高野山(奥の院~北室院) | たまやんの神社仏閣見聞録

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主に神社・仏閣巡りの日記です。
国宝、文化財、御朱印など、見たり、聞いたり
頂いたり、たまに食レポ、気楽に楽しんでます。

今年は高野山開創1200年という事で4月と5月、6月と高野山に
行き、たくさんの宿坊を巡って来ました。せっかくなのでブログに
書きたいと思います。奥の院のほうから順番に書いて行きます。
 
「奥の院」中の橋入り口です!

奥の院御廟橋前の広場! 
 
水掛け地蔵さん
    
奥の院で頂いた御朱印と御詠歌です!
奥の院御詠歌「ありがたや 高野の山の 岩隠に 大師は
今だ おわしますなる」
「お大師様(弘法大師空海)は今もなお生きておられて、この
高野山にて私達を見守っていて下さる」というような意味だ
そうです。
 
奥の院に最も近い宿坊寺院「清浄心院」です!
 
「金剛峯寺」建築の際には、清浄心院を参考にしたとされます!
拝観をお願いすると「大釜のある台所」を見せてもらえました。
 
清浄心院で頂いた御朱印
 
「宝善院」という宿坊です!小堀遠州作と伝わる庭園がありました。
 
宝善院で頂いた御朱印
 
「赤松院(せきしょういん)」!
 
赤松一族の菩提寺であるそうです!播磨(現在の兵庫県南西部
付近)を支配していて、鎌倉幕府打倒や応仁の乱でも重要な役割
を果たした守護大名の一族です。
 
赤松院で頂いた御朱印
 
「熊谷寺」です!高野山の中でも浄土宗の宿坊寺院のようです。
と言う事は御本尊は阿弥陀如来様ですよね・・。
 
こちらは「円光堂」!円光堂の御本尊は「法然上人」とあります。
そして「熊谷寺」の名の由来となっているのが「熊谷直実(くまがい
なおざね)」。源頼朝の御家人となり、また平敦盛との一騎打ちの
故事が知られます。「人間五十年~・・・」の敦盛の舞も直実の心境
を詠ったものだそうです。直実は「一の谷の戦い」の時、平敦盛と
一騎打ちをして倒しますが、その敦盛がわずか16歳の少年だった
事を知り後悔の念に苛まれて、後に出家して法然上人の門徒と
なって「蓮生(れんしょう)」と名乗ったそうです。
 
こちらのお堂は何かわかりませんが、幟があるので
「恵比寿さんと布袋さん」を祀っているようです。高野山
七福神の札所です。
   
熊谷寺で頂いた御朱印です!
 
熊谷寺のすぐ隣にある「恵光院(えこういん)」!
 
恵光院の山門の前には毘沙門天を祀る「金剛院」という
お堂があります。
 
山門をくぐり境内に入ると庭園があり、本堂は一段上の
場所にありました!
 
こちらが本堂のようです!
   
恵光院にて頂いた御朱印!金剛院のものも頂けます。
 
こちらは恵光院の少し奥側にある「光明院(こうみょういん)」という
宿坊寺院!
 
光明院で頂いた御朱印!丁重な接客をしてくれました。
 
次に「大明王院」という宿坊寺院です!

 
玄関前のお庭です!
 
大明王院で頂いた御朱印
 
大明王院から大通りに出て正面にある「地蔵院」!
 
山門をくぐると新しい感じの宿坊があります!御本尊は
地蔵菩薩でしょうね・・?
 
地蔵院にて頂いた御朱印
 
「苅萱堂」です!「石童丸とその父である苅萱道心の悲話」
が伝わる寺院です。石童丸と苅萱はお互い親子と名乗らず
に苅萱堂で修業したとか・・・。この話を説明すると長くなって
しんどいのでまあこんなところで・・・・。
 
苅萱堂で頂ける御朱印
 
苅萱堂のそばにある宿坊寺院「密厳院(みつごんいん)」!
開山は新義真言宗の祖である「覚鑁(かくばん)興教大師」
によるとあります。真言宗にもいろんな宗派がありますが
新義真言宗の総本山となるのが岩出市の「根来寺」です。
ちなみに苅萱堂は密厳院の境内にあるという事だそうです。
 
密厳院にて頂いた御朱印
 
密厳院からさらに奥手に歩いて行くと「上池院(じょうちいん)」
という宿坊寺院があります!ちょっと高級旅館みたいな佇まい
なので入りにくかったのですが御朱印をお願いすると若い僧が
対応してくれて中庭などを見せてもらえました。
 
上池院にて頂いた御朱印
 
上池院から大通りに戻ってきて正面にあるのが「遍照光院」!
 
宿坊玄関
 
宿泊すれば宿坊から「庭園」が見れるそうです!
 
遍照光院で頂いた御朱印

 
遍照尊院のむかいにある「北室院(きたむろいん)」!
 
山門には「馬」が飲む水が入れられた「桶」と食べる草が置かれ
ています!現在は馬に乗って来るという事はありませんが、慣習
としてされているそうです。
 
こちらを訪ねた時は、まだ境内に「桜」が咲いていました!
 
北室院にて頂いた御朱印
 


 今回はここまでにします。また次回!
 
 

  

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