毎週末、お泊まりデイに夫を預かってもらっています。
今月は、間を繋げて10日間預かってもらい、私は一人で実家に帰省しました。
実家に行くのは、昨年5月の湯治旅行以来です。
あの時は、親切な駅員さん達に助けられながら、車いすで夫を連れて行ったな~と思いながら新幹線に乗って行ってきました。
母は87歳になり、今年米寿のお祝いです。
夫が認知症の診断を受けた同じ時期、母は雨上がりに滑って転んで、大腿骨を骨折して3ヶ月の入院をしました。
今から丸八年前のことです。
右手首も骨折していたので、しばらくは自分のことを自分でできなくて、辛い思いをしただろうと思います。
自分でお風呂に入りたいとの一心で、リハビリに励んだそうです。
なにしろ、右手が使えないと、タオルを絞ることができませんから。
今では、シルバーカーを押しながらですが普通に歩けますし、また右手もすっかり恢復して、筆で字を書けるまで戻りました。
でも、やっぱり年相応に体も衰えてきたのは否めなく、腰や膝が痛いと訴えています。
滅多に逢えない、後何回逢えるのか...
元気でいて欲しいと思っています。
実家は、母と、弟夫婦、その娘達が3人、一番上の娘=私の姪は結婚して、去年子供が生まれました。
それと、その旦那さんが顔を揃えていました。
近くに住む親戚も交えて、料亭で米寿のお祝いをし、その足で、隣の県にある温泉に行って、一泊して帰って来ました。
温泉では予定していた続き部屋が使えなくなったとのことで、代わりにと提供された部屋が貴賓室!!でした。
部屋に行くまで、両開きのドアが3つもあるような、広々とした造りでした。
12畳位の和室と、7畳位の畳の通路、それから、琉球畳が敷いてある囲炉裏を切った部屋、ベッドが2つの洋間が私たちが泊まった区画で、もう一つの区画は、広いリビング風の洋間がありソファがおいてありました。その他に和室が二間。
この区画の間の仕切りのドアを開放してもらって使いました。
大浴場も広々として気持ちよく、母にとって、思いがけず素晴らしい米寿のお祝いになりました。
姪の子供、なんて呼ぶのか知りませんでしたが、検索したところ、姪孫(てっそん)・又甥(またおい)と呼ぶのだそうです。
一歳を過ぎたところで、かわいい盛りです。
歩くのがちょっと遅かったらしく、丁度この日に、2,3歩歩けたとみんなで大喜びしていました。
広いリビング風の洋間のじゅうたんの上で、歩いては転び、すぐまた立ち上がって歩いていました。
この子に対する世話を見ていると、夫にしている世話とほとんど同じだと気がつきました。
食事、おむつ、話しかけ、etc。
でも、この子には未来がある。
今、ちゃんと歩けなくても、すぐに歩けるようになる。
言葉が話せなくても、すぐに話せるようになる。
比べること自体、無意味ですが、私はその明暗の大きさに、めまいがしそうでした。
家に戻り、夫も戻ってきて、いつもの生活が再開しました
長期間お泊まりデイで過ごした割には、とても反応がよく、一安心しました。
ただ、また喉のゼロゼロがでてきていました。
やっぱり痰切り薬を飲ませる必要があるようです。
歩行は、私はもう一人では歩かせられないけど、デイでは歩かせてくれたらしく、両側から支えれば、足が前にでていました。
歯を磨いた後、口を漱ぐとき、いつもは、歯ブラシを口の中にいれて、無理矢理?水を出させるのですが、なんと、ブクブクぺっができました。
一回だけで、二回目はいつも通りでしたが、ヘルパーさんと二人ですごいねーと喜びました。
帰って来た週の木曜日、アメリカに住む友人が訪ねて来てくれました。
実家が割と近いところにあるので、日本に帰ってくる度に会いに来てくれます。
今回は旦那様と一緒に来てくれました。
旦那様はアメリカ人ですが、とっても誠実な優しい方で、私にもわかる英語を話してくれます。
夫と4人で、おいしい中華料理を食べに行こうと思って、お店に予約をしていました。
木曜日は、足浴の日です。
いつもなら、ヘルパーさんに二階まで送ってもらうのですが、この日は一階の寝室で、彼女たちを待ち、そのまま出かけるつもりでした。
ところが、指定した時間より、1時間も早く到着してしまったのです。
まだ夫の介助、全開中で、にっちもさっちも行かなくなりました。
とりあえず、二階に上がってもらって、飲み物を出して待ってもらうことにしました。
その後も、放っておく訳にはいかず、夫の体を拭いたり、保湿剤を塗ったり、ヘルパーさんに冷たい飲み物を用意したりしながら、私は、何度も階段を駆け上がったり降りたりしていました。
やっと落ち着いて、夫を寝室のロッキングチェアに座らせ、飲み物を飲ませ、服を整えて、私も外出できる支度をして、二階に二人を迎えに行きました。
そして、寝室に戻ってみると....
