立命館大学経済学部5年生になった、我が愛しき次男坊。


いまや就活の最盛期を迎えようとしているのに…


民間企業の就活をしている気配もなく…


かといって、昨年は全敗に終わった公務員試験の…リベンジに燃えてる風でもなく…


時々、夕方の2〜3時間くらいを…カフェにでも勉強しに行ってるのかなぁ


程度の雰囲気しか漂わせていない彼。


果たして彼は余裕なのだろうか?


しかし最近の彼には、いくつかの変化が見られるようになってきた。


一つ目は…


めっきり彼女とデートしなくなった…ということ。


最後にデートしたのは、私が観察する限りゴールデンウィークだったように思う。


そりゃ彼女の方は…


今年の春に大学を卒業し、新入社員として忙しく働いている訳だから…


そこには致し方ないところも多分にあろう。


そう、ヒマな学生を相手にする余裕なんてない…ってことだ。


そして二つ目は…


夕御飯を私たちと一緒に食べることが、殆どなくなってしまったことだ。


以前ならば…


彼女とのデートの予定や、友だちと遊ぶなどの予定がなく…家にいる場合は必ずと言って良いほど…


私たちと夕食を共にしていた。


それが最近では…彼が家にいる時でも決まって


私たちが食べ終わった後、暫くしてから夕食をトレーに乗せて自室へと持って行き…そこで独りで食べるようになってしまったのである。


まるで私たちを避けるかのように。


だから、以前みたいに食事をしながら近況について話したりとか…そういう機会が最近はめっきり失われてしまったのだった。


さらに三つ目は…


酒量が増えたように思える…ということ。


もともと飲むのが好きな我が次男坊ではあるし…日曜日などは私も彼用の缶チューハイを買って来てあげるのが恒例ではあるのだが…


それにしても最近は…


毎日のようにストロング系の缶チューハイ500ccを、2〜3本はコンスタントに飲んでいる印象だ。


ビール好きの私から見ても、「ちょっと飲み過ぎじゃない?」って感じるくらいなのだから。


さて…


以上のようないくつかの変化を感じ取っていた私は、当然のことながら…


「あぁ…ヤツは何かしら良くない方向に進んでるんだなぁ」


そう感じていた。


でも、今年の夏には23歳になろうかという男子を掴まえて…あれこれと口を出すのは私自身の善に反するし…


結局…色々と思うところはありながらも、ただただ黙って彼を観察していたのである。


しかし世の摂理として…こういう時には大抵


何かしらの起爆装置が作動するものなのだ。


案の定…つい先日の昼間


いつも次月分の小遣いを前借りしながら暮らしている、慢性的な金欠の次男坊が…


「常に前借り状態のくせに、平気な顔をし続けているヤツのルーズさが許せない!」


そう強く憤りを感じている我が妻、に対して…無謀にも


「あのさぁ、3万円…貸してくれへん?」


と…頼んだのである。


どう考えてもこれは、妻の起爆装置を作動させるのに十分な発言であろう。


聞けば…


ペイペイのアプリにある借金の機能(スマホ決済を使用しない私には詳細が分からないのだが)を利用して、3万円を借りていたとのことだ。


その借金を返済する期限が間近になったものの、しかし当然彼の手元に3万円なんて現金が存在する訳はないから…


その3万円を貸してくれ…我が妻にそう頼んだらしい。


そこで、当然ながら内心キレてしまった…我が妻は…


「あんたちょっと、とりあえずそこに座りなさい」


と言って…「最近、色々とおかしくない?」と


お金のこと、就活のこと、アルコールのこと、付き合ってる彼女のこと…


ここぞとばかりに、尋問を始めたのであった。


さて、その尋問の成果については…


その日の夕方に仕事から帰宅した私が、妻からたっぷりと聞かされた…ということは言うまでもなかろう。


そして私が帰宅した時には既に、次男坊は妻から受け取った3万円を手に…借金の返済へと出かけていたのだった。


いやぁ、しかし…


さすがの私も今回ばかりは、堪忍袋の緒が切れてしまった。


その最大の要因は、何よりもやはり…


長年に渡って続く小遣いの前借りに加え、ペイペイからも借金する…


さらにはその借金を返せないから、また親に借金をする…という


平気で借金を重ねる根性が、何とも許せないのだ。


そう…


金がないから借りる…


その借りた金を返せないから、また借りる。


金にルーズな人間は、必ずと言って良いほど借金に借金を重ね…いずれ首が回らなくなってしまうのが世の常なのだから。


しかも今回…


その私がキレる伏線として、実は…つい数日前に、別の大きな問題が発生していたのだ。


それは…


部屋で酒を飲んでいた次男坊が、飲み足りなかったのか…飲酒運転でコンビニまで酒を買い足しに行った…


という大問題。


これは完全にアル中の行動であり、そこで車をぶつけて飲酒運転が発覚する…なんてニュースは、世間でしょっちゅう目にするではないか!


