2週間の湯治から帰ってきました。
柳の下の二匹目のどじょうは発見できず、奇跡は起こりませんでした。
でも先ほど夫をお泊まりデイに送り出した後、私は全身の疲れにぐったりとしながらも、やっぱり連れて行ってよかったとしみじみ思っています。
行く前から、我ながら無謀なことをしてるなと思いながらの温泉旅行でした。
現地に行ってから買い物をする機会がないのはわかっていましたので、持って行くものリストを入念に作って揃えました。
大きなスーツケースいっぱいの衣類と日常に必要なもの、大きめの段ボール二つは、ほぼおむつ関係でいっぱいになりました。
頼んでいた宅配の集荷のちょっと前に、何気なくタンスを開け水着を発見しました。
あ、これもいるかもと思ってスーツケースに詰め込みました。
天の助けとはこのことかもしれません。
この水着がなかったら、この湯治は成り立たず、無残な結果に終わってしまったろうと思います。
往きは信じられないくらいスムーズに事が運びました。
車いすで乗せられる介護タクシーに家まで迎えにきてもらい、JRの駅まで送ってもらいました。
切符を買うときに車いすだと言いましたら、全部の駅で駅員さんが付き添う手配をしてくれました。
義妹が車で迎えに来てくれていました。
今ではもう自力で車に乗り込むことができず、二人がかりで抱え上げて乗せなければならないのですが、駅員さんはそれも手伝ってくれました。
一旦実家に行きました。
そこに旅館の車が迎えに来てくれ、母も交えて温泉に出発しました。
母は最初の2泊を一緒に泊まってくれることになっていました。
長旅にもかかわらず、夫は元気そうでした。
旅館に着いて一息いれた後、早速お風呂に入れることにしました。
旅館のホームページで見た家族風呂の写真は、檜の縁が回っていて、立ち上がりがあるように見えたのですが、実際に行ってみると、厚さ5㎝位の檜の縁は洗い場に直に接していました。
写真通りに、浴槽の中に段があり、腰掛けられるようになっていました。
この前のてんかん発作以来、立位が不安定な夫を支えながら服を脱がせ、洗い場まで連れて行き、そこから支える手すりもない浴槽に入れるのは至難の業でした。
なんとか倒れずに浴槽に入れ、中の段に腰掛けさせたときには、疲労困憊していました。
夫はそんな私の苦労も知らず、上機嫌で、にこにこしていました。
しばらく半身浴状態で段に座っていましたが、そのうち、そろそろと脚を伸ばし始めました。
夫が自分から動くのはとても珍しいので、私は興味津々で見守っていました。
夫は上手に体を浮かせながら、頭を檜の縁に載せました。
目を閉じてとても気持ち良さそうでした。
気持ちいい?と聞くと、はっきりとうんと言いました。
あ~やっぱり連れてきてよかったなーと思いました。
問題はその後です。
もうそろそろ上がろうねと声かけしても、夫は目を閉じたまま反応しませんでした。
引っ張って持ち上げようとしても、水の中にもかかわらず夫の体は私の自由にはなりませんでした。
私は自分の見通しの甘さを後悔しました。
家の浴槽から立ち上がれなくなっては、その度に誰かに助けてもらい、入浴介助のサービスを利用し始めたのがほぼ1年前のことです。
私は立ち上がらせるのがどのくらい大変かをすっかり忘れていました。
それと、家の浴槽はお尻を底につけた状態から立ち上がらせるけど、ここのは腰掛けた状態から立ち上がらせるのだから、私にもできるだろうと思い込んでいました。
浴槽の縁を跨ぐのは未だにできるのだから、手すりがなくとも、縁に捕まらせて跨がせればいいと考えていました。
このままにしておいたら、のぼせてしまう..
私は焦りました。
夫を置き去りにするのはものすごく不安でしたが、背に腹は代えられません。
私は上がって服を着て、廊下に出て助けを求めました。
夕食の配膳をしている若い男の人がいました。
私は事情を話しました。男の人はすぐお風呂場に来てくれました。
そして浮かんでいる夫を引き上げてくれました。
一旦檜の縁に腰掛けさせ、そこから段の上に立たせました。
手を引いて誘導すると、夫は簡単に足を上げて檜の縁に乗り、そこから洗い場に降り立ちました。
男の人はこの旅館の若主人でした。
当然私たちが来ているのは知っていて、土日はお客さんが沢山いるので無理だけど、平日はお手伝いしますと言ってくれました。
滞在中、土日を除いて、ほぼ毎日、朝と夕方の二回、部屋まで迎えに来てくれました。
服を脱がせる間、洗い場でシャワーをかけている間、夫の体を支えていてくれて、その後、浴槽に入れてくれました。
他のお客さん達の食事の配膳の仕事があるので、それとかけもちで夫の面倒を見てくれました。時間を打ち合わせして、戻ってきて、夫を浴槽から引き上げてくれました。
10分後に戻れると言われれば、それに合わせて夫の入浴をコントロールしました。
7分を半身浴、3分を体を浮かせる寝浴(?)というふうに。
全身がお湯に浸かって3分位経つと、額がしっとり汗ばんでくるので、たぶん、この位がちょうどいいかと思いました。
毎回、夫は本当に気持ち良さそうでした。
連れてきてよかった..毎回私はそう思いました。
若主人がこれなかった数回は、介護用のシャワーチェアに座らせて、何度も何度も、かけ湯をしました。
お湯に浸からせてあげたいけど、それはできないことでした。
若主人がいて、快く手伝ってくれて、私は水着を持ってきていて..
