置き忘れられた現金在中の封筒を窃取したとされる事件について,封筒内に現金が在中していたとの事実を | 法律大好きのブログ(弁護士村田英幸)

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置き忘れられた現金在中の封筒を窃取したとされる事件について,封筒内に現金が在中していたとの事実を動かし難い前提として被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人による窃取を認定した第1審判決及び原判決の判断が論理則,経験則等に照らして不合理で是認できないとされた事例

 

 

              窃盗被告事件

【事件番号】      最高裁判所第2小法廷判決/平成27年(あ)第63号

【判決日付】      平成29年3月10日

【判示事項】      置き忘れられた現金在中の封筒を窃取したとされる事件について,封筒内に現金が在中していたとの事実を動かし難い前提として被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人による窃取を認定した第1審判決及び原判決の判断が論理則,経験則等に照らして不合理で是認できないとされた事例

【参照条文】      刑法235

             刑事訴訟法411

【掲載誌】        最高裁判所裁判集刑事321号1頁

             裁判所時報1671号64頁

             LLI/DB 判例秘書登載

【評釈論文】      法学教室441号127頁

             刑事法ジャーナル53号171頁

 

 

刑法

(窃盗)

第二百三十五条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 

 

刑事訴訟法

第四百十一条 上告裁判所は、第四百五条各号に規定する事由がない場合であつても、左の事由があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。

一 判決に影響を及ぼすべき法令の違反があること。

二 刑の量定が甚しく不当であること。

三 判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があること。

四 再審の請求をすることができる場合にあたる事由があること。

五 判決があつた後に刑の廃止若しくは変更又は大赦があつたこと。

 

 

       主   文

 

 原判決及び第1審判決を破棄する。

 被告人は無罪。

 

       理   由

 

 弁護人久保豊年の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。

 しかしながら,所論に鑑み,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,次のとおりである。

 第1 本件公訴事実並びに第1審判決及び原判決の各判断

 1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成24年9月24日午前9時22分頃,広島銀行○○支店(以下「本件支店」という。)において,客の女性Aが同店内の記帳台の上に置いていた現金6万6600円及び振込用紙2枚在中の封筒1通を窃取した」というものである。

 2 第1審判決は,(1)本件前日の夜,手持ちの封筒(以下「本件封筒」という。)の中に振込用紙2枚とともに現金6万6600円を入れたとするB(Aの母親)の証言,及び,本件当日の朝,出掛ける前に,本件封筒の中に現金が入っていることを確認したとするAの証言の各信用性を肯定して,Aが本件封筒を記帳台上に置き忘れた時点でその中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,(2)本件支店に設置された防犯カメラの映像によれば,Aが本件封筒を置き忘れてから,本件支店の行員が記帳台上に置き忘れられた本件封筒(現金の在中していないもの)を発見するまでの間に,本件封筒から現金を抜き取ることが可能であったのは,Aと同じ記帳台を利用した被告人しかいないとして,公訴事実どおりの犯罪事実を認定し,被告人を懲役1年,3年間執行猶予に処した。

 3 被告人からの控訴に対し,原判決は,第1審判決の認定を是認して,控訴を棄却した。

 第2 当裁判所の判断

 1 原判決の認定及び関係証拠によれば,次の事実が明らかである。

 (1) 本件支店は,比較的小規模な店舗であり,A及び被告人が利用した記帳台(以下「本件記帳台」という。)は,行員の常駐するカウンターの目の前にある。また,本件記帳台の後方(カウンターの反対側)には来店客用の長椅子が設置されていた。さらに,本件支店内には複数の防犯カメラ(店内の様子を毎秒1コマ単位で記録するもの)が設置されており,店内における顧客等の動静は,いずれかのカメラによりほとんど漏れなく記録される仕組みとなっていた。

 (2) Aは,本件当日午前9時17分頃本件支店に来店し,本件記帳台で作業した後,午前9時20分頃本件記帳台を離れたが,その際,本件封筒を本件記帳台上に置き忘れた。

 (3) 被告人は,Aが本件記帳台を離れた直後頃本件支店に来店し,午前9時22分頃まで本件記帳台で作業した後,本件記帳台を離れ,発券機で番号票を取り,ATMコーナーで通帳に記帳し,カウンターで行員に預金の払戻手続を依頼するなどした後,午前9時24分頃本件記帳台付近に戻り,10秒間ほど,右手を本件記帳台の上に置いた状態でその側に立っていた。その後,被告人は本件記帳台を離れ,午前9時31分頃預金の払戻しを受けて本件支店を退店するまでの間,本件記帳台に近づくことはなかった。その当時,本件支店内には,相当数の行員と来店客がおり,来店客の中には,本件記帳台の後方に設置された長椅子に座っていた者もいた。また,被告人は,この間に2名の知人に出会い,会話を交わしている。

