心臓手術からちょうど1年が経過した。
去年の今の時間は、7時間以上かかった手術が終わり、CCUで大量の管に繋がれてまだ寝ている頃だ。
気付きがとても多い出来事だった。
健康な時は気付かないが、身体が不自由になったら自分ひとりでは何も出来ない。まず上体を起こせない。歩けない。車椅子も乗れない。トイレも行けない。風呂も入れない。日常の何気ない動作がこれ程までに負荷が掛かるとは思ってもみなかった。
歩けるようになってもたった一つの段差さえ上がることが出来なかった。
健康であることはそれだけで奇跡であり尊い。現在進行形で健康だからといって未来もそうであり続ける保証はない。自身のそれを過信しない。
日常的に食事、睡眠、運動にかなり気を付けていると自分は特別だと思いがちだが、先天的であれ後天的であれ病気になる時はなる。確率の中に生きている。
人はひとりでは生きていけないことを侵襲された身体で以って実感させられた。だが、自分を救えるのは自分だけだと思っているのは今でも変わらない。
矛盾するようだが同居する。これを止揚することにより、支えてくれる人に感謝し、具体的に態度で示し、自分に厳しく生きる、というのが基本的姿勢になった。
生まれた国、今生きている時代、医療システムにも感謝だ。この三軸が全て揃っていて、非常に運が良かったと思う。
恵まれた時代に生まれたことは分かっていたが、侵襲された身体で以って血肉になるまで理解できたのは良かった。
伊藤文學『ぼくどうして涙がでるの』にあるように、時代が時代なら私は寿命を全うできない。たとえ手術をしても五分の確率で死んでいる。2015年の今、ダヴィンチで有名な渡邊剛医師は99.5%だ。が、裏を返せば、
『心臓手術に100%はない』
これは私の執刀医に直接言われた現実だ。
ちなみに先の本、心臓病の妹紀子と病院で出会った5歳の男のコの話。
榊原記念病院設立者である榊原仟先生も出てくる。伊藤文學のコラムによると、映画では手術室にカメラを入れて本人が執刀しているシーンが描かれているらしい。まだ観れていない。
もし子供の頃に手術を受けていたら心臓外科医を目指していたと思う(実際なれるかどうかは別として)。もう歳を取り過ぎているので間接的にしか関われないけど、命を繋いだ以上、支援を続けてくのは天命だと思うようになった。
日本心臓財団を通じて定期的に寄附をしている。対象としているのは心臓病(先天性心疾患と川崎病)の子どもたち。
より直接的に支援が出来ないか模索している。