先を歩く自分を追いかけながら、ときどき後ろの自分を振り返るようにしています。
後ろの自分〜今の自分〜先の自分
先の自分を観ているのは今の自分ではなく、すでに後ろの自分なので後ろの自分を気にしながら、今を生きていきます。
後ろを歩く自分は先祖でもありますが、日本人かどうかはわかりません。戸籍を辿れるのは明治までです。父母の先祖は共に庄屋なので、江戸時代から続いている家系ようですが…
生まれた時からの自分を想い、父母を想い、父方祖父母を想い、母方祖父母を想うだけでも結構な時空を生きて来たことになります。自分の中に膨大な時空が広がっています。
雄雌、男女ふた親から生まれる哺乳類の自分とはそういう生き物です。
ただ、自分ですが、後ろも先も確かな自分ではありません。先祖〜自分〜子孫です。
せめて時折、先祖を想い、子孫を想い、自分の生きて来た、生きている、生きて行く時空を愛おしく想っています。たとえ平平凡凡な時空の繋がりでも数百年の歴史が重なっています。おそらく戦(いくさ)もあったでしょう。
自分はいなくなっても子孫に重なっていきます。
そうした想いでアルバムを見返すと、アルバムに遺っている自分、父母、きょうだい、祖父母、幼馴染み、同級生が懐かしく、愛おしいです。
自分の一生も残すところあと数年だと思いますが、思いっきり愛おしく、呼吸をして、話して、食べて、古びた身体を洗い、寝たいです。
生まれて、生きて、老いて、不自由になって、また人に手を貸してもらう自分を見つめて、やがて知っている自分がおぼろげになっても、自分のいる時空と人々に接していることに変わりはなく、自分と自分の後ろと先を想って、身体の自分を離れて行くのでしょう…
50数年前のあの頃、あなたを大切にしていれば良かった。自分に夢中過ぎて、あなたを忘れて生きていたこともあります。後ろには戻れないのが一方通行の人生なのですね。
自分の後先、さらに今際の際は未体験です。
自分とは生霊、死霊に憑依された他人の自分でもありますが、さらに後の自分、先の自分でもあって、こんなにも複雑怪奇なものが本質です。正体は着せ替え人形ですから、そんな自分を楽しむ余裕が持てたら、自分がさらに観えてくると思います。
日々、後ろの自分、先の自分と共に歩いていれば、転ばぬ先の杖にもなります。頼りない杖でも…