夫の趣味は、スキューバダイビングと、海中を撮影するビデオでした。
二人でいろんなところへ行きました。
パラオとモルディブは毎年のように行きました。
フィイピン、インドネシア、マレーシアなどの東南アジア、オーストラリア、変わったところでクリスマス島、ハワイ、遠くではラパスやグランドケイマンへも行きました。
夫が病気になってからは行けなくなりました。
ただでさえ操作を誤ると危険なことになる遊びです。
不安が先行して、とてもダイビングに行く気になれませんでした。
でも...
あの南の海..
透き通ったエメラルドグリーンの水の色..
もう一回、一緒にあの海を見たいなぁ...
毎日楽しみもなく、無為に過ごしている夫を見るにつけ、連れて行きたい気持ちは消えることがありませんでした。
そんな話を、既に介護を終わられた先輩達とおしゃべりしてるときに話しました。
そのときに、その中の一人が、こう言ってくれました。
連れて行けるうちに連れて行きなさい。
これが最後だと思って連れて行きなさい。
そして、その最後が、何回あってもいいじゃない?
当時、夫はいろいろな事が不自由になっていました。
もう意味が通った言葉を話すことはできませんでした。
私の言うことを理解してくれるときもあり、全くわからないときもありました。
いらいらして、不穏になることが多くなっていました。
あらゆることに拒否が始まっていました。
特に着替えには苦労していました。
外を歩いていると、ふっとどこかへ行ってしまったことが何度かありました。
一人では家に戻れないので、私は青くなって探し回り、幸運だったからとしか思えない状況で見つけ出したりしていました。
まだ普通の布のパンツを履いていましたが、尿意を感じてトイレに行っても間に合わないことがでてきていました。
こういう状況だったのですが、身体能力は元のままでした。
歩くのになんの差し支えもありませんでした。
デイのアクティビティで、水中体操を取り入れているところに行っていて、そこでいつも泳がせてくれていたので、まだ泳げることはわかっていました。
「連れて行けるうち」、それは「今」なんだなと思いました。
もうこれが最後だと思うと、辛くてだめそうでしたが、それが何回あってもいいじゃない?という言葉に救われました。
私は困難を承知で、夫を再び南の海に連れて行くことを決めました。
幸い姉が一緒に行ってくれることになりました。
これで、私がトイレに行っているときに、いなくなってしまう心配が一つ減りました。
行く先は与論島を選びました。
海外はどう考えても無理だったし、与論は新婚旅行で行き、その後も数年通った思い出の地だったからです。
飛行機に乗せられるかどうか心配しました。
乗ってからずっと座っていられるかどうか心配しました。
トイレにちゃんと行ってくれるかどうか心配しました。
私は心配の塊でした..。
そんな心配をよそに、夫は不思議なくらい正常でした。
不穏になることもなく、普通に飛行機に乗って、普通に到着しました。
懐かしい海の色...
ああ、また帰ってきたんだと思いました。
与論島ではコテージを一軒借りました。
いつもはものすごく手こずるお風呂に入るときの脱衣、朝の着替え、全て、え?こんなに楽なの?と思うくらいスムーズでした。
朝食を終えてから、水着に着替えさせて、海に行きました。
持参したシュノーケルや足ひれをつけて、夫は活き活きと泳いでいました。
ボートに乗って沖まで行き、そこから飛び込んで泳ぎました。
時々危なっかしくなるときもありました。
泳いでいてマスクをとってしまったり、ボートの階段を上れなくなったり..
でも概ね楽しんでくれたと思います。
夫の楽しそうな様子を見て、私は幸せでした。
思い切って連れてきて、ほんとによかったと思いました。
滞在中、姉がいてくれたこともあり、私はゆとりを持って夫に接することができました。
たぶん、それがよかったのでしょう。
夫は不穏になることもなく、無事に旅行を終えることができました。
家に帰ってからも、夫は着替えを嫌がらなくなりました。
毎日お風呂に入れたいと思うけど、服を脱がせるのが頭が痛いことでした。
それが、自分で普通に脱げるようになりました。
私にとって嬉しすぎる誤算でした。
夏の間中、それは続きました。
なぜこういう変化があったのか、理由はわかりません。
わずかな期間ではありましたが、夫がほんの少し自分を取り戻してくれた奇跡の時間でした。
あの先輩の言葉..