なんてこった!


早寝の私はその問題発生時、寝室で爆睡していたのだが…


「あれっ、お酒を飲んでるはずなのに車で出かけていった」


と、夜中に気づいた妻が…コンビニから帰ってきた次男坊を問い詰めて


その罪を認めた次男坊は…


「もう二度としない」


と、正直あまり信用出来なさそうな約束をすることで…一件落着をみた(?)という何とも情けないエピソードなのであった。


私だって翌朝これを妻から聞いた時には…さすがに


瞬間的に怒りの沸点まで到達しそうになった、というのは間違いないのだが…


そこで深呼吸を繰り返し、何とか精神に再び静寂を取り戻した…という経緯がある。


ではこの時なぜ…


私が怒りを表出せずに、それを飲み込んで耐えたかというと…


私が若かった時代の空気感が…現在とは異なり様々な面でユルかったとはいえ…


私も彼くらいの時分には、しょっちゅう飲酒運転をしていた…という事実があるからなのである。


そう…やはり私には


自分自身が過去にやっていたことを棚に上げてまで、それを子どもには禁ずる…という行為が、どうしても出来ないのであった。


だからその時には…


次男坊の「もう二度としない」という言葉を信じる訳ではないが、敢えて何も言わずにいよう…という道を選択したのである。


その代わり…


日曜日に次男坊の缶チューハイを買って帰る…という習慣を、その時からきっぱりとやめたのであった。


そういう私の変化に、果たして彼が気づいたのかどうかについては…私には知る由もない。


さて…そんな次男坊の飲酒運転という伏線がありつつ


今回発生した、借金に借金を重ねているという由々しき問題。


しかし正直、この借金問題についても…この私には…


次男坊に対してエラそうに説教をする資格なんぞないのである。


だってこれまでの人生において…もちろんそれは今に至るまでの話だが…


私は貯金というもの自体をしたことがないし、常にいくつかの借金を同時進行で抱えながら…生きてきたという確固たる事実があるのだから。


実際に今だって…


大きな住宅ローンを1つと、あとは小さなローンをもう1つ抱えている…という状況である。


そう、考えてみれば…飲酒運転の問題にしたって借金の問題にしたって


到底私には、次男坊を説教する権限などないのかもしれない。


でもここはやはり…父親として一度彼に言わなければならないだろう。


それがたとえ、私自身のことを棚に上げることになったとしても。


しかもこれらの問題に加えて、彼には…ギャンブル癖という由々しき問題もある。


現に妻の話では…


ペイペイの借金を返すための3万円をさっき渡したら、それを持って出かけたまま長時間家に帰ってこない…とのことだ。


返済手続きをするだけなら、とっくに帰っていてもおかしくないはずなのに…


「もしかしたら、その3万円をパチンコで増やそうとでもしてるんじゃないか?」


妻はそんなことを言うのである。


うーん、それはさすがに考え過ぎじゃないかと思うのだが…彼ならば決してあり得ない話ではないのも確かだ。


まあでも正直そこまで行ってしまえば…最早そんな時は


「ヤツは人間として終わってるよね」


という話にならざるを得ないだろう。


いやそれにしても…冗談抜きで


リアルにそんな「終わってそう」な次男坊だからこそ、私の中にもある種の危機感が頭をもたげてくるのだ。


ヤバい、ここは私が動かなければ!