どれかひとつが欠けても、夫は折角行った温泉に入ることは叶いませんでした。
どんなに幸運だったかと改めて思います。
この温泉は、450年前に発見された歴史の古い温泉です。
源泉かけ流しで、弱アルカリ性の無色透明のきれいなお湯が、こんこんと沸いています。
古い言い伝えがあり、今でも頭や目に良く効くと言われているそうです。
夫の場合は、こころなしか、反応が良くなり、いつもより私の言葉を理解してくれているように思えました。
時々、ごにょごにょと言葉を発したりもしていました。
でも、それは他の要因からかもしれず、目立って変わったわけではないので、なんとも言えません。
泊まった旅館は、築80年の古い和風の建物で、障子や手の込んだ欄間の細工が素晴らしく、趣のある旅館です。
でもその代わり、至る所に段差があり、トイレも共同で狭く、障害者には全く優しくない造りでした。
健常者にはなんでもないことでも、障害者を抱えてみると、うはーどうしよう..と思う事が多々ありました。
散歩に連れ出したくても、玄関に手すりも腰掛けもないので、靴を履かせることができません。
そのためだけに、車いすを玄関まで運んで、それに座らせ、靴を履かせました。
二人がかりならば、上体を支えてもらって、片足を上げさせ、靴を履かせることができます。
時々お掃除に来ている人たちが手伝ってくれました。
障害者に不便な分を、思いやりのある暖かな心が補ってくれていた感じでした。
いろいろな事でずいぶん助けてもらいました。
お料理のこと、お散歩で行ったところのこと、絶体絶命と思ったこと、思いがけない人との出会い、そして感謝。
いっぱい書きたいことがありますが、さすがに2週間という期間は長くて一度には書き切れません。
これからぼちぼちと、思い出しながら書き綴って行こうと思っています。
柳の下の二匹目のどじょうは発見できず、奇跡は起こりませんでした。
でも先ほど夫をお泊まりデイに送り出した後、私は全身の疲れにぐったりとしながらも、やっぱり連れて行ってよかったとしみじみ思っています。
行く前から、我ながら無謀なことをしてるなと思いながらの温泉旅行でした。
現地に行ってから買い物をする機会がないのはわかっていましたので、持って行くものリストを入念に作って揃えました。
大きなスーツケースいっぱいの衣類と日常に必要なもの、大きめの段ボール二つは、ほぼおむつ関係でいっぱいになりました。
頼んでいた宅配の集荷のちょっと前に、何気なくタンスを開け水着を発見しました。
あ、これもいるかもと思ってスーツケースに詰め込みました。
天の助けとはこのことかもしれません。
この水着がなかったら、この湯治は成り立たず、無残な結果に終わってしまったろうと思います。
往きは信じられないくらいスムーズに事が運びました。
車いすで乗せられる介護タクシーに家まで迎えにきてもらい、JRの駅まで送ってもらいました。
切符を買うときに車いすだと言いましたら、全部の駅で駅員さんが付き添う手配をしてくれました。
義妹が車で迎えに来てくれていました。
今ではもう自力で車に乗り込むことができず、二人がかりで抱え上げて乗せなければならないのですが、駅員さんはそれも手伝ってくれました。
一旦実家に行きました。
そこに旅館の車が迎えに来てくれ、母も交えて温泉に出発しました。
母は最初の2泊を一緒に泊まってくれることになっていました。
長旅にもかかわらず、夫は元気そうでした。
旅館に着いて一息いれた後、早速お風呂に入れることにしました。
旅館のホームページで見た家族風呂の写真は、檜の縁が回っていて、立ち上がりがあるように見えたのですが、実際に行ってみると、厚さ5㎝位の檜の縁は洗い場に直に接していました。
写真通りに、浴槽の中に段があり、腰掛けられるようになっていました。
この前のてんかん発作以来、立位が不安定な夫を支えながら服を脱がせ、洗い場まで連れて行き、そこから支える手すりもない浴槽に入れるのは至難の業でした。
なんとか倒れずに浴槽に入れ、中の段に腰掛けさせたときには、疲労困憊していました。
夫はそんな私の苦労も知らず、上機嫌で、にこにこしていました。
しばらく半身浴状態で段に座っていましたが、そのうち、そろそろと脚を伸ばし始めました。
夫が自分から動くのはとても珍しいので、私は興味津々で見守っていました。
夫は上手に体を浮かせながら、頭を檜の縁に載せました。
目を閉じてとても気持ち良さそうでした。
気持ちいい?と聞くと、はっきりとうんと言いました。
あ~やっぱり連れてきてよかったなーと思いました。
問題はその後です。
もうそろそろ上がろうねと声かけしても、夫は目を閉じたまま反応しませんでした。
引っ張って持ち上げようとしても、水の中にもかかわらず夫の体は私の自由にはなりませんでした。
私は自分の見通しの甘さを後悔しました。
家の浴槽から立ち上がれなくなっては、その度に誰かに助けてもらい、入浴介助のサービスを利用し始めたのがほぼ1年前のことです。
私は立ち上がらせるのがどのくらい大変かをすっかり忘れていました。
それと、家の浴槽はお尻を底につけた状態から立ち上がらせるけど、ここのは腰掛けた状態から立ち上がらせるのだから、私にもできるだろうと思い込んでいました。
浴槽の縁を跨ぐのは未だにできるのだから、手すりがなくとも、縁に捕まらせて跨がせればいいと考えていました。
このままにしておいたら、のぼせてしまう..
