送がなくなり、もはや有名選手は引退間近か引退済みとなった。誰がエースで誰が4番かなど人々の記憶の片隅にも無い。若い子の中で、野球のルールを知らない者が増えたが、彼らはバットの振り方も、グローブの扱い方も知らない。昔の子はメンバーが足りないからと強引に誘われても、野球を理解していない子などどこにもいなかった。今や野球はマイナースポーツへの道をたどりつつある。
この自動車に先行するモデルは、かつてあった「あたりまえ」を換金することで成り立っていた。適度な刈り取りで満足していれば、植えることまでしなくても、刈り取られる者は勝手に自生してくれた。ある時、欲ボケした誰かが、自生では再生産できない閾値を乗り越えて刈り取り始めた。野球は今では植えなければ生えないビジネスになった。口を開けて待っていては餓死する。そして今、自動車がそのフィールドに自ら踏み込んている。
クルマ文化の最期の担い手である老人が死に絶えれば、自動車は単なる移動手段のひとつとなって、購入を単なるコストとして、運転を労役として考える大多数の人が、どうしても車でしか行けない場所への移動を、その頻度と支出だけを判断基準として、所有か賃貸かタクシーかを選ぶだけの時代が来るだろう。
フォードは社員の給与を引き上げるだけでなく、鉄道会社を買って不便な乗り物とし、政治に働きかけて、ガソリン価格の抑制と高速道路網の構築と一般道の舗装を行わせた。免許の取得を簡単なままで据え置かせた。日本の自動車会社は金を囲い込んだまま、ノスタルジーに訴えるCMを繰り返すだけだ。
この国では自動車の復活はもう無い。