そう思った私は、次男坊に…とりあえず


「いますぐ帰ってこい!」


と、LINEのメッセージを送ったのであった。


ここは一度、腹を割って話し合わなければなるまい。


借金のこと、アルコールのことはもちろん…就活のことについても…


そして緊急帰宅命令の後、そんな彼が家に帰ってくるまでの間…


私は妻から、次男坊の詳細な近況…


特に、付き合ってる彼女のことや就活の現況について…


話し合いの前の予備知識として、改めて色々と話を聞いたのである。


すると、やはり予想通り…


彼女とはまだ別れてはいないものの、どうやらうまくいっていないらしい…という話だ。


まあ、そりゃそうだろう。


ひとたび新入社員として仕事を始めたら、その世界ではあくまでも…仕事ができる人こそが正義なのである。


だから仕事の出来る優しい先輩とかが、スゴく眩しく見えてしまったりなんかするのは…至って当然のことだ。


かたや彼氏である我が次男坊はと言えば、無責任な学生として日々を怠惰に過ごしている。


その差はどう見ても歴然…月とスッポンである。


もし、その優しくてカッコいい先輩が本気になれば…彼女なんて、いとも簡単に奪われてしまうことだろう。


実際に私の医学生時代だって…


大学5年生の9月から、ポリクリと呼ばれる大学病院での臨床実習が始まるのだが…そこでは様々な診療科を、それぞれ1〜2週間ずつローテーションして実習を行う。


そしてこの実習の際には、各科の若手医師が学生の指導をしてくれることが多い。


実はこの若手医師…というのがクセ者であり、学生から見ると凄くカッコよく見えてしまうのだ。


特に、彼らが処置や手術を行っているところ…などを見てしまうと余計に


だからこのポリクリが始まると…5年生や6年生の同級生同士で付き合っている、学生カップルの間では…


その彼女の方を、指導してくれる若手男性医師によって奪われてしまう…という事件が頻発するのである。


たかだか各診療科の医師とは、せいぜい1〜2週間という短い期間しか接してないのにも関わらず。


事実そんな私の学年でも、これにより二組のカップルが破綻してしまったのだ。


それにしても…


私の学年は一学年100人いて、そのうち女子が25人しかいない…


その少ない女子の中でも、同級生同士でカップルを形成している人なんて…ごく一部に過ぎないから


そこから二人の女子が奪われてしまうというのは、結構な確率と言っても良いだろう。


しかもそのうち一組は、不幸にも私の親友のカップルであり…


その後の親友の落ち込み度合いは、とてもではないが正視できるものではなかった。


所詮…


たとえ5年近くの長い時間をラブラブで付き合ったとしても、たった1〜2週間くらいの実習期間で…呆気なく持っていかれてしまうのがこの世の現実なのである。


よって…話を我が次男坊に戻してみても…


たとえ学生時代の4年間を仲睦まじく過ごしたところで、そんなものは一瞬にして吹き飛んでしまう。


そう…


私は自分自身の経験を踏まえ…


「ヤツも多分、そういう目に遭うんだろうなぁ」


と、悲観せざるを得ないのであった。


さて一方、彼の就活に関しては…というと


こちらも相当な重症らしい。


結論から言えば…


「もう、自分はどうしたら良いか分からない」


という感じらしいのだ。


さらに最近では…


就活や将来のことを考えると、夜も眠れなくなってしまい…


「寝るために酒を飲む」


という習慣になってしまった…とのことだ。


だから最近は酒量が増えて、飲酒運転までしてしまう羽目になったのだ…と、私は腑に落ちた。


それにしても…


正直、この就活の話を妻から聞いた時が…


私にとって最も大きな精神的衝撃を受けた瞬間である…そう断言しても良かろう。


だって…


「ヤツはいつの間に、そんなところまで行ってしまったんだ?」


と、私の想像を遥かに超えて…


こりゃもう、世間で言うところの…いわゆる「就活うつ」そのものじゃないか!