私は焦りました。
夫を置き去りにするのはものすごく不安でしたが、背に腹は代えられません。
私は上がって服を着て、廊下に出て助けを求めました。
夕食の配膳をしている若い男の人がいました。
私は事情を話しました。男の人はすぐお風呂場に来てくれました。
そして浮かんでいる夫を引き上げてくれました。
一旦檜の縁に腰掛けさせ、そこから段の上に立たせました。
手を引いて誘導すると、夫は簡単に足を上げて檜の縁に乗り、そこから洗い場に降り立ちました。
男の人はこの旅館の若主人でした。
当然私たちが来ているのは知っていて、土日はお客さんが沢山いるので無理だけど、平日はお手伝いしますと言ってくれました。
滞在中、土日を除いて、ほぼ毎日、朝と夕方の二回、部屋まで迎えに来てくれました。
服を脱がせる間、洗い場でシャワーをかけている間、夫の体を支えていてくれて、その後、浴槽に入れてくれました。
他のお客さん達の食事の配膳の仕事があるので、それとかけもちで夫の面倒を見てくれました。時間を打ち合わせして、戻ってきて、夫を浴槽から引き上げてくれました。
10分後に戻れると言われれば、それに合わせて夫の入浴をコントロールしました。
7分を半身浴、3分を体を浮かせる寝浴(?)というふうに。
全身がお湯に浸かって3分位経つと、額がしっとり汗ばんでくるので、たぶん、この位がちょうどいいかと思いました。
毎回、夫は本当に気持ち良さそうでした。
連れてきてよかった..毎回私はそう思いました。
若主人がこれなかった数回は、介護用のシャワーチェアに座らせて、何度も何度も、かけ湯をしました。
お湯に浸からせてあげたいけど、それはできないことでした。
若主人がいて、快く手伝ってくれて、私は水着を持ってきていて..
どれかひとつが欠けても、夫は折角行った温泉に入ることは叶いませんでした。
どんなに幸運だったかと改めて思います。
この温泉は、450年前に発見された歴史の古い温泉です。
源泉かけ流しで、弱アルカリ性の無色透明のきれいなお湯が、こんこんと沸いています。
古い言い伝えがあり、今でも頭や目に良く効くと言われているそうです。
夫の場合は、こころなしか、反応が良くなり、いつもより私の言葉を理解してくれているように思えました。
時々、ごにょごにょと言葉を発したりもしていました。
でも、それは他の要因からかもしれず、目立って変わったわけではないので、なんとも言えません。
泊まった旅館は、築80年の古い和風の建物で、障子や手の込んだ欄間の細工が素晴らしく、趣のある旅館です。
でもその代わり、至る所に段差があり、トイレも共同で狭く、障害者には全く優しくない造りでした。
健常者にはなんでもないことでも、障害者を抱えてみると、うはーどうしよう..と思う事が多々ありました。
散歩に連れ出したくても、玄関に手すりも腰掛けもないので、靴を履かせることができません。
そのためだけに、車いすを玄関まで運んで、それに座らせ、靴を履かせました。
二人がかりならば、上体を支えてもらって、片足を上げさせ、靴を履かせることができます。
時々お掃除に来ている人たちが手伝ってくれました。
障害者に不便な分を、思いやりのある暖かな心が補ってくれていた感じでした。
いろいろな事でずいぶん助けてもらいました。
お料理のこと、お散歩で行ったところのこと、絶体絶命と思ったこと、思いがけない人との出会い、そして感謝。
いっぱい書きたいことがありますが、さすがに2週間という期間は長くて一度には書き切れません。
これからぼちぼちと、思い出しながら書き綴って行こうと思っています。