和歌山県は紀の川市
にある、「青洲の里」
へ行って
きました。「青洲」というのは、医聖といわれる江戸時代
の医学者、「華岡青洲」
のことです
。
この「青洲の里」は、その「華岡青洲」
の生誕地
です。
華岡青洲本人が医学者としてどんな成功をおさめた方という
よりも、むしろ「華岡青洲の妻(1967)」という小説の名は一度
は耳にしたこともあるかと思います
。
「青洲の里」なんですが、現在は「道の駅」
にもなってます
。
【華岡青洲像】
「華岡青洲」は宝暦10年(1760)、紀伊国那賀郡名手荘(和歌山県
紀の川市)の生まれ。医学者!研究
を重ね、全身麻酔薬
を
作り世界で初めて「全身麻酔手術」を成功させました
。
「青洲の里」には、華岡青洲
の住居、
病院だった「春林軒」があります。
『春林軒』
世界初の麻酔手術が成功し、「青洲」
の名が世に知られるように
なり、全国から患者や入門希望者
が多く来るようになったので、先祖
代々から住んでいた家では十分な治療
や門下生
の指導は行えなく
なり、この地に新しい診療所「春林軒」を建てたとされます。
【南長屋】
門から中に入りました!まず「南長屋」
があります。この建物には
全国から集まって来た「門下生」の部屋
や、薬
を煎じるための炉
と、薬調合所などがあります
。
【門下生の部屋】
「内塾」という門下生の部屋です。この地で学んだ門下生
は
1000人を超えるといいます。医学校としての役割もありました
。
【薬調合所】
意外とスッキリしたお部屋なんですね
。
ここで長い歳月をかけて全身麻酔薬「通仙散」を完成させます。
しかし、それは実母と妻
による数回の人体実験
、実母
の
死、妻の失明という大きな犠牲を払ったものとなりました
。
【三病室】
病室のある建物。病棟と言ったほうが良いかな~
!
【病室】
【主屋】
春林軒の中心となる建物!内部には診察控室や診療室、手術兼
薬調合室、婦人手術室、客間、母や妻による麻酔の人体実験を
行った奥居間、茶の間、炊事場があります。内部には人形が置かれ
てあり、会話も音声で再現されて、当時の様子を偲ぶ事が出来ます。
【診察控室】
待合室ですね。
「たまやんさ~ん、どうぞ~」
「あ、はい~」
「金欠病みたいです」
「それは、寝てても治らんわ!」
【手術兼薬調合室】
その奥の部屋には・・・。
【婦人手術室】
全身麻酔薬を使った世界初の「乳がん摘出手術」
の様子。
患者は大和五條の60代の女性だったそうです。手術
は成功
しますが、ただ、患者の女性は4か月後に亡くなったそうです
。
【客間】
婦人手術室の西隣に「客間」がありました
。
【土間・炊事場】
栄養なども考えて、患者さんの給食作ってたんでしょうか
?
凍ってます!当日も、すごく寒い日でした
。
【米蔵兼看護婦棟】
建物の西側が米蔵で、東側が宿舎
として利用されてました
。
【宿舎一回】
二階のも上がれました。
【宿舎二階】
こういう部屋で看護婦
さん達が寝起きしてました
。
【麻酔薬人体実験の様子】
和歌山市出身の小説家「有吉佐和子」先生の代表作でベストセラーとなった
「華岡青洲の妻」は医学者としての「華岡青洲」
の名を一般に知らしめる
事になりました。小説の中では妻の「加恵」
は、姑
と対立しながらも夫
の青洲を献身的に支え、自らすすんで麻酔薬
の実験台となるも、その
副作用で失明していまいます。ただ、小説は美談として描かれていますが、
実際には当時の時代背景からして、夫に頼まれて断れなかったという事情
もあったかもしれません。
【薪置き場・米つき場】
昔ながらの道具が置かれていました。
【華岡家発祥の地】の石碑が建ちます
。
「春林軒」の周囲には「柿畑」
があります。
「梅」かもしれません
。
道の駅「青洲の里」にも資料館があり、拝観
は
「春林軒」とセットになります
。
道の駅「青洲の里」の資料館。
こちらには当時の医療器具などが展示されてました
。
【近畿道の駅スタンプ】
青洲の里「春林軒」でした
。
ではまた次回に。
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