動かざること山のごとし
かの有名な、武田信玄の「風林火山」にある一節である。
そう…
立命館大学経済学部の5年生となった、我が愛しき次男坊…
昨年は3つの公務員試験に全敗し…かといって民間企業の就活は一切せず…
じゃあ、とりあえずは大学を卒業して就職浪人するのかと思いきや…
次年度は民間企業の就活と、公務員試験を同時進行でやっていきたい…という話になり…
とりわけ民間企業の就活を念頭に置くと…
大学を卒業してしまって「就職浪人」という肩書になるよりも、留年して「新卒」という肩書を維持した方が良い…との主張から…
私は泣く泣く彼の留年を受け入れることとなり…
それなら何とか…
出来れば留年のためにわざと残す単位を8単位以下にとどめてもらい、その留年に必要となる学費を最少額の25万円に抑えてもらいたかったのにも関わらず…
ありがたいことに、わずか2単位オーバーの10単位を残してくれたことから、支払わなければならない学費が50万円にピョンと跳ね上がってしまい…
今春の私に多大なる経済的ダメージを与えてくれたという、我が愛しき次男坊なのであった。
そんな彼が、動かない…全く動く気配がない。
では、果たして何に対して動かないのかといえば…
言わずと知れた「民間企業の就活」に対してである。
だって…今や民間企業の就活は「宴もたけなわ」の時期であろう。
聞くところによると…例年
あと2週間後くらいに訪れる6月1日の時点では、およそ75%の就活生が既に内定を獲得している…という話ではないか!
それなのに…我が次男坊は現時点で
スーツを着て面接に出かけていく…などという行動も一切見られないのである。
えっ?!スーツを着ることなく内定をもらえる…なんてことはあり得るのか?!
そんなアホな疑問を抱いてしまいそうになるくらいだ。
まあ、これも聞くところによれば…
確かに一次二次といった、最初の方の面接に関してはオンラインで行う企業も多いらしいから…
「今は部屋にこもって、オンライン面接でも受けてる時期なんかな?」
とか…
「そのうちスーツを着て、対面の面接に出かけていくやろ」
とか…
半ば私自身の心に言い聞かせるような感じで、これまで彼の様子を窺っていたのだが…
どうやらこの時期まで来てしまうと…
「いやいや、どう考えてもアイツは何もしてへんやろ!?」
という結論に帰着せざるを得ない…のであった。
まあ私は、就活にしても何にしても…
自らの自由意志と、それに基づいた行動によって為されるべきだ…という確固たる信念を持っている人間なので…
今までもこれからも、彼の就活に対してあれこれと口を出すことは決してない。
ただ、私の妻はそういう訳にはいかないようであり…
やはり、次男坊と一緒に夕食をとっている時などには…
「就活はちゃんとしてるの?」
とか…ちょくちょく質問してしまうのである。
すると我が次男坊は…明らかに答えたくなさそうな雰囲気を漂わせつつ…
「うん…まぁ」とか…
「いくつか応募してるけど…」とか…
こちらが期待するような具体的な内容は避けつつ…返答するのが常だ
そんな煮え切らない次男坊に対して妻が…
「じゃあ、ちゃんと就職先は見つかりそうなの?」
と、さらにツッコむと…
「まぁ、どこかには…何とか」
と…会話のキャッチボールが全く成立することなく…
ドンヨリと気まずい空気が流れたところで…
夕飯をサッサと胃に流し込んだ次男坊が…
「ごちそうさまでした」
とだけ言って、そそくさと自室に上がっていくという…
これまでには、そんな空しい夜を幾度となく繰り返してきたのである。
しかし、もうこの時期にまで至ってしまえば…ここまでに流れた時が全てを示唆してくれる。
そう…
どう考えてもヤツは、民間企業の就活を断念したに違いない。
と…確信せざるを得ないのが現実なのであった。
私が想像するに…
いくつかの企業にエントリシートを送って応募してみたけど…
そのまま梨の礫で、うんともすんとも反応がないから…
「もういいや」
と…憤るでもなく、落胆するでもなく…
何となくフェードアウトしていったのだと思う。
まあ彼らしいと言えば彼らしい…
じゃあ…その代わりに彼が
公務員試験の勉強を一生懸命やっているのか?…と問われたのならば
どこからどう見ても…
そんな「受験生」チックな空気感を醸し出している訳でもない。
ただ…
