9月17日の京都嵯峨野の寺社巡りに戻ります
清涼寺から大覚寺の近くまで来ました
この石柱から大覚寺門前まで500mくらいありました。
僕が訪れた日には「大覚寺 観月の夕べ」が開かれていました。境内
にある大沢池に舟を浮かべて「中秋の名月」を見る行事だそうですが、
その舟券を求める人で行列が出来ていました。17時からですが
かなり早く並ばないと券は手に入らないようです。
【玄関門】
この門の正面に参拝入り口がありました。祇王寺との共通拝観券
を購入すると二寺で通常800円のところ600円になるみたいでしたが、
また奥嵯峨野まで戻る事も出来ないので大覚寺のみの拝観にしました。
正式名は旧嵯峨御所『大覚寺門跡』。嵯峨御所とも呼ばれる。嵯峨天皇
の離宮嵯峨院を後に寺に改め、大覚寺に。真言宗大覚寺派大本山。
創建は貞観18年(876年)本尊は五大明王。
「いけばな発祥の花の寺」でもあるそうです。
受付から【宸殿】へ。その宸殿から勅使門を眺めます。
【勅使門】
江戸時代、嘉永年間(1848~1854年)の再建。
【宸殿】
江戸時代に後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物。
天皇家に入内された江戸幕府2代将軍秀忠娘、東福門院和子
が女御御殿の宸殿として使用していたもの。廊下はうぐいす
張りで歩くと「きゅっきゅ」音がしてました。
宸殿から見てます。
左から「御影堂」、「御霊殿(安居堂)」、本堂になる「五大堂」。
諸堂を結ぶ【村雨(むらさめ)の廊下】を歩いて御影堂へ。
御影堂から勅使門を眺めます。
左、御霊殿と右、五大堂
【御影堂】
大正14年建造。大正天皇御即位に際し建てられた
饗応殿を式後、賜わり移築したもの。大覚寺の歴史に
大きな役割を果たされた方々の御尊像を祀る。
【御霊殿(安居堂)】
京都東山にあった安井門跡蓮華光院の御影堂を明治4年に移築。
御霊殿から宸殿を見てます。
そして五大堂の写真撮るの忘れてました。
【大沢池】
五大堂から撮りました。ここから舟に
乗って「月見」を楽しむんですな!
五大堂から次は【心経殿】へ。8角のお堂です。
【心経殿】
村雨の廊下を歩いて「正寝殿」へ。
【正寝殿】
12の部屋を持つ書院造り。
正寝殿から「霊明殿」へ。
【霊明殿】
総理大臣を務めた斎藤実が昭和三年(1928年)に東京沼袋に
建てた日仏寺の本堂だったもの。昭和33年(1958年)に大覚寺
に移築。御本尊は阿弥陀如来。
【御朱印】
神仏霊場巡拝の道京都9番大覚寺。
右は「観月の夕べ」限定とのことでした。
直書きしてくれるのは受付にて「五大明王」のみで、あとの
四種は五大堂の授与所に書置きが置かれていました。日付け
は入れてくれるというので頂いてきました。
「心経宝塔」を見たかったのですが諸堂からは
見えなかったというか行き方がわからなかったので、
また機会があれば行ってみよう。
そしてこの次は車折神社に向かいます
ではまた次回