と…


うーん、心底かなりのショックであった。


そう…


これはもう完全に、人間として「壊れかけ」の状態である。


正直、私は舐めていた…簡単に言ってしまえば


今までの私は…


「ウチの子らは、そんなヤワな人間じゃないだろう」


そんなふうに高を括っていたのである。


「たとえどんなストレスフルな状況であっても、ヤツらはきっとそれに対処出来るであろう」


当たり前のようにそう思っていた。


ただ…勘違いして欲しくないのが


この「対処出来る」というのは別に、彼らが優秀であるとか、能力があるとか…


あらゆる困難を乗り越えていけるような人間である…とかいう意味ではなく


「このストレスフルな状況が、果たして自分にクリア出来るものなのか…あるいは到底クリア出来そうにないから、ここは尻尾を巻いて逃げ出すべきものなのか…」


そこを正確に見極めることが出来る…ということを意味するのだ。


私はこの「己を知ること」…


そして「己の能力」を踏まえ、自らが「ここで進むべきなのか、あるいは退くべきなのかを正しく判断すること」…


これこそを最も大切にし、これまでの人生を生きてきた…という自負がある。


そしてこの生き方が正しかったのだ、ということを経験的に私は十分理解しているし…


その血が、我が子らにも自動的に受け継がれているものだとばかり…正直思っていた。


私が何も言わなくたって、ヤツらも自然にそういう生き方が出来るようになるだろう…と。


しかし…


「もしかしたら、そうじゃなかったのかもしれない」


と…今回


この次男坊の就活に関する苦境を妻から聞かされた時、私は自らが大きな勘違いしている可能性があることを…強く思い知らされたのである。


もちろん、そればかりはまだ分からない。


我が次男坊だって…


仮に私がこのまま彼を放っておいたとしても、もしかしたら現在の苦境を自力でクリアしていくのかもしれない訳だし…


でも、たとえそうだったとしても…


何となく…


今回は父親として、彼に何かしらの言葉をかけるべきタイミングなのではなかろうか…


私は率直にそう思ったのだった。


そして、そんな時ちょうど…我が次男坊が


気まずそうな表情を浮かべながら、我が家へと帰ってきたのである。


とりあえず私は…


「まあ、そこに座ってよ」


と、ダイニングテーブルの向かい側に彼を座らせ…話を始めた。


今回私が彼に話さなければならないテーマは、2つに絞られる。


一つ目は、「借金、アルコール」について…


二つ目は、「就活」について…


三つ目の「彼女」については…確かに凄く気にはなるものの、そこは私が関与すべき問題ではないだろう…だから今回は割愛する。


さて…


一つ目の「借金、アルコール」については…


とりあえず「俺自身も常に借金まみれだし、知っての通りアルコールが大好きだし、お前にエラそうなことを言える筋合いではないんだけど…」


と、前置きした上で…


「社会に出ると、生きていく上では信用というものが…何よりも大切なんだ」


という観点で話をした。


たとえお酒を飲んでも…


当然、飲酒運転なんかはしないし…


他人に迷惑をかけるような飲み方もしない。


たとえ借金をするとしても…


自分が返済出来ないような額の借金はしないし…


もし借金しても、期日までにキッチリと返済する。


まあ、これらは至って当たり前のことではあるのだが…


借金やアルコールの問題に限らず、若い時というのは得てして当たり前のことが出来ない…


というのも、ある意味この世の真実と言えよう。


かつての私がそうであったように。


そしてまた…意外にも


たとえ大人になっても、社会人になっても、当たり前のことを当たり前のように出来ない人たちが…


この世には結構いるもんだな…ということも今の私はよく知っているのだった。


なおかつそういう人たちが、社会においては決して信用されないんだ…ということも。


だから…我が次男坊には


当たり前のことを当たり前のようにやり…


それによって「この人は至って普通の人なんだ」…と誰からも思われ


そこから得られる、当たり前の「信用」を積み重ねていって欲しい。


ひいてはそれが…


自分のやりたいことをやったり、好きな道を歩んだり…最終的には真の「自由」を手に入れることに繋がるのだと…


確かに…


一見、世間の「当たり前」に従って生きることは、「自由」ではなく「束縛」されているように思われるかもしれないが…


決してそうではなく…


この人間社会に生きる以上…


当たり前のことを当たり前にやるという「信用」があってこそ、真の「自由」を手に入れることが出来るのだ…


そういう、人の世を生きる上での…普遍の真理に気づいて欲しい。


そんな切なる私の思いを、彼には伝えたのだった。


さて…


二つ目の「就活」については…


彼の現況を見て私が思うに…


おそらく彼は現在…


「パニック」と「フリーズ」…を同時に起こしてしまっている状態なのだろう…


私にはそんな気がする。


その要因としては…以下のようなものが挙げられよう


(1)昨年の公務員試験を、あまり勉強しないまま受験して全敗し…


今年も受験するつもりではいるのだが、かといってあまり勉強にも身が入らず…


当然、合格する自信もあまり持てない…


という不安な状況にいる自分自身。


(2)昨年とは異なり、今年は公務員試験と同時進行で民間企業の就活も進めていこうと思い…


とりあえず名のある企業に、いくつかエントリーシートを送ってはみたものの…


まるで無視されているかのように「梨の礫」であり…そこから話が先に進まない


