日本は来たるべきカタストロフィの日に備えるべき | 率直な意見。

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一度滅びた文明は二度と興らないと言われているが、日本は何度か焦土から復活している。マイナスからのスタートは直近では1945年に経験した。第二次大戦で有為な若者の多くが死に、復活を妨害する策を掻い潜って、出涸らしの人材でこの国は復活した。しかし現在、官僚組織や既得権益など様々な社会の澱が積もって、この国の国力を削いでいる。団塊の多くが死に絶える頃までにこの国の国富の多くは食い潰され、多額の借金を海外に負ってしまうのではないかと思う。日本の国富は減ったと言ってもまだまだ食べ応えがある。貿易や経済政策などで人の良い日本人はたくさん騙されるだろう。しかし考えて見れば、どん底に落ちて初めてこの国は目覚める。進んで落ちる必要は無いが、落ちても構わない。日本人の淳良さ、勤勉さは日本人の価値観に根ざした文化である。決して滅びるものではない。
落ちたときに必要なのは、自分を信じる気持ちだ。日本人は敗戦で最も大きなものを失った。それは自分を信じる気持ちだ。しかしこれも心配することはない。気高い先人の事績が日本人の気持ちを支えるだろう。いま備えるべきは、奪われた記憶の回復だ。戦後日本人はダメな民族であるという教育を徹底的に受けてきた。教育によって飼い慣らそうというアメリカの意図はよくわかる。そしてそれはかなりの部分成功した。日本人を卑屈にさせ、コンプレックスに苛ませるという教育は、この国が元々持っている謙譲の美徳と相性が良かった。しかし世界で最も古い国の全ての記憶を消し去ることは出来なかったようだ。
アメリカが黒く塗りつぶしたのは教科書だけではない。多くの歴史が封印され、日本人が触れられないところに追いやられた。仮名遣いを改め、文字を左から右に書かせる、出版社に左翼を集め、多くの古典、文献を絶版にする、歴史の教科書の半分を戦中、戦後に当てるなど、古い記憶、歴史、文献を遠ざけるための様々な工夫がなされた。しかし弾圧からこぼれた数少ない痕跡から日本人は自分の歴史を取り戻しつつある。それらの歴史を紐解き、自分を正しく理解することが、この国の立ち直りには必要だ。思い上がるのでは無く、自分たちの過去と成り立ちを理解することが必要だ。
日本人は宗教観を持つが、宗教性を棚上げする合理性を一方で持つ。好奇心と探求心が旺盛で、時に資本主義を忘れてしまう。倫理を守って死ぬものと、一時的に棚上げして社会を進めるものが共存し、共に価値を認め合いながら己の一分を守る厳格さと寛容さがある。それぞれの価値観を守りつつ多様性を許容し、相互理解をギリギリまで詰めていくのは日本人の本質だ。最初の成文法である十七条憲法の第一条に「和を以て貴しと為す」とあるが、法治でも人治でもなく、コンセンサス=納得だというのが日本人の価値観だ。この価値観を様々なところで証明している事績を多く集め、様々な変わり者を社会が許容し、変わり者の多くが一般の人に迷惑を掛けながら死んでいく中で、ごくわずかの変わり者がこの国の根本を変えていく。存続のために多様性を担保しようとする遺伝子と我々の価値観は似ている。シルクロードの末端で様々な人種、思想、宗教をできるだけ拒絶せず、取り込んでしまうこの国の事績を、できるだけ多く学ぶことによって、寛容さ、柔軟性、勤勉さ、好奇心、合理性、コンセンサスなどについて、もっと深い理解を促すべきだ。
ワンピースというマンガが日本で生まれたのは興味深い。対立する価値観と多様性を磨り潰すでもなく、対立を強引に封殺するわけでもなく、多数決で決することもなく、相互の信頼と納得で乗り切るというのは極めて日本人らしい。そういう気質を持った人々が、過去から現在まで何を為したかを知ることが、この国を蘇らせる力だ。力のある者だけでなく、ニートすらこの国には必要だ。全ての成員のコンセンサスを得て、この国を進めていく気持ちを取り戻して欲しいと願う。記憶を取り戻し、時には新しい物語を紡いで、日本人は来るべき破局に備えるべきだ。