大人のための休日お稽古 豊橋ポーセラーツ教室ロアンヌです

ポーセラーツもレッスンをはじめたばかりですが、私はそもそも、アンティークが好きということで、少しティーカップとお茶のお話しをしたいと思います。
お茶とは元々は中国から始まります。
中国では紀元前2700年頃には始まったと言われています。
お茶の葉をいれた白湯からはじまり、中国の仏教など僧侶に飲まれ広がったと言われています。
この中国から、日本にお茶の、習慣が入りましたのは8世紀頃と言われています。
東洋のお茶が西洋に知られたのは、大航海時代15世紀後半です。
そのころ、ポルトガルやオランダは東洋の貿易へと乗り出します。まさに黒船来航というのでしょうか、スパイスや陶磁器など、シルクロードを渡り手に入れたとされます。
中国や日本では、お茶というものを飲む
「頭痛や眼によく、長寿の秘訣となる飲み物。また、日本は身分の高い人々の飲み物で、器も珍重する」
ということを、オランダから西洋へと伝えられます。現在のマカオから茶器を積み込み、アムステルダムと入ったのです。
中国や日本の茶器に関心が高く、飲み物も体のためにと期待をもっていた西洋の人々は、この東洋で手に入れた茶器、お茶に衝撃を受けました。
西洋人の身分高き宮廷人たちは、遠く東洋のお茶や陶器を持つことは、富と権力の証になるため
喫茶に夢中になりました。
黒船来航でもおわかりのように、ポルトガルやオランダは商売がうまかったので、フランスやロシアへとも広がりをみせました。意外にもイギリスは遅れをとっていました。
中国、現在のマカオからたくさんの茶器を積み込み輸入が基本でした。まだ西洋には、東洋のような茶器を作る技術がなかったのです。青色の茶器が東洋の異国を感じさせていました。そのころの貴族たちは、肖像画に茶器をもったポーズで描かせることも多かったといいます。貴族のステータスとなりました。
そのころの茶器はこのようなティーボウルです。
このティーボウル、初期の頃はもっと小さく、また当時の西洋人は、中国の茶碗を輸入していたためですが、茶碗とお皿を合わせてティーボウルにしていたのです。お茶碗とお皿だったのです。
ティーボウルが英国はイギリスに入ってきたのは1660年くらいだと言われています。
そして、ティーボウル、どのようなマナーかと言いますと、
お茶を受け皿にしていただくというものでした。
ボウルが茶をつくる器具として使われ、ティーボウルに直接、お茶の葉をいれてお湯で注ぎ、ソーサーへ液を流しいただくというものでした。
このように西洋では、お茶の文化、ティーカップの文化が始まりました。次はどのようなカップソーサー、お茶が誕生したのか、次回お話ししたいと思います。
ありがとうございました♡