発病前の夫は、穏やかで優しい人でした。

診断後、半年位過ぎた頃でしょうか..ごくたまにですが、いきなりり不機嫌になり、いらいらして、自分を抑えられない風になることがでてきました。
主治医に相談して、抑肝散を処方してもらいました。

抑肝散は、3年ほど飲ませてやめました。
夫の場合はあまり効き目はなかったようです。
飲ませている間も、不機嫌になることは頻発していました。

着替えの拒否、薬を飲む事への拒否、デイへ出掛けることの拒否、あらゆることへの拒否が始まっていました。
いままで機嫌良くふざけたりして過ごしていたのに、急に雲行きが怪しくなり、てこでも動かない不機嫌の塊になりました。



初めて頭を殴られたのは、2010年4月末、お風呂に入っていたときです。
初めてのけいれん発作を起こしてまもなくのことでした。
なんの前触れもなく、今まで機嫌良くお風呂に入っていたのに、いきなりでした。
これまで一度も親にさえ殴られた経験がない私には、強烈なショックでした。
初めて夫に対して恐怖を感じました。
それからも、コロコロと変わる夫の機嫌に振り回されて、私はクタクタのボロキレのようになっていきました。


そうした状況の中、6月末に私は夫を与論島に連れて行きました。
(このことについては改めて書こうと思っています。)
その旅行から帰ってしばらくの間、優しい夫が戻ってきていました。
着替えも、スムーズにでき、時には自分で服を脱ぐことができたりしていました。


それも11月頃には終わりを告げました。
脳波の検査を受けていたときに、頭についていたコードをむしりとり、検査技師の人につめよっていきました。
拳を作り、今にも殴りかかりそうでした。
よその人に対して不機嫌さを剥き出しにしたのはこれが最初だったと思います。


元々消化器系が弱かった私は、すっかり打ちのめされていました。
市でやってくれる健康診断で、大腸癌の疑いがあると言われ、年が明けたら内視鏡の検査をすることになっていました。

そこで困ったのが、検査の時の夫をどうするかでした。
検査入院は一日で帰れる予定でしたが、それは検査してみないとわからないことでした。
もう少しの間も一人では家に置いておけない状態でした。
通っていたデイで、当日7時くらいまでは預かれるとのことでしたが、それで足りるかどうかがわかりませんでした。

その頃、私は体調がとても悪く、血便らしきものも出ていました。
がんでないにしても、なにか重大な病気があるのではないかと恐れていました。
私が入院ということになれば、もう誰も夫の世話をしてくれる人がいません。
車で30分位のところに、夫の姉がいますけど、姉も自分の家族がいるし、夫の面倒を見れる状況ではありませんでした。


私は、夫をグループホームへ入れる決心をしました。
私になにか重大な病気が見つかっても、そのまま入院できるからと思ってのことでした。
家に連れて帰れる状態になれば、連れて帰ればいいと思いました。

入居の前に、お試しで宿泊して様子を見るとのことで、夫は2泊3日の予定ででかけていきました。
次の日の早朝、グループホームから電話が入りました。
夫が明け方トイレで転倒して顔を打ったので、これから病院へ連れて行くとのこと..。
なんということでしょう..。

保険証などを取りにうちに寄った車に夫は乗せられていました。
右目の周辺が青緑色に変色し、上唇が腫れ上がっていました。
前歯が折れたのか、口を開いたときに歯が一本見えませんでした。

脳外科で検査した結果、異常は認められないけど、一ヶ月くらいしてから症状がでる場合があるので、注意するように言われました。
口の中を切っていたので、口腔内科のある歯科医に行って、縫ってもらいました。


このグループホームからは入居を断られました。
他の利用者さんに暴力をふるいそうになったのだそうです。
そんなことあるわけがない!と言えなかった私はとても..悔しくて..惨めでした。
礼儀正しくて、誰にでも親切で、優しかった夫が、もう世間には受け入れてもらえないんだという現実を突きつけられた気がしました。
痛々しく腫れ上がっている顔をなでながら、私は声を上げて泣きました。
ごめんね..ごめんね..よそに預けようとしたからこんなことになってしまった..と。


結局検査の日をどうするかというのは振り出しに戻りました。
最悪私が入院ということになったら、それはもうその時考えることにしました。
受け入れてくれるショートスティ先を見つけました。
ここは送り迎えがなかったので、連れて行かなければならず、検査の前日から預かってもらうことにしました。

