安中公害・損害賠償請求事件 損害賠償請求事件 前橋地方裁判所判決 | 法律大好きのブログ(弁護士村田英幸)

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安中公害・損害賠償請求事件

 

 

損害賠償請求事件

【事件番号】      前橋地方裁判所判決/昭和47年(ワ)第76号

【判決日付】      昭和57年3月30日

【判示事項】      1、亜鉛製錬所排出物を原因とする大気汚染、水質汚濁、土壌汚染による農業損害につき加害企業の故意責任を認めた事例

             2、右農業損害の賠償請求につきいわゆる包括請求方式の可否

             3、農業損害に関する損害額の算定

             4、加害企業の損害賠償債務消滅時効の援用を権利の濫用と認めた事例

【参照条文】      民法709

             民法1-3

             民法724

【掲載誌】        判例タイムズ469号58頁

             判例時報1034号3頁

【評釈論文】      ジュリスト臨時増刊792号85頁

             別冊ジュリスト126号22頁

 

 

安中市(あんなかし)は、群馬県南西部にある人口約6万人の市である

 

 

民法

(基本原則)

第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。

2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。

3 権利の濫用は、これを許さない。

 

(不法行為による損害賠償)

第七百九条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

(不法行為による損害賠償請求権の消滅時効)

第七百二十四条 不法行為による損害賠償の請求権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。

一 被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないとき。

二 不法行為の時から二十年間行使しないとき。

 

 

 

 

       主   文

 

 一 被告は、主文別表記載の各原告に対し、それぞれ同表の当該原告分の金額欄に記載する金員及びこれに対する昭和四七年三月三一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

 二 同表記載の各原告のその余の請求及びその余の原告らの各請求を棄却する。

 三 訴訟費用のうち主文別表に記載がない原告らと被告との間において生じた分は召原告らの負担とし、その余の訴訟費用は、これを二分し、その一を同表記載の原告らの、その余を被告の各負担とする。

 四 第一項に限り仮に執行することができる。

 

       事   実《省略》

 

       理   由

 

第一 安中公害

 最初に、この判決理由において用いる安中公害の意義を説明する。次いで、安中製錬所の歴史及び同製錬所と周辺の状況について述べ、被害の概略を明らかにする。更に、関係住民運動及び汚染農地指定と土壌改良事業について判示する。

 この判決において当裁判所が認定に用い理由中に掲記する書証のうち、別紙「証拠目録」記載第一及び第二の各一の(一)に含まれるものの成立(又は原本の存在及び成立、以下同じ)は当事者間に争いがなく、同(二)及び(三)に含まれるものは、本件口頭弁論の全趣旨(別紙「書証目録-証言により成立を認定するもの」記載の書証については、加えて当該証言)により成立を認めろ。

 一 安中公害

 この判決理由においては、被告経営の安中製錬所の操業に伴つて同製錬所周辺の相当範囲にわたり大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染による生活環境に係わる被害が生じたことを指して「安中公害」という。

 本訴請求の原因として原告らが主張する生活環境に係わる被害は、主として農作物の減収・有毒化被害及び養蚕被害である。

 原告らは、安中公害は安中製錬所の排煙排水に含まれる有害物質、主としてカドミウム、亜鉛及び鉛の重金属並びに硫黄酸化物が原因であると主張し、被告は、安中製錬所の排煙排水にカドミウム、亜鉛等の重金属及び亜硫酸ガスが含まれていたこと、その排出が原因となつて同製錬所周辺に土壌汚染が生じたこと及び同製錬所周辺の鉱害対策委員会の補償要求の対象とされた地域において程度はともかく農作物、養蚕の減収被害が生じていたことを認めるものである。

 二 安中製錬所の歴史

  1 〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

 安中製錬所の沿革は、昭和一二年被告(昭和一六年二月変更前の商号日本亜鉛製錬株式会社)が水利(柳瀬川)及び傾斜地の立地条件を満たす群馬県碓氷郡安中町中宿一四四三番地に建設した亜鉛電解工場から発し、同製錬所は同年六月から輸入焙焼鉱石を原料として電気亜鉛の製錬を開始した。

 しかし、満州事変が拡大するにつれて輸入鉱石に依存することができなくなつたので、被告は、昭和一四年に子会社として設立した日本亜鉛株式会社により、当時長崎県下県郡佐須村(対馬島)にあつた対州鉱山を買収し、昭和一八年から亜鉛鉱石の採掘を始めたが、まもなく第二次世界大戦の影響により採掘が不可能となつた。

 安中製錬所は、その間、昭和一七年二月から黄銅屑を原料として電気銅及び電気亜鉛の再製作業に転換していたが、終戦後昭和二二年に対州鉱山が再開されるに及び、昭和二三年からその鉱石を訴外三井鉱山株式会社彦島製錬所や同東北亜鉛鉱業株式会社茨島工場に委託して焙焼し、その焙焼鉱石を原料として電気亜鉛等の製錬を開始した。

 被告は、その後、対州鉱山での採掘が本格化すると、採掘-焙焼-製錬の一貫作業によつて亜鉛の生産を能率化するとともに電気亜鉛の製錬に必要な大量の硫酸を自家生産して経費節約を図るため、自社で亜鉛鉱石を焙焼し、その焙焼工程から生ずる亜硫酸ガスを回収して硫酸を製造することとし、昭和二六年八月頃安中製錬所に焙焼炉と硫酸工場を増設して設備を大幅に拡充し操業を開始した。(以下右増設を「大増設」という。)

 右大増設は、安中製錬所の生産内容及び生産量をみるうえで同製錬所の歴史を画するものである。その後、安中製錬所は、昭和二九年に亜鉛華の製造を、昭和三一年にダイカスト用亜鉛基合金の生産をそれぞれ開始し、昭和三二年には後記のとおり北野殿地区農民の反対運動にもかかわらず銅電解工場を増設して電気銅の製錬を再開し、昭和三六年に亜鉛製錬設備を増設するとともに鉄電解設備を新設し、昭和四〇年に亜鉛製錬設備を増設するなどして次々と生産を拡大してきたが、後記のとおり違法増設が問題となつてからは生産は拡大されていない。