アルツハイマーと診断されても、しばらくの間は目に見えた変化もなく毎日が過ぎていきました。
ふと気がつくと、できなくなってしまったことが増えているといった感じでした。
半年位経った頃怒りっぽくなったと主治医に話したところ、抑肝散を処方されました。
一日3回空腹時に飲ませるということで、
抑肝散→食事→Namenda→抑肝散→食事→アリセプト→Namenda→抑肝散→食事
と繰り返していました。
忘れないようにするのが結構大変でした。
当時、情報を求めて本を読みあさったり、ネットを調べ回ったりしていました。
算数のドリルがいいらしいとわかれば、買ってきてやってもらいました。
字を忘れてしまわないように書き取りの練習もしてもらいました。
夫は趣味らしい趣味はなく、唯一スキューバダイビングだけが好きでした。
お正月休み、ゴールデンウィーク、夏休みと、年3回だけですが、二人でパラオやモルディブに行って潜っていました。
もっと日常的な趣味があったら、病気の進み方もまた違ってきていたのかもしれません。
元から興味がないことを、病気になったからといって始められるものではありませんでした。
毎日が、なにもせず、ただだらだらと過ぎていきました。
1年経った頃、照明のスイッチがわからなくなりました。
暗い中をごそごそしていたり、消し方がわからないのか、点けたまま眠ったりしていました。
簡単な言葉の意味も理解できなくなってきました。
これ冷蔵庫にしまっておいてと言っても、冷蔵庫が何なのか、時々わからなくなっていました。
着ていて脱いだ物は洗面所のかごに入れておいてねと、何度言ってもダメになりました。
ありったけの下着をタンスから出して、洗濯物と一緒にまぜてしまっていたこともありました。
全部洗濯した翌日なのに、もうパジャマが3着分、出してあるとか..。
そうしたことが、日に何度もあり、何回も繰り返す間に、いけないとは思っても、つい私の口調もきつくなってしまいました。
そしてその後の自己嫌悪...。
これから先どうなってしまうんだろうと、暗澹たる気持ちでした。
病気なのだからとわかってはいても、対応する気持ちを切り替えられずにいる私でした。
一方、以前と変わらない様子の時もありました。
脳の中で、まだ活動している部分と、使えなくなってしまった部分があるような感じでした。
3年経った頃、まだ、普段は普通に歩いて、一緒に買い物に行って重たい物を持ってくれたりしていました。
でも、急に、調子が悪くなって、ちゃんと歩けないというか、立っているのも辛そうな状態になったりしていました。
その様子を見ていると、認めたくはないけど、主治医が言うように、ああ、いずれは歩けなくなってしまうんだな..と悲しくなりました。
着替えもできなくなり、外出して、そのままの格好で、寝てしまうこともしばしばでした。
お風呂自体はいやがらないのですが、服を脱ぐのをものすごくいやがるようになりました。
なんとかお風呂にいれて、パジャマを着せて、今日はこれでよかったとほっとしてると 夜中に起き出して、いつのまにか、Gパンを履いてしまっていました。
暑いだろうに、何枚も重ね着して、ベッドに入ってる姿を見ると、なさけなくて、涙がでてきました。
期待していたtramiprosateは発売中止になりました。
新薬の開発状況も、はかばかしくなさそうで、主治医からは、間に合わないでしょうねとはっきり言われました。
先生から渡されるアリセプトと、塩酸メマンチンを一応続けてはいましたが、もうおそらく効いてはいないような感じでした。
その頃には、薬を飲む事がわからなくなってきて、飲ませるのも苦労しました。
いっそのことやめてしまおうかしらとも思いましたが、それも踏み切れずにただ飲ませ続けていました。
こうして、ゆるやかに、でも確実に症状は進んでいきました。
ふと気がつくと、できなくなってしまったことが増えているといった感じでした。
半年位経った頃怒りっぽくなったと主治医に話したところ、抑肝散を処方されました。
一日3回空腹時に飲ませるということで、
抑肝散→食事→Namenda→抑肝散→食事→アリセプト→Namenda→抑肝散→食事
と繰り返していました。
忘れないようにするのが結構大変でした。
当時、情報を求めて本を読みあさったり、ネットを調べ回ったりしていました。
算数のドリルがいいらしいとわかれば、買ってきてやってもらいました。
字を忘れてしまわないように書き取りの練習もしてもらいました。
夫は趣味らしい趣味はなく、唯一スキューバダイビングだけが好きでした。
お正月休み、ゴールデンウィーク、夏休みと、年3回だけですが、二人でパラオやモルディブに行って潜っていました。
もっと日常的な趣味があったら、病気の進み方もまた違ってきていたのかもしれません。
元から興味がないことを、病気になったからといって始められるものではありませんでした。
毎日が、なにもせず、ただだらだらと過ぎていきました。
1年経った頃、照明のスイッチがわからなくなりました。
暗い中をごそごそしていたり、消し方がわからないのか、点けたまま眠ったりしていました。
簡単な言葉の意味も理解できなくなってきました。
これ冷蔵庫にしまっておいてと言っても、冷蔵庫が何なのか、時々わからなくなっていました。
着ていて脱いだ物は洗面所のかごに入れておいてねと、何度言ってもダメになりました。
ありったけの下着をタンスから出して、洗濯物と一緒にまぜてしまっていたこともありました。
全部洗濯した翌日なのに、もうパジャマが3着分、出してあるとか..。
そうしたことが、日に何度もあり、何回も繰り返す間に、いけないとは思っても、つい私の口調もきつくなってしまいました。
そしてその後の自己嫌悪...。
これから先どうなってしまうんだろうと、暗澹たる気持ちでした。
病気なのだからとわかってはいても、対応する気持ちを切り替えられずにいる私でした。
一方、以前と変わらない様子の時もありました。
脳の中で、まだ活動している部分と、使えなくなってしまった部分があるような感じでした。
3年経った頃、まだ、普段は普通に歩いて、一緒に買い物に行って重たい物を持ってくれたりしていました。
でも、急に、調子が悪くなって、ちゃんと歩けないというか、立っているのも辛そうな状態になったりしていました。
その様子を見ていると、認めたくはないけど、主治医が言うように、ああ、いずれは歩けなくなってしまうんだな..と悲しくなりました。
着替えもできなくなり、外出して、そのままの格好で、寝てしまうこともしばしばでした。
お風呂自体はいやがらないのですが、服を脱ぐのをものすごくいやがるようになりました。
なんとかお風呂にいれて、パジャマを着せて、今日はこれでよかったとほっとしてると 夜中に起き出して、いつのまにか、Gパンを履いてしまっていました。
暑いだろうに、何枚も重ね着して、ベッドに入ってる姿を見ると、なさけなくて、涙がでてきました。
期待していたtramiprosateは発売中止になりました。
新薬の開発状況も、はかばかしくなさそうで、主治医からは、間に合わないでしょうねとはっきり言われました。
先生から渡されるアリセプトと、塩酸メマンチンを一応続けてはいましたが、もうおそらく効いてはいないような感じでした。
その頃には、薬を飲む事がわからなくなってきて、飲ませるのも苦労しました。
いっそのことやめてしまおうかしらとも思いましたが、それも踏み切れずにただ飲ませ続けていました。
こうして、ゆるやかに、でも確実に症状は進んでいきました。