内視鏡検査で、ポリープが見つかり切除しました。
念のためということで出した生検で、大腸癌が見つかりました。
幸い極く初期だったので、もう切り取ってしまった後は治療の必要はなく、後は、定期的に検診を受けるだけになりました。
胃と十二指腸に潰瘍がありましたが、それは薬で治すことになりました。

ショートステイは何事もなく、トイレの場所がわからなくて、2回失敗した他は無事に過ごせたようでした。


こうしてまた日常が帰ってきました。
状況がよくなったわけではなく、むしろどんどんと悪くなる一方でした。

トイレが間に合わないことがしょっちゅうになりました。
また.見当識障害がひどくなってきて、トイレの場所がわからなくなってきてもいました。
便器の中への排泄よりも、部屋や廊下への排泄の量が多くなっている感じでした。

汚れたパンツを脱がせようとしても、頑として脱がせまいとしていました。
無理に脱がせようとすると、目つきが変わって威嚇するようになりました。
ふーっと息を吐き、猛獣のような目つきに変わります。
そんな時は、以前殴られたことが思い出されて、恐怖に駆られながらの介護でした。


それでも私は施設に預けるのはもうとやるまいと思っていました。
穏やかなときは、昔と変わらない優しい夫でした。
何かやっていると、そばにきて、手伝ってくれようとしていました。

でもこのままの生活を続けたら、早晩私が倒れてしまいそうでした。
胃潰瘍も治りそうにありませんでした。

2月末に、お泊まりデイというものがあるのを知りました。
デイサービスに行って、そのまま泊めてくれるというサービスです。
3月から、まずはデイサービスだけ、次の週は一泊で、うまく行けばその翌週から二泊三日で預かってもらうことに決めました。


デイの初日になるその日の朝、片方の足はスリッパ、片方の足はスニーカーを履いて、リビングを歩き回っていました。
私は思わず、なんで靴で歩いてるの!!と怒鳴ってしまいました。
みるみるうちに顔がゆがみ、目の色が固く、狂気を帯びた目になって、殴りかかってきました。
顔を殴られ、逃げようとすると髪の毛を掴んで引き戻されました。
腕をねじりあげられ、スニーカーを履いた足で、何度も何度も思い切り蹴られました。
時間にして30分以上、執拗に殴られ続けました。

しばらくして少し落ち着いた頃、デイサービスが迎えにきました。
とても行ける状態ではないので、その日は断りました。
もうデイサービスに行ける段階ではないのかもと思いました。

体中が痛く、腰とさっき叩かれた腕が特に痛く手を上げるのもきつい..
暴力をふるわれるとはこういう事なのか...
今までの人生、なんと平和に過ごしてきたことか..と思いました。

怖いのは、まだこれでも多少手加減している様子が見えていたことでした。
これが全くの手加減なしになるときが来た時、骨が折れたり、目を潰されたり、回復不可能な事態になるのではないか..という恐怖におびえました。


その後、普通の状態に戻り、ご飯も普通に食べました。
食べ終わった後、急に機嫌が変わり、また殴りかかろうとしてきました。
これまでは大抵の場合、何かそれなりの原因があって怒り始めていたのですが、そのときは全く理由がありませんでした。
いよいよせん妄が始まったのか..もう精神病院にいれないとダメな時期にきてしまったのか..。

なんとか逃げて、外に出ました。 
ケアマネさんに相談したくて電話しても、留守電になるだけで繋がりませんでした。
転倒したときにに受診した脳外科でとりあえず預かってもらえないかと電話してみましたがダメでした。
家に戻るのは怖いし、途方に暮れました。
近くのの交番に行って事情を話しました。 助けてもらえないかと..。

家に帰らないで、どこか近くに泊まり、明日朝一番でお姉さんに来てもらい、主治医に相談して病院を紹介してもらえとアドバイスを受けただけでした。

夕方になって、どうしているか心配になりました。
電気を点けてこなかったので、真っ暗になってしまいます。
家に帰りたくてたまりませんでした。
様子を見て危険ならまた逃げようと思いながら家に戻りました。

夫は普通の状態に戻っていました。
出て行かない方がいいの?と聞いたら、なんで?と不思議そうな表情をしました。
もう信用はできないけど、当面大丈夫だと思い、そのまま家にいることにしました。

叩かれた腕を見てみたら、青あざになっていました。 たぶん、背中とか腰とかも同じ状態だろうと思いました。


こうして暴力におびえる日々が始まりました。