夫は床に転がっていました...。
慌てて駆け寄り、夫の名前を呼びました。
夫は、額にうっすらと傷がありましたが、極く普通の様子をしていました。
さっき着せた外出着は、ズボンから、シャツから、濡れていました。
なんて私は不注意なんでしょう。
以前もロッキングチェアに座らせて、二階で食事の支度をし、戻ってみたら、床に倒れていたことがありました。
その時はもう自分で立ち上がることはしなくなっていた頃なので、つい油断をしていたのです。
それ以来、ドアの下に挟む三角形のドアストッパーを二つ買ってきて、私がその場を離れる時には、ロッキングチェアの足の下に挟んでいました。
今回も、挟んではいたのですが、片方がずれて、外れていました。
夫はおそらく、尿意を催して、トイレに行こうと立ち上がったのだと思います。
喜んでいる場合じゃないですが、私は、夫が立とうとしたことに驚き、嬉しくなりました。
でもー...
お願いだから、私のいるときに立とうとしてねっ(>_<)
お医者さんに連れて行って、CTを撮ってもらうことも考えましたが、全く普通の様子をしているし、どのみち、1,2ヶ月したら、もしかして症状がでるかもしれないので、気をつけて下さいと言われるだけだろうと判断し、やめておきました。
友人に手伝ってもらい、着替えさせたりして、時間も遅くなってしまいました。
友人は、食べに行かなくても、出前をとればいいと言うので、残念だけどそうすることにしました。
友人が階段を登らせるのを手伝ってくれました。
最近では、足を持ち上げてやらないと登れなくなっていて、そのタイミングがとても難しくなってきています。
それでも友人は一生懸命手伝ってくれました。
ダイニングに座った後も、夫の手を取り、ずっと話しかけてくれました。
夫は、彼女たちをもう覚えていない筈なのに、二人を見て、くつろいだ様子をしていました。
ひさびさに遠い所に住む友人と、ゆっくりおしゃべりできて、楽しかったです。
おまけ:英語では、姪孫のことを、grandnephew/grandnieceと呼ぶそうです。
わかりやすい。(笑
いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです
↓

にほんブログ村
今月は、間を繋げて10日間預かってもらい、私は一人で実家に帰省しました。
実家に行くのは、昨年5月の湯治旅行以来です。
あの時は、親切な駅員さん達に助けられながら、車いすで夫を連れて行ったな~と思いながら新幹線に乗って行ってきました。
母は87歳になり、今年米寿のお祝いです。
夫が認知症の診断を受けた同じ時期、母は雨上がりに滑って転んで、大腿骨を骨折して3ヶ月の入院をしました。
今から丸八年前のことです。
右手首も骨折していたので、しばらくは自分のことを自分でできなくて、辛い思いをしただろうと思います。
自分でお風呂に入りたいとの一心で、リハビリに励んだそうです。
なにしろ、右手が使えないと、タオルを絞ることができませんから。
今では、シルバーカーを押しながらですが普通に歩けますし、また右手もすっかり恢復して、筆で字を書けるまで戻りました。
でも、やっぱり年相応に体も衰えてきたのは否めなく、腰や膝が痛いと訴えています。
滅多に逢えない、後何回逢えるのか...