最近、夕方前にリュックを背負って出かけていき、3〜4時間くらい経ったら帰宅する…という行動パターンを時々とっているので…
それを見た私の妻が、「もしかしたら勉強しに行ってるの?」と質問すると…
「うん、まあ…」
とか答えているようだから…
もしかしたらスタバとか、カフェにでも行って…そこで少しは公務員試験の勉強をしているのかもしれない。
まあそれにしても…公務員試験だって来月には始まる訳だし…
いやいや…
「そんなテキトーな勉強で受かるもんなん?」
とか…
「また今年も落ちるんちゃうん?」
などと…
何とかポジティブに考えようと頭をひねったところで、どうやってもポジティブな未来を想像することは不可能な私なのであった。
そんな我が次男坊も…
現在の彼女と付き合い始めてから、はや四年が経過しようとしている。
大学1年生のちょうど今頃から付き合い始めた、同じ大学の同級生である彼女…
社長令嬢で、国内外に6つの別荘があるとかで、しょっちゅうあちらこちらに旅行しているという彼女…
次男坊よりひと足早く、この3月で大学を卒業し…4月からは大阪のとある企業で働いている彼女…
そんな彼女の置かれた境遇と、自分自身の今現在置かれた境遇を比べた時…
果たして我が次男坊は、それに対してどういう考えを抱いているのだろうか?
と…私は若干の息苦しさを伴って、彼の胸の内を想像してしまうのだった。
もちろん…
私が彼女と付き合っている訳ではないし、私が留年している訳でもない。
あるいは私が就活している訳ではないし、私が公務員試験を受ける訳でもない。
それでも…
「こんなんで良いのか?お前」
とか…
「やるときゃ、やらなあかんのとちゃうんか?」
とか…
切なさを禁じ得ない心の叫びが…
私の中の深いところから湧き上がってくるのを、確実に感じるのであった。
でも次の瞬間には…
「いやいや、俺の人生じゃないんだ…これはアイツの人生なんだ」
と…
その深いところから湧き上がってきたものが…
スーッと…また深いところへと戻っていき…
再び心の中に静寂が訪れることで…
いつもの私に戻るという…
そんなことを繰り返す、今日この頃なのである。
そう…
我が次男坊がどうなるかなんて、私には全く分からないし…それに対して私が出来ることなんて何一つない。
彼は…
もしかしたら公務員試験に受かるかもしれないし…
はたまた公務員試験に落ちて…その時点でまだ採用活動をしている、どこかの民間企業に就職するかもしれないし…
あるいは公務員にもなれず、民間企業にも就職出来ず、最終的にはフリーターとか非正規労働者になっているかもしれない。
しかし、たとえその中でどんな方向に進んで行こうとも…
そこに優劣とか、善悪とか、高低とか…そういったものは存在しないと…
綺麗事を抜きにして、私は心の底からそう思うのだ。
もちろん、世間が私のその意見に賛同しないであろうことも…十分理解した上でのことである。
結局のところ、そこに存在するのは…
その方向に自分自身が進んだ…という事実と
どう足掻いても、自分自身がそこで生き抜いていかなければならない…という事実と
ただその2つしかないのである。
そう…
群れを出たライオンは、そこがどれだけ餌の乏しい荒野であっても…何とか餌を探し出して、生き延びていかなければならない。
もし餌を手に入れられなければ、痩せ細って死んでいくしかないのだ。
そこで…
たとえ餌が手に入らないからといって、かつて自分がいた元の群れに戻って「餌をくれ」という訳にはいかないのである。
まあ…
私はこういうことを、息子たちに面と向かって語ったことはないが…
おそらくは経験的に理解しているものと思う。
だって…
小さな頃から彼らはいつも私のそばにいて…
長年に渡り、私の生き方や言動を目の当たりにしてきたのだから。
そうなればもはや…
私に出来ることはただ一つ…
ひたすら彼らの行く末を見届けること…それしかなかろう。
ということで…
「動かざること山のごとし」
の我が次男坊が、果たして
このまま山のように動かないのか…
あるいは…
「疾きこと風のごとく」
とばかりに、急激に猛スピードで動き出すのか…
兎にも角にも…
これからの彼が、たとえどのように振る舞おうとも…
この私自身は、と言えば…ただただ
「静かなること林のごとく」
つまりはそういうオチへと辿り着くのであった。