 (4) 被告人の退店後,本件支店の行員が,本件記帳台上に置かれた本件封筒を発見したが,その時点で,本件封筒内には,三つ折りにされた振込用紙2枚のみが在中しており,現金は在中していなかった。この間,本件記帳台を利用したのは,Aと被告人の2名だけであった。

 2 原判決及び第1審判決を是認できない理由

 (1) 前記のとおり,第1審判決は,A及びBの各証言に基づき,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これをいわば動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断したものであり,原判決は,その判断を是認したものである。

 (2) Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたことを前提とすれば,防犯カメラの記録上,本件支店の行員以外に本件封筒に触れることのできた人物は,被告人しかいないから,必然的に被告人が窃盗に及んだと認定されることになる。しかしながら,本件封筒内に現金が在中していたとの前提をひとまずおいて,他の証拠から被告人が本件封筒を窃取したと認定できるかどうかについてみると,本件では,そのような認定をちゅうちょせざるを得ない次のような事情が存在する。

 ア 本件支店内の被告人の様子は,防犯カメラによってほとんど漏れなく記録されている。被告人が1回目に本件記帳台を離れる際,本件記帳台の上面から何かを取り上げたように見えるものの,それが記入済みの払戻請求書や預金通帳ではなく,本件封筒であるとは確認できない(なお,取り上げた物が何であるかに関する被告人の供述には変遷があるが,いずれも記憶に基づく供述というよりは,防犯カメラの映像上何かを取り上げたように見えることについての弁明というべきところ,そのような弁明に変遷があるからといって,取り上げた物が本件封筒であるとの推認が可能になるわけではないし,直ちに被告人の供述全般の信用性が損なわれるわけでもない。)。また,被告人が本件封筒を持ち歩いている場面や,その中から内容物を取り出す場面も確認できない(被告人がズボンの右ポケットに手を入れたり,シャツの左胸付近に何かを接触させたりする場面は確認できるものの,それが,本件封筒やその内容物をポケット等に出し入れする動作であるとは確認できない。)。そして,被告人が,本件記帳台に本件封筒を戻す場面も確認できない。

 イ 本件封筒には,三つ折りの振込用紙2枚が在中していたところ,これを残して現金(Bの証言を前提とすれば紙幣12枚と硬貨2枚)のみを抜き取るには,複数の動作が必要であり,相応の時間を要すると考えられる。本件支店内に設置された防犯カメラは,毎秒1コマを記録する目の粗いものであり,かつ,被告人がATM機の前に立っている時間帯については,背後からの映像しかないものの,被告人がそのような動作をしているように見える場面は存在しない(原判決は,被告人がロビーとATMコーナーを往復する際の動作の一部や,ATM機を操作している際の被告人の手元等が防犯カメラの死角となっていることを指摘して,被告人には本件封筒から現金を抜き取り,これをポケット等に隠す機会があったと認められる旨説示するが,被告人がそのような動作をしているとみられる場面を具体的に指摘するものではない。なお,被告人が,本件支店内の防犯カメラの設置位置や死角を熟知していたと認めるべき事情はうかがわれないのであるから,たまたま防犯カメラの死角となる位置で現金を抜き取るなどした可能性を否定することはできないにしても,その可能性が高いなどとはいえない。)。

 ウ そもそも,銀行に防犯カメラが設置されていることは公知の事実である上,行員や来店客の視線も意識せざるを得ない状況の中,本件封筒を窃取した者がいるとしても,わざわざその店舗内で本件封筒から現金を抜き取り,封筒だけを本件記帳台に戻すような行為をするとは考えにくい。被告人は,本件記帳台を離れてから預金の払戻しを受けて退店するまで,10分近く本件支店に滞在しており,そのような危険を冒すとは一層考えにくい。

 (3) 以上は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情ということができる。このような事情が認められる以上,Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたとの前提を確実なものと考えてよいかどうかについて,特に慎重な検討を要するというべきである。本件では,A及びBの各証言の信用性評価が問題となり得るところ,以下のとおり,この点に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえない。

 ア 第1審判決は,Aの証言が一貫しており,迫真性があることや,AはBの指示により市県民税の納入を行うつもりで本件支店に赴いており,本件封筒の中に現金が在中していないのに,その事実に気付かず,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難いことなどを指摘して,Aの証言の信用性を肯定し,そうすると,本件封筒に現金を入れた旨のBの証言も十分に信用できると判断した。原判決は,以上に加えて,本件封筒に市県民税2か月分合計6万6600円分の振込用紙2枚が在中していたことや,本件封筒の表面に「66,600- ⑩⑪月分」と記載されていたことを指摘し,これらの事実は本件封筒に現金6万6600円を入れたとするBの証言と整合し,その信用性を高めるものであること,本件封筒に三つ折りの振込用紙2枚に加えて,紙幣12枚と硬貨2枚が入れられていた場合には,相応の重量及び厚みになるから,Bが本件封筒に現金を入れるのを忘れるなどしていたとしても,Aがそれに気付かないまま,本件封筒に必要な現金が入っていると思い込み,これを本件支店まで持参したとは考えにくいことを指摘して,第1審判決の判断を支持した。

