滞在の終わりの2日前、遠路はるばる姉が来てくれました。
姉が来てくれて、私はとっても楽になりました。
助かったのは、朝、ベッドから起こすときです。
一人ではあんなに大変だったのに、二人だと簡単に起こすことができました。

姉がいてくれると、お風呂の後、食事部屋で、私が行くまで若主人に付き添ってもらう必要がなくなります。
夫を上がらせた後、私はゆっくりとお風呂に入ることができました。

3人で手を繋いで、いつものところへお散歩に行きました。
そこのそばに、古い洋館があり、コーヒーなどを飲むことができました。
暑い日だったので、夫にはかき氷を食べさせました。
のんびりと穏やかな時間が流れました。

寝る直前まで姉は私たちの部屋にいて、着替えやら、ベッドに寝かせるのやらを手伝ってくれました。

最終日の朝、3人でゆっくりと最後のお風呂に入りました。
朝食をおいしく頂きました。
宿の精算を終え、これまでのお礼を言い、荷物を詰めて、宅急便で出してもらうように頼みました。
介護ベッドの返却立ち会いもお願いしました。
若主人が、新幹線の駅まで送ってくれました。


ここまでは順調に来たのですが...。

東京駅に間もなく到着するという時、異臭が漂いました。
時計を見ると、後13分しかありませんでした。
私はどうしていいかわかりませんでした..。

滞在中の、下痢便がパンツにあふれていたのを思い出しました。
やはりこのままにしてはおけないと腹を決め、私は夫をトイレに連れて行きました。

幸い下痢便ではありませんでした。
でも大量に出ていて、べったりと肌についてしまっていました。
夜用の幅が広い尿取りパッドを使っていたので、ほとんどをそれで受けていましたが、パンツにも多少はみ出していました。
もうズボンを脱がせてパンツを替える時間はありませんでした。
私は尿取りパッドだけ新しいのに変えることにしました。

お尻周りに大量に便がついていました。
私は手が汚れるのも構わずに必死になって拭きました。
そうこうしているうちに、東京駅に到着してしまいました。
この電車は、車内清掃の後、折り返し運転になる電車でした。

停車時間が短いので、ものすごく焦りました。
焦ってもなかなかきれいになりません。
絶体絶命の感じでした。
姉が荷物全部と、車いすを持ってきてくれ、ドアのそばで、辺りの人たちに事情を説明し、謝ってくれていました。
私一人ではどうにもならなかったことでしょう。
姉がいてくれて、本当に助かりました。

やっとトイレから出られたのは、発車6分前でした。
清掃の方達にはほんとにご迷惑をかけてしまいました。

その後、電車を乗り継いで、駅からは介護タクシーに来てもらい、家まで送ってもらいました。
姉も一緒についてきてくれました。
汚れををシャワーで洗っている間、体を支えていてくれました。
おむつをつけ、パジャマを着せ、寝室にある椅子に座らせるまで付き添ってくれました。

もう二階には登らせないで、寝室で簡単な食事を食べさせて寝かせました。



こうして私たちの湯治旅行は終わりました。

初めから無謀に近いというのはわかっていたし、いろいろなトラブルは覚悟の上でした。
それでも、その度にあたふたと慌てふためきました。

自分で処理できることは、なんとかやりました。
でも、自分の力ではどうにもならない事が多々ありました。
本当にありがたいことに、もうだめだ..と思った時に、いつも救いの手があり、助けてもらえました。

そして、この状態の私たちにしては、考え得る中で最高の時を過ごさせてもらいました。

JRの駅員さんを始め、出会った人たちはみんな親切な人ばかりでした。
若主人、宿の人たち、長男さんには本当にお世話になりました。


夫はもう何も覚えてはいません。
でも、きっと、その時々を楽しんでくれたことだろうと思います。


多くの方々の暖かい心に感謝、そして感謝です。