台湾で「神様」になった日本人 | 毘沙門天の隠れ家

毘沙門天の隠れ家

毘沙門天とは、上杉謙信が崇拝した神様です!

上杉謙信は毘沙門天の生まれ変わりだと言って
いたそうだが…だとしたら脱け殻に拝んでも
意味無いじゃん!!プププ♪

気まぐれで更新します。許してニャン♪(笑)






台湾で神様として祀られている杉浦茂峰少尉の物語が海外で話題になっていました。



杉浦少尉は、米軍機と交戦中に被弾、集落への落下を避けようとしたことで、機銃掃射を受けて命を落とすことになったそうです。


地元の人達によって祀られた日本兵の物語はアジア各地に残っており、知られざる日本軍の姿に海外からは驚きの声が寄せられていました。




日本人だから神様になった訳では無い
台湾の為に尽くしたから「神様」として祀られたのです





台湾では南部を中心にあちこちで、日本人が神として祭られているらしい。日本の統治下に入ってまもなく、嘉義県(かぎ)の村に赴任した森川清治郎巡査もその一人である。森川巡査は学校を造り、飢饉(ききん)の際は村人に食べ物を配った。役所が増税を決めると、軽減を訴えた。

 ▼そのため懲戒処分となった森川巡査は、自ら命を絶った。約20年後、村の周辺でコレラが流行する。「環境衛生に注意しなさい」。ある晩、村長の夢に出てきた森川巡査のお告げに従うと、混乱が収まった。村人たちは「義愛公」の尊称をつけ、ご神体を造るに至る。



 ▼先の大戦末期に台南市で戦死した杉浦茂峰(しげみね)少尉は、現地で「飛虎将軍」として、祭られている。杉浦少尉もまた今年春、廟(びょう)を訪れた日本人作家の夢枕に立った。「故郷の水戸に帰りたい」。このお告げが契機となって、杉浦少尉の神像の里帰りが実現する。昨日、水戸市の護国神社で慰霊祭が行われた。

 ▼零戦の搭乗員だった当時20歳の杉浦少尉は、来襲する米軍機を迎撃中に被弾した。脱出が遅れたのは、集落への墜落を避けようと、できるだけ遠ざかろうとしたためだ。空中爆発の直前にパラシュートで降下する途中、米軍機の機銃掃射を浴びた。地元の守り神となった所以(ゆえん)である。

















台湾南部の台南の町に、飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびよう)という、道教のお寺があります。「飛虎将軍」と地元の人々に慕われ、神様として祀られているのは、


茨城県水戸市出身の杉浦茂峰(しげみね)さんです。


日本では無名の一青年が、台湾で神様になったわけをお話ししましょう。

昭和20(1945)年まで台湾は日本でしたから、先の大戦では、台湾にも米軍機がたびたび来襲しました。そのたびに、日本軍のパイロットたちもゼロ戦に乗って応戦しましたが、日米の戦力の差は大きく、しだいに日本軍は追い込まれていきます。

ある日、ゼロ戦が一機、アメリカのグラマンに撃たれました。ゼロ戦の損傷は激しく、地上から見ていても、墜落は免れないように思えました。

けれども、搭乗機が撃たれただけで、パイロットは無事です。

ここでパラシュートを開いて飛行機から脱出すれば、パイロットの命は助かるでしょう。

ところが、そのパイロットが脱出を試みることはありませんでした。撃たれた飛行機を操縦することは、とても困難なことだと思いますが、彼は、操縦桿を懸命に操作し、機首を上に向けました。

実は、ゼロ戦が撃たれたのは、集落の上空だったのです。

当時の台湾の民家のほとんどは、屋根が藁葺きだったので、もし飛行機が墜落したら、あっという間に火災が広がり、多くの犠牲者が出るでしょう。彼は、それを何としても防ぎたかったのです。

パイロットの命がけの操縦で、ゼロ戦は、民家に墜落することは避けられました。
「ここまでくれば大丈夫」と、パイロットがようやく脱出を試みたそのとき……。撃たれた飛行機の逃げ足は遅く、追いついた敵機から放たれた銃弾が、今開いたばかりのパラシュートを射抜いたのです。

パイロットは地面にたたきつけられ、即死でした。

「あの人が、身を挺して私たちを守ってくれたんだ」

一部始終を地上から見ていた台湾の人々が現場に駆けつけ、遺留品から、パイロットの名を知ることとなります。

「杉浦茂峰」……命の恩人を、台湾の人々は決して忘れませんでした。


そして、その恩に、最大級の感謝で応えたのです。彼を神様として祀り、

朝は「君が代」、夕方になると「海ゆかば」を毎日歌い、

杉浦さんの御霊を慰めてくれています。戦後70年経った今も、です。




以下は、私(白駒さん)が飛虎将軍廟について、数十人の小学生の前で話したときのことです。
ほとんどの子が目を真っ赤にし、教室の片隅からは、すすり泣く声が聞こえてきました。そんな中、ある一人の男の子の泣き方が、ちょっと普通ではなかったので、気になって、声を掛けたんです。

泣きながら、途切れ途切れではありましたが、彼は正直な気持ちを打ち明けてくれました。
「僕は杉浦さんの話を聞いて、とても感動しました。でも、もし僕が杉浦さんの立場なら、自分を犠牲にして誰かを助けるなんて、きっとできなかったと思います。感動はしたけど、僕は杉浦さんのようには行動できません。僕は自分が情けないです」

私は、目の前の男の子が愛おしくてたまらなくなりました。抱きしめたくなるのをぐっとこらえ、こう伝えました。
「同じことなんて、できなくていいんだよ。今は時代が違うんだもん。杉浦さんの時代とは、背負っているものが違うんだから、誰かのために自分が死ぬなんて、考えなくていいの。

でもね、君は杉浦さんの話を知って、こういう生き方が〝美しい″と思ったんだよね? その気持ちが大切なんだよ。同じ話を聞いても、中には、誰かを助けるために死ぬことを、〝犬死″と思う人もいるかもしれない。でも、君は杉浦さんに感動したんだよね?

何を美しいと感じるのか、そのセンサーを〝感性″と呼ぶんだけど、君の感性は、本当に素敵だよ。だからその感性を、これからも大切に大切に育てていってね」

このような自己犠牲の精神を、美しいもの、尊いものとする日本人の感性は、昔も今も変わらないのではないでしょうか。日本人が歴史の中で育んできた美意識が、確かに現代に受け継がれている……。そのことを、泣きじゃくった小学生の姿が証明しているような気がしました。

時代が変われば、美意識をどう表現するか、その表面に表れる部分は、当然変わってくるでしょう。でも、何をもって「美しい」と感じるのか、その基準は、実は変わっていないのかもしれません。その美意識が継承されるかぎり、きっとこの国は大丈夫だと思います。

この文章は、白駒妃登美さんの最新刊「子どもの心に火を灯す日本の偉人の物語」から引用ました。日本人のすばらしい生き方を「15の偉人の物語」として収められています。とても素敵な本です。まずお父さんやお母さんに読んでほしいです。そしてお子さんが読んだときに、一緒に物語の内容について話し合われたら、いい会話ができるんじゃないかと思います。お勧めします。





日本では英霊が祀られている靖国神社がありますが、政治家が参拝すると公的か私的かとマスゴミが騒ぐ。なんとも悲しいご時世です。

そんななか…
毎朝、君が代を歌ってくれている台湾の人々に感謝と尊敬の念に駆られてやみません。

日本人が忘れた真の日本人の魂を持っているのは台湾なのかも知れませんね。

台湾ありがとう