4月6日土曜日、吉野山の続きです
。
勝手神社前から次に「如意輪寺」まで歩きます
。
お天気も良くなって来て、、少々暑くなってきました
。
「後醍醐天皇が歩かれた道」を通って、如意輪寺に向かいます
。
後醍醐天皇も、この道を歩かれたのか~
。
桜を見ながら如意輪寺までの道を歩くのが、いちばんの
楽しみだったのですが少々残念でした
。
てくてく歩きまして・・・
。
如意輪寺の山門が見えました
。
この階段を上がるのも桜の時期くらいですかね!
車で来ると裏側から入って来るので・・・
。
【如意輪寺山門】
【本堂】
天平2年(1346年)12月南北朝動乱期、楠木正成の長男・楠木正行が四条畷
の戦いに出陣するに際し、一族郎党とともに如意輪寺にある後醍醐天皇陵
に詣でて、辞世の句「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとど
むる」むるを詠んだという寺本堂の扉に鏃(やじり)で辞世の句を刻んだとされる
。
顔出し看板、だいぶ色あせてますね(笑)
。
本堂前に立つ、一本の木
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その木の幹には【後醍醐天皇腰掛石】があります
。
東洋の神秘!何のこっちゃ
。
【至情塚】
後村上天皇より楠木正行(くすのきまさつら)の奥方にとの話があった
弁内侍(べんないじ)が、正行公討ち死にの後、その菩提を弔うため
尼僧となりその黒髪を埋めたところ
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【小楠公髪塚碑文】
【後醍醐天皇御霊殿】
有料エリアです。後醍醐天皇が自ら刻んだ後醍醐天皇像が
安置されていますが、秋に公開されていたかな~
。
【権現堂】
金剛蔵王権現像が祀られていました
。
「しだれ桜」
が満開でした
。
【桜井の訣別】
西国街道、桜井の駅で正成・正行親子」は訣別します。その後父の
正成は湊川の戦いで足利尊氏に敗れて討ち死し、今生の別れとなります
。
ちなみに「桜井の駅」とは現在の大阪府の島本町あたりです
。
正成は数え11歳の嫡子・正行を呼び寄せて「お前を故郷の河内へ帰す」と
告げた。「最期まで父上と共に」と懇願する正行に対し、正成は「お前を帰す
のは、自分が討死にしたあとのことを考えてのことだ。帝のために、お前は
身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残るようにして、
いつの日か必ず朝敵を滅せ」と諭し、形見にかつて帝より下賜された菊水の
紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた
。
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こちらの茶室で休憩したかったのですが、お抹茶を
注文しないと入れないようでした
。
【多宝塔】
浄土宗のお寺で多宝塔を見るのは珍しいですけど、こちらは
もともと真言宗のお寺だったようです
。
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【樹齢250年のしだれ桜】![]()
というと、もっと樹齢は古くなってますね
。
聞いた事のある名前ですが、同姓同名かな
?
「水仙」も咲いていました
。
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最後に楠公の大河ドラマも見たいので署名しました
。
いずれは実現すると思いますけど・・・
。
【御朱印】
蔵王堂の方に戻ります!六地蔵さんがおられました
。
如意輪寺が遠ざかりました
。
勝手神社前に戻って来ました
。
【勝手神社の鳥居】
境内ではミュージシャンのライブが行われてました。僕が聞いたのは
義経と静御前の別れを歌詞にした曲だったかな
?
吉野山、さらに続きます
!
今回はおしまい![]()
ではまた次回に![]()








