 イ 現金が在中しているのを確認したとの点に関するAの証言の要旨は,「本件当日の朝,処理を要する通帳等を入れていた専用のケースの中から本件封筒を取り出し,通帳や固定資産税の冊子とともに輪ゴムでくくり,巾着袋に入れた上,かばんに入れて銀行に持参した。本件封筒の表には6万6600円と書かれており,中をのぞいたところ,1万円札が数枚と,千円札と,あと硬貨が入っているのが分かった。封筒の感触からもお金が入っていることが分かった。」というものであり,本件封筒から現金を取り出して数えたというものではない上,Aは,Bの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたというのであるから,仮に本件当日の記憶がなくても,上記のような証言をすることは容易といえる。したがって,上記のようなAの証言について,迫真性があるとしてその信用性を高く評価することは相当ではない。

 ウ また,本件当日,Aが市県民税を納入する用務だけのために本件封筒のみを持ち出して外出したというのであれば,確かに現金の入っていない封筒を持参したとは考え難いし,現金が入っていないならば気付くはずであるとも考えやすい。しかし,本件では,Aは,本件支店において,市県民税を納入する用務の他に,預金を払い戻した上で固定資産税を納入する用務を予定しており,本件封筒の他に通帳や固定資産税の冊子を束ねて持参している上,預金の払戻しと固定資産税の納入については予定どおり実行する一方で,本件封筒については本件記帳台上に置き忘れ,市県民税を納入しないまま本件支店を退店し,Bからの連絡を受けて初めて本件封筒を本件支店に置き忘れたことに気付いたというのである。そうすると,市県民税等の納入を行うつもりで本件支店に赴いているのであり,かつ,現金が入れられていれば相応の重量と厚みになるのであるから,現金の在中していない,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難い,との評価も相当とはいえない。また,原判決の認定によれば,Aは,通帳及び固定資産税の冊子と一緒にされた束の中から,相応な重量と厚みのある本件封筒だけを本件記帳台に置き忘れたことになる。その可能性の方が,現金の入れられていない封筒を持参した可能性よりも高い,などとはいえないであろう。

 エ Bは,本件封筒に現金6万6600円を入れたことは間違いない旨証言するものの,入れた金種と枚数について,「いつもそうしているので,1万円札と千円札が各6枚,500円硬貨と100円硬貨が1枚であったと思う」旨述べていることから明らかなとおり,日常的にそうしているから,本件前日の夜も同じようにしたに違いないと考えて証言をしている可能性もある。また,本件封筒に入れたとする現金の出所については,個人で自由に使えるお金の中から出したと述べるのみで,それ以上に具体的な証言をしておらず,何らの裏付け立証もされていない。本件封筒に在中していた振込用紙2枚の合計金額が6万6600円であり,本件封筒の表面に「66,600- ⑩⑪月分」等と記載されている点も,6万6600円を入れようとしたことの裏付けになるとはいえても,実際に入れたことの裏付けになるわけではない。

 オ 複数名の証言が一致していることは,通常,各証言の信用性を高め合うものといえるが,A,Bの関係性,とりわけAがBの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたことや,AとBが,本件封筒に現金は在中していなかった旨行員から知らされた直後に,現金を入れたかどうかを確認する会話をしていること等に照らすと,本件においては,A,Bの証言が一致していることを過度に重視することは相当でない。A,Bにおいては,上記の会話やその後のやり取りを通じ,他日の記憶と混同するなどして,事実と異なる記憶が定着してしまった可能性も否定できないというべきである。

 (4) 以上のとおり,A及びBの各証言の信用性評価に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえず,その他に各証言の信用性を高める方向に働く事情も見当たらない。要するに,A及びBの各証言は高い信用性を有するとまではいえないのであって,そのような証拠に依拠して,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これを動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断した第1審判決及びこれを是認した原判決の判断は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情を無視あるいは不当に軽視した点において,論理則,経験則等に照らして不合理なものといわざるを得ない。被告人が本件公訴事実記載の窃盗に及んだと断定するには,なお合理的な疑いが残るというべきである。

 3 結論

そうすると,被告人に窃盗罪の成立を認めた第1審判決及びこれを是認した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

 そして,既に検察官による立証は尽くされているので,当審で自判するのが相当であるところ,前記のとおり,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないから,被告人に無罪の言渡しをすべきである。

 よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官小貫芳信の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。