今回は和歌山県は紀の川市の山間部🏔です
こんな感じの所に来ました。紀の川市鞆渕(ともぶち)という地区にある
『鞆渕八幡神社』の駐車場にいます。
参道には「大きな三本の杉の木」が立ちます
何本も大きな木が立つので、いまいちどれがどれか判りにくいですが
こんな感じで大木が立ちます
そして、なかなかシブイ石段を上がって行きます
何段あるかわかりませんが、参道を上から下を見てみると
150段以上はありますかね~
【巨大な杉の木】
『鞆渕八幡神社』
この神社には現存するものでは日本最古と言われる国宝の「沃懸地螺鈿金銅装神輿
(いかけじらでんこんどうそうしんよ)」という神輿が安置されてるそうです。
鞆渕応神山の南麓、老杉古檜に囲まれた当神社は、古くより鞆渕荘の産土神として、
信仰されてきた神社である。創祀年代は未詳であるが、平安時代に石清水八幡宮より
勧請され、その別宮として創建されたと思われる。鞆渕は、寛弘5(1008)年にすで
に石清水領となっていた。鎌倉期の安貞2(1228)年、石清水八幡宮より当社へ神輿
が送られている。奉送目録もつけられ来歴が明らかで、数少ない平安期の神輿の中でも
傑作である為、国宝に指定され鶴姫伝説と共に現在も人々に親しまれている。
※和歌山県神社庁HPより
【鞆渕八幡神社の鳥居】
《神輿にまつわる伝説》
鞆渕の里にある兄妹がおりました。妹は鶴姫と言い、絶世の美女だったと言います。
そんな二人に対し、教育熱心な父親は勉強をさせようと厳しく接しました。頭の良い
兄に対し妹は思うようにはいかず、いつも叱られてばかり。そんなある日、ついに父親
は怒りのあまり、妹めがけて木の枕を投げました。枕は柱にあたって割れてしまいました。
居たたまれなくなった妹は割れた枕の片割れを持って家出してしまいます。月日は流れ、
やがて京都に当時の天皇に寵愛を受けているたいへんな美女がいると評判が上がりました。
しかも、どうやら紀州の人らしいとのこと。うわさを聞き付けた兄は、残されていた枕の
片割れを持って京都を訪れました。身分の違いから難儀もありましたが、ようやく会う機会
を得て、二人はお互いの枕を合わせて確認し、涙の対面となったのです。
この麗しい兄弟愛を耳にした天皇は、二人で紀州に帰り、地元、鞆渕の地を納めるように
言ったとのこと。その土産にと与えられたのが、この沃懸地螺鈿金銅装神輿。この神輿を
京都から山越え谷越え運んだことは、大変な労力であったことでしょう。道中には神輿が
通ったことを示す地名も多く残っています。※和歌山観光情報さんHPより
拝殿に行く前に【大日堂】というお堂があります
ふむふむ、なるほど。英語の表記もありますが外国人も来るのかな~
もう一度【大日堂】
【神楽殿】
ここに国宝の【神輿】が安置されてるようですね
拝殿へ向かいます
【拝殿】
【本殿】
本殿の右側に摂社の【若宮社】、左側に【高良社】が鎮座します。
ふむふむ、なるほど
そして鞆渕八幡神社をあとにします
鞆渕八幡神社からの帰路、『釜滝薬師さん』に月参り。
【境内に咲いていた花】
【御朱印】
今月は境内に咲く「ネモフィラ」という花のスタンプでした
今回はこんなところです
ではまた次回に