今も感謝しています。
二人でいろんなところへ行きました。
パラオとモルディブは毎年のように行きました。
フィイピン、インドネシア、マレーシアなどの東南アジア、オーストラリア、変わったところでクリスマス島、ハワイ、遠くではラパスやグランドケイマンへも行きました。
夫が病気になってからは行けなくなりました。
ただでさえ操作を誤ると危険なことになる遊びです。
不安が先行して、とてもダイビングに行く気になれませんでした。
でも...
あの南の海..
透き通ったエメラルドグリーンの水の色..
もう一回、一緒にあの海を見たいなぁ...
毎日楽しみもなく、無為に過ごしている夫を見るにつけ、連れて行きたい気持ちは消えることがありませんでした。
そんな話を、既に介護を終わられた先輩達とおしゃべりしてるときに話しました。
そのときに、その中の一人が、こう言ってくれました。
連れて行けるうちに連れて行きなさい。
これが最後だと思って連れて行きなさい。
そして、その最後が、何回あってもいいじゃない?
当時、夫はいろいろな事が不自由になっていました。
もう意味が通った言葉を話すことはできませんでした。
私の言うことを理解してくれるときもあり、全くわからないときもありました。
いらいらして、不穏になることが多くなっていました。
あらゆることに拒否が始まっていました。
特に着替えには苦労していました。
外を歩いていると、ふっとどこかへ行ってしまったことが何度かありました。
一人では家に戻れないので、私は青くなって探し回り、幸運だったからとしか思えない状況で見つけ出したりしていました。
まだ普通の布のパンツを履いていましたが、尿意を感じてトイレに行っても間に合わないことがでてきていました。
こういう状況だったのですが、身体能力は元のままでした。
歩くのになんの差し支えもありませんでした。
デイのアクティビティで、水中体操を取り入れているところに行っていて、そこでいつも泳がせてくれていたので、まだ泳げることはわかっていました。
「連れて行けるうち」、それは「今」なんだなと思いました。
もうこれが最後だと思うと、辛くてだめそうでしたが、それが何回あってもいいじゃない?という言葉に救われました。
私は困難を承知で、夫を再び南の海に連れて行くことを決めました。
幸い姉が一緒に行ってくれることになりました。
これで、私がトイレに行っているときに、いなくなってしまう心配が一つ減りました。
行く先は与論島を選びました。
海外はどう考えても無理だったし、与論は新婚旅行で行き、その後も数年通った思い出の地だったからです。
飛行機に乗せられるかどうか心配しました。
乗ってからずっと座っていられるかどうか心配しました。
トイレにちゃんと行ってくれるかどうか心配しました。
私は心配の塊でした..。
そんな心配をよそに、夫は不思議なくらい正常でした。
不穏になることもなく、普通に飛行機に乗って、普通に到着しました。
懐かしい海の色...
ああ、また帰ってきたんだと思いました。
与論島ではコテージを一軒借りました。
いつもはものすごく手こずるお風呂に入るときの脱衣、朝の着替え、全て、え?こんなに楽なの?と思うくらいスムーズでした。
朝食を終えてから、水着に着替えさせて、海に行きました。
持参したシュノーケルや足ひれをつけて、夫は活き活きと泳いでいました。
ボートに乗って沖まで行き、そこから飛び込んで泳ぎました。
時々危なっかしくなるときもありました。
泳いでいてマスクをとってしまったり、ボートの階段を上れなくなったり..
でも概ね楽しんでくれたと思います。
夫の楽しそうな様子を見て、私は幸せでした。
思い切って連れてきて、ほんとによかったと思いました。
滞在中、姉がいてくれたこともあり、私はゆとりを持って夫に接することができました。
たぶん、それがよかったのでしょう。
夫は不穏になることもなく、無事に旅行を終えることができました。
家に帰ってからも、夫は着替えを嫌がらなくなりました。
毎日お風呂に入れたいと思うけど、服を脱がせるのが頭が痛いことでした。
それが、自分で普通に脱げるようになりました。
私にとって嬉しすぎる誤算でした。
夏の間中、それは続きました。
なぜこういう変化があったのか、理由はわかりません。
わずかな期間ではありましたが、夫がほんの少し自分を取り戻してくれた奇跡の時間でした。
あの先輩の言葉..
今も感謝しています。