元気でいて欲しいと思っています。
実家は、母と、弟夫婦、その娘達が3人、一番上の娘=私の姪は結婚して、去年子供が生まれました。
それと、その旦那さんが顔を揃えていました。
近くに住む親戚も交えて、料亭で米寿のお祝いをし、その足で、隣の県にある温泉に行って、一泊して帰って来ました。
温泉では予定していた続き部屋が使えなくなったとのことで、代わりにと提供された部屋が貴賓室!!でした。
部屋に行くまで、両開きのドアが3つもあるような、広々とした造りでした。
12畳位の和室と、7畳位の畳の通路、それから、琉球畳が敷いてある囲炉裏を切った部屋、ベッドが2つの洋間が私たちが泊まった区画で、もう一つの区画は、広いリビング風の洋間がありソファがおいてありました。その他に和室が二間。
この区画の間の仕切りのドアを開放してもらって使いました。
大浴場も広々として気持ちよく、母にとって、思いがけず素晴らしい米寿のお祝いになりました。
姪の子供、なんて呼ぶのか知りませんでしたが、検索したところ、姪孫(てっそん)・又甥(またおい)と呼ぶのだそうです。
一歳を過ぎたところで、かわいい盛りです。
歩くのがちょっと遅かったらしく、丁度この日に、2,3歩歩けたとみんなで大喜びしていました。
広いリビング風の洋間のじゅうたんの上で、歩いては転び、すぐまた立ち上がって歩いていました。
この子に対する世話を見ていると、夫にしている世話とほとんど同じだと気がつきました。
食事、おむつ、話しかけ、etc。
でも、この子には未来がある。
今、ちゃんと歩けなくても、すぐに歩けるようになる。
言葉が話せなくても、すぐに話せるようになる。
比べること自体、無意味ですが、私はその明暗の大きさに、めまいがしそうでした。
家に戻り、夫も戻ってきて、いつもの生活が再開しました
長期間お泊まりデイで過ごした割には、とても反応がよく、一安心しました。
ただ、また喉のゼロゼロがでてきていました。
やっぱり痰切り薬を飲ませる必要があるようです。
歩行は、私はもう一人では歩かせられないけど、デイでは歩かせてくれたらしく、両側から支えれば、足が前にでていました。
歯を磨いた後、口を漱ぐとき、いつもは、歯ブラシを口の中にいれて、無理矢理?水を出させるのですが、なんと、ブクブクぺっができました。
一回だけで、二回目はいつも通りでしたが、ヘルパーさんと二人ですごいねーと喜びました。
帰って来た週の木曜日、アメリカに住む友人が訪ねて来てくれました。
実家が割と近いところにあるので、日本に帰ってくる度に会いに来てくれます。
今回は旦那様と一緒に来てくれました。
旦那様はアメリカ人ですが、とっても誠実な優しい方で、私にもわかる英語を話してくれます。
夫と4人で、おいしい中華料理を食べに行こうと思って、お店に予約をしていました。
木曜日は、足浴の日です。
いつもなら、ヘルパーさんに二階まで送ってもらうのですが、この日は一階の寝室で、彼女たちを待ち、そのまま出かけるつもりでした。
ところが、指定した時間より、1時間も早く到着してしまったのです。
まだ夫の介助、全開中で、にっちもさっちも行かなくなりました。
とりあえず、二階に上がってもらって、飲み物を出して待ってもらうことにしました。
その後も、放っておく訳にはいかず、夫の体を拭いたり、保湿剤を塗ったり、ヘルパーさんに冷たい飲み物を用意したりしながら、私は、何度も階段を駆け上がったり降りたりしていました。
やっと落ち着いて、夫を寝室のロッキングチェアに座らせ、飲み物を飲ませ、服を整えて、私も外出できる支度をして、二階に二人を迎えに行きました。
そして、寝室に戻ってみると....
夫は床に転がっていました...。
慌てて駆け寄り、夫の名前を呼びました。
夫は、額にうっすらと傷がありましたが、極く普通の様子をしていました。
さっき着せた外出着は、ズボンから、シャツから、濡れていました。
なんて私は不注意なんでしょう。
以前もロッキングチェアに座らせて、二階で食事の支度をし、戻ってみたら、床に倒れていたことがありました。
その時はもう自分で立ち上がることはしなくなっていた頃なので、つい油断をしていたのです。
それ以来、ドアの下に挟む三角形のドアストッパーを二つ買ってきて、私がその場を離れる時には、ロッキングチェアの足の下に挟んでいました。
今回も、挟んではいたのですが、片方がずれて、外れていました。
夫はおそらく、尿意を催して、トイレに行こうと立ち上がったのだと思います。
喜んでいる場合じゃないですが、私は、夫が立とうとしたことに驚き、嬉しくなりました。
でもー...
お願いだから、私のいるときに立とうとしてねっ(>_<)
お医者さんに連れて行って、CTを撮ってもらうことも考えましたが、全く普通の様子をしているし、どのみち、1,2ヶ月したら、もしかして症状がでるかもしれないので、気をつけて下さいと言われるだけだろうと判断し、やめておきました。
友人に手伝ってもらい、着替えさせたりして、時間も遅くなってしまいました。
友人は、食べに行かなくても、出前をとればいいと言うので、残念だけどそうすることにしました。
友人が階段を登らせるのを手伝ってくれました。
最近では、足を持ち上げてやらないと登れなくなっていて、そのタイミングがとても難しくなってきています。
それでも友人は一生懸命手伝ってくれました。
ダイニングに座った後も、夫の手を取り、ずっと話しかけてくれました。
夫は、彼女たちをもう覚えていない筈なのに、二人を見て、くつろいだ様子をしていました。
ひさびさに遠い所に住む友人と、ゆっくりおしゃべりできて、楽しかったです。
おまけ:英語では、姪孫のことを、grandnephew/grandnieceと呼ぶそうです。
わかりやすい。(笑
いつもありがとうございます。
クリックして頂けると嬉しいです
↓

にほんブログ村