前回の「少林寺」から橋を渡って対岸の三重県熊野市紀和町へと
移動しました。三重県側に入ってから、熊野川沿いを通る県道740号線
(小船紀宝線)を北向きに走ります![]()
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橋から約2キロほど走ったかと思いますが、10分もかからないくらいで
『楊枝薬師堂(ようじやくしどう)』に到着![]()
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「瀞峡巡りの里(遊覧船乗り場)の向かい、いやもうちょっと川上やったかな・・・![]()
周囲にはほとんど民家もなくやや寂し気な場所です。主に熊野川の水の流れる
音が聞こえてくるくらいです![]()
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ふむふむ、なるほど、ザ・楊枝薬師堂、京都三十三間堂棟木の霊地、
「柳のおりゅう」の伝説があるのですな![]()
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《柳のお柳(おりゅう)の伝説》
楊枝の里に、平太郎という男が妻のお柳、子の緑丸と三人で平穏に生活をしていました。
しかし「お柳」こそ、三十三間堂の棟木として切られようとしている柳の大木の精でした。
【楊枝薬師堂】![]()
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お柳は自分の命がもうないことを知り、平太郎の寝ている枕元で「昔、狩りにきた武士の
放った鷹が、柳の高枝に足尾が引っかけ動けずあまりにも高く登れず、武士は柳を切り
倒してしまうよう部下に命じました。そんなとき、平太郎様が武士の弓を借り、矢で鷹の
引っかかっている枝を射落としてくれて、柳を切らずにすみました。その柳の木の精が私です。
あなた様にに恩返しがしたくて、化身してあなたの妻とって緑丸を生みました。このたび、
法皇様の病を治すために切られます。私は生きていけません。どうかこれからは緑丸と
2人でお過ごしください。」と打ち明けました。
【楊枝薬師堂】
平太郎が夢からさめると、お柳の姿は消えていました。切り倒された柳の大木は志古の
貝吹岩のところまで届くような大木で、人びとはその大木に綱をつけて動かそうとしますが、
まったく微動だにしませんでした。それを見ていた平太郎は、子の緑丸に綱を持たせて柳
に向かい「わが妻、緑丸の母・お柳よ。精があるなら動いてくれ。法皇様のための寺の棟木
となってくれ。」と呼びかけたところ、大木はなんの苦もなく動き出し、京都へ運ばれて
三十三間堂の棟木となりました。里の人びとは柳の枝で薬師仏を彫って、切り株の上に
お堂を建ててお柳を祀ったという![]()
【お柳と平太郎のお墓】がありました![]()
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「悲しい伝説」と捉えていいんでしょうね![]()
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【弘法大師と刻まれた石碑】![]()
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もし京都三十三間堂に行く機会があれば、楊枝薬師堂とお柳を
思い出したいと思います![]()
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楊枝薬師堂はここ![]()
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今回はこんなところです![]()
ではまた次回に![]()