もしかして、自分は世の中に必要とされていないのではないか?と疑心暗鬼に陥ってしまい…


だからこれ以上、民間企業の就活を進めていく気力の湧かない自分自身。


(3)中高時代に仲の良かった友人たちは、当たり前のように有名企業へ就職したり、公認会計士の資格を取得したり…


何事もうまく行っていない自分と比べて、とても眩しく見えてしまい…


あまりにも惨めに感じられてしまう自らの現況。


(4)公務員試験のため、予備校代金46万円を親に出資してもらったのに…


公務員試験には全敗してしまい…


なおかつ一年留年することにしたため…


大学の学費50万円を、さらに余分に出資してもらわなければならなくなり…


それに対する申し訳なさとか、惨めさとか…そういったものを感じざるを得ない自分自身の立場。


(5)付き合っている彼女はひと足早く就職し、社会人として日々を頑張っているのに…


かたや何事もうまく行かずに、燻り続けている自分…


そんなお互いの立場を比較することで、残酷なまでに浮かび上がってしまう…


言いようのないほど、惨めな自分自身の姿。


まあ、こんなところになろうか。


でもある意味これは、世間的には至ってありきたりな状況…とも言えるだろう。


よくあるパターン…と言ってしまっても良いかもしれない。


「あぁ、ヤツも普通の大学生だったんだ!」


と…こんな私もある意味安心してしまうくらいである。


そう…


とにかく…彼の身の回りには


うまく行かない要素が、あまりにもたくさんあり過ぎて…


それに囲まれた彼は、とりあえず「パニック」に陥ってしまい…


そこから抜け出す方法…それすら自身で見出すことが全く出来ないから…


結局身動きが全く取れずに、「フリーズ」してしまっている…という悲しい状況。


だから…


こんな時に、父親として私がしなければならないことは、たった一つしかないのである。


そう…


物事をシンプルに捉えること…


これしかなかろう。


そこで私は…


最も単純で、当たり前のこと…なおかつ私が最も伝えたいこと…それを彼に伝えたのだった。


「自分の力で稼いだ金で、この世を何とか生き抜いて行くこと…人生というのはそれが全てなんだ」


…と。


自分の職業が…たとえば公務員とか、会社員とか、医師とか…


そんなことは関係ない。


自分の勤めてる会社が…大企業とか、中小企業とか、有名企業とか、無名企業とか…


そんなことも関係ない。


兎にも角にも、どこかに就職して、仕事して金を貰って…それで何とか生きて行くしか道はないんだよ!


そう…


私にとっては当たり前の事実を…力を込めて我が次男坊に伝えたのである。


まあ確かに…


昔から彼は、少し「ええカッコしい」のところがあるし…


世間体とか、見てくれとか、プライドとか…そういうフィルターを通して、世の中を見ているところはきっと今もあるのだろう。


だから、もしかしたら…


医師である私や、京大に行った兄や…


はたまた…


世間的に良いとされるところに就職した友人たちや…


そういった身近な存在と自身とを比較して…コンプレックスを抱いてしまうようなことが、どうしてもあるのかもしれない。


「自分は出来の悪い息子と思われてるんじゃないか?」とか…


「自分は親の期待に応えられてないんじゃないか?」とか…


「自分はしょうもないやつと、友人から思われてるんじゃないか?」とか…


そういう被害妄想的なものを、内面に抱えながら…


公務員試験もうまくいかないし…


就活もうまくいかないし…


金銭的な負担ばかり、親にかけてしまっている…


そんな自分。


まあもしかしたら、そんなこと自体が私の考え過ぎなのかもしれないが…


彼が内面にそういうものを抱えている可能性だって十分にある訳だから、それをも考慮した上で…


私は彼に、こうも伝えたのである。


「俺は別に、お前が有名企業に就職したり、高給取りになったりすることなんか…決して望んではいない」


「だって、有名企業で仕事をしていれば幸せになれる訳でもないし、高い給料を貰っていれば幸せになれる訳でもないし…そういうことを、俺は経験上よく分かっているのだから」


「俺はただただ、お前が働いて、金を稼いで、その金で一生懸命生きている…そういう姿を遠くから見ること、それだけを望んでいるんだ」


「だから、周りと比べてどうとか、そんなことは関係なしに…とにかく生きて行くために、何とか自分が働く場所を見つけようぜ」


と…そんな感じのことを。


うん…


これで言うべきことは全て言った…そう感じた私は


ここで話を終え…


「お疲れさん。俺の言いたいことはこれで終わりだから。あとは、何か俺に言っておきたいことはある?」


そう次男坊に尋ねると…何かを喋り出そうとはしたのだが


彼は急に泣きそうな表情になり…


ついには「ゴメン」と言いながら、実際にポロポロと涙を流し始め…


結局は…何も言葉を発せず


ダイニングテーブルの椅子から立ち上がり、階段を上って自室へと帰って行ったのであった。


まあ彼の涙には…


情けなさとか、安堵感とか…きっと色々なものが含まれていたのだろう。


もちろん私には、その内面を知る由もない。


でもこれで良かったのだ。


私は、私自身の善に基づいて…彼に伝えたかったことを、漏れなく伝えたつもりなのだから。


そして…


それについて彼がどう思い…そこからどういう意志を抱いて、果たしてどのように行動するのか…


そこは決して私の関与するところではなく、彼自身の善にのみ基づいてなされるべきことなのだ。


だから私に出来ることはただ一つ…


これからの彼の行動を、ただただ黙って見守ること…


そう…


いつもと同じ結論へと、無事に